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美食家の夢
おてー
文芸・その他ショートショート
2024年10月12日
公開日
3,493文字
完結
「あなた、ご飯よ」
 妻がいつものように呼び掛けてくる。俺がリビングに向かうと、妻がご飯の支度を終え、テーブルに皿を並べているところだった。
「今日はどれくらい食べるの?あんまりたくさんはいやよ?」
 妻はこの頃、しきりにダイエットを進めてくる。

 ちょっと普通と異なる夫婦の美食コメディ。

美食家の夢

「あなた、ご飯よ」

 妻がいつものように呼び掛けてくる。俺がリビングに向かうと、妻がご飯の支度を終え、テーブルに皿を並べているところだった。

「今日はどれくらい食べるの?あんまりたくさんはいやよ?」

 妻はこの頃、しきりにダイエットを進めてくる。

「はい、ご飯」

 妻は手際よくビニールを切り、中身をお茶碗に入れていく。

「ではいただきます」

 俺はお茶碗のなかの1円硬貨50枚をサラサラポリポリと音を立てて咀嚼した。

「いやねぇ、あんまり音を立てて食べないでちょうだい」

「そういうな、やっぱりご飯は味わって食べないといかんよ」

 妻の皿はといえば10円硬貨が3枚、付け合わせに1ドル硬貨が3枚並べてあった。妻はそれらをゆっくりと1枚ずつ口に入れるのだった。

「なんだ、お前それだけでいいのか」

「なんだって言われても、ダイエットしてるのよ。それに私は量より質だもの」

「ドルは円換算にすると結構するだろう。ははぁ、俺の食費をケチって自分だけ旨いものを食う算段だな?」

「バレたか」

 妻はそう笑って言った。1ドルは約150円。俺のお茶碗ちょうど3杯くらいだ。それが3枚とは随分と贅沢な話である。

「やっぱり、ドルは味わいが深いものね、円より強いし」

「俺は量が食えればいいからなぁ……お代わりあるかい?」

「ちょっと金庫を見てくるわね」

 妻は席を立ち、台所にある金庫の中から1円硬貨をよそってきた。

「私がとっておいたフランがないわ。あなた食べちゃったの?」

「バレたか」

 俺もちょっとおどけて見せた。

「バレたかじゃないわよ、楽しみにしてたんだから」

「でもお前、ダイエットしてるんじゃないのか?」

 妻はちょっと言葉に詰まったが、慌ててこう言うのだった。

「ほら……フランは別腹っていうじゃない!」

 1スイスフランは約180円。妻が怒るのも無理はないなぁと思いつつ、俺はおかずの10円玉を箸でつまみ上げた。


 俺と妻は金食い虫だった。とはいえ浪費家ではなく、文字通り金を食うのだった。この体質でお互いになかなか家庭を持つことが難しかったが、昨今流行りのマッチングアプリで、金食い虫というキーワードで合致し、めでたく結婚したというわけだ。無論お互いの稼ぎでは贅沢をするわけにもいかず、1日の食費は大体2000円前後に収まるよう妻が加減してくれていた。


 俺たちの味覚は当然特殊で、貨幣の価値と額面高によって、味わいや満腹感が変わったりするのだった。


 ある日のこと。

「ねぇ、あなた、この頃家計が厳しいのよ」

「またその話か、ううむ、確かに解るんだがなぁ」

 俺は1000ルピア紙幣を食べながらビジネスニュースを見ていた。妻もビジネスニュースだけは逐一チェックしている。何せ為替が毎日の家計に直結しているのだから、真剣になるのも当然だった。

「贅沢しているつもりはないんだがなぁ」

 紙幣は間違いなく旨い。ただ、1000円札を毎食食べていたら間違いなく家計は破綻するので、仕方なく1000ルピア紙幣を食べているというわけだ。

 あまり旨くはないが腹は膨れた。

「そうなのよ、円自体が安くなっているでしょう?おかずにする海外通貨も高くなってるのよ」

 円安は我が家にとっては一大事である。

「で、どうするんだ」

「主食をね、ドンにしようと思うの」

「ええっ、ベトナムドンかい?」

「ええ、200ドン硬貨なら1円程度で済む割には額面高が高くなって、おなか一杯になるかなーって」

「ううむ、確かにそうだけど、1円玉より味が落ちそうだなぁ」

 俺達にはピンとこないが、コメが不作でベトナムやインドネシアからコメを輸入したことがあった。我が家もそれを実行しようというわけだ。

「仕方ないじゃない。家計のためよ」

「いやだなぁ」

「そんなこと言って、あなたが若い頃の話、お義母さんに聞いて知ってるわよ。あなたが一人暮らしで貧乏してた時、ジンバブエドルに全部両替して日々の食事を済ませてた……ってお話」

 妻は笑った。俺が若いころのジンバブエドルはハイパーインフレで、100円で11京近くジンバブエドルが買えたのである。味はともかく量がたくさん食えたので、当時の俺の生活を支えてくれたのであった。

「懐かしいなぁ、久しぶりに食べたくなってきたぞ」

「何言ってるの、もうジンバブエドルは廃止されちゃったわよ」

「そうだったなぁ……青春の味はもう戻らないんだなぁ」

 俺はしみじみと言った。

「じゃ明日両替に行ってくるわね」

 倹約家の妻の言葉を受け、俺は明日からの食事を思い浮かべてちょっとため息をついた。


 また別のある日。

「ねえ、あなた大変!うちのメインバンクがシステム障害だって」

 テレビをつけてみると、イナホ銀行のシステムに障害が出て、ATMもとまり銀行業務も全くできないとの速報が流れていた。

「やぁ、これは困ったぞ。お前、財布の中にいくらある」

「急なことだったから、お金降ろしてないのよ」

「まずいな、俺もだぞ」

 お互いの財布を開いてみたが数枚の小銭しかない。妻も両替を忘れていた様で、台所の金庫の中もほぼ空っぽというありさまだった。

「どうしよう、食べるものがないぞ」

「そうねぇ……そうだわ!」

 妻はいそいそと自室に戻り、スマートフォンを手に戻ってきた。

「これでどうかなぁ」

「おいおい、いくら何でもスマホなんか齧れないだろう」

「違うのよ、ちょっと待ってて」

 そういって妻はストローを取り出し、イヤホンジャックに器用にねじ込んでいく。

「ほらできた!」

 妻は得意げにストローが刺さったスマートフォンを掲げて見せた。

「バカなんじゃないのか?」

「バカとは何よ、こうすればいいのよ」

 妻はストローを口に咥えながら、手元にあるスマートフォンを操作した。

「そうか、キャッシュレス決済!」

「ええ、そうよ。ちょっとうるさいけど食べられないことないかなって思って」

 妻がストローで中身を吸う度に、ポイポイ!ポイポイ!とスマートフォンは音を立て、決済残高が少しづつ減っていくのだった。

 俺は妻の機転につくづくと感心した。


 また別のある日。

 俺はちょっとしたサプライズを仕掛けた。今日は俺と妻が結婚して3年目の記念日だった。

「どうしたの、急に台所に立つなんて言い出して」

「まぁ、俺に任せとけ」

「何が出てくるのかしら」

 おれは封筒から2枚の紙幣を取り出して、うやうやしく皿の上に並べた。

「はい、できた。遠慮なく食べてくれ」

「あらまぁ……どうしたのこんなに高いもの!」

「今日は記念日じゃないか」

 妻はカレンダーを見て、合点がいったのか頬を赤らめた。

「あら、すっかり忘れてたわ」

「そうだろう、彩は少ないけどこれが男の食事さ」

「素敵、美味しそう」

 お互いの皿の上には聖徳太子の1万円札が1枚づつ。しかも未使用。他の付け合わせは何もないが、古銭を味わいたいと数日前に両替をしてきたのだった。

「どうだ」

「あなた嬉しい!」

 妻は俺に抱き着いてきた。


 また別のある日。

 古銭の味を覚えた俺たちは、金食い虫たちが集まる秘密のパーティーに参加した。

「ねぇ、今日は何が食べられるの?」

「さぁねぇ、主催者が秘密の通貨をご馳走してくれるって話だからなぁ」

 うやうやしく皿の上に出された、それは小さな金の欠片だった。

「おい、困ったな、俺たちは金は食えても貴金属は食べられないぞ」

「ちょっと待って、これ食べられるわ?」

 妻はその一つまみほどしかない金のかけらを口の中に放り込んだ。俺もそれを見て同じようにその欠片を食べてみた。

「なんだこれは……旨いぞ」

 それは今まで食べたことのない、口の中でねっとりと蕩け、それでいて芳醇な味わいが鼻の奥に広がる通貨で、それでいてどこか懐かしい日本の味がした。

「ね、美味しいでしょ……でもこれ、なんなのかしら?」

「日本の通貨であることは間違いないんだが、何だろう?10万円金貨か?」

「お二人ともお目が高い」

 主催者が俺たちのテーブルに来て、そっと耳打ちする。

「ああ、なるほど……」

 俺たちが食べたのは天正菱大判の欠片であった。


 しかし困ったことになった。

 一度贅沢をしてしまうと元に戻れないとはよく言ったもので、天正菱大判の味が忘れられなくなってしまったのだ。

「あなた。あのパーティーはもうないの?」

「天正菱大判自体博物館行きだからなぁ。あのパーティーでしか味わえないんだよ」

「そっか……」

 妻も落胆し、俺もどうにかならないかと考え込んだ。

「そうだ、引っ越そう」

「ええっ、どこに?」

「群馬だよ、赤城山の麓だ」

「なるほど……いいわね!」

 二人で決めれば話は早い。俺たちは今の家を引き払い、赤城山の麓に小さい家を構えた。

 そうして、俺たちは懸命に家の周りを掘り始めた。


 俺たち金食い虫の夢、それは「徳川埋蔵金」である。

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