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第88話 後日譚+アナザーストーリー

【続報】

「――中華街、立て籠もり事件の続報です――犯人は女性と男性あわせ二名を人質に建物に放火、周囲は騒然となっている模様です。未確認ですが、放火の間際、地震のような揺れがあったとの情報もあり現在、事件との関連性を確認中です。なお……」




 青い空は透き通り、白い雲は洗いざらしの木綿のハンカチのようにすがすがしい。


 春風は穏やかで風の色は……それぞれの感性に任せればいい。気分はメタリック。


 俺はいま、港の見える丘公園の、港が見えるその価値を、十分に噛みしめている。




「あの船に二人は乗っているのか?」

 遠くを走るタンカーの船尾から漂う白い泡をいつまでも目で追うことができた。


「あぁ、新しい人生を始める為のすべてを窟が用意した。満足か?」

 羅森ラシンは不満そうに背を向けている。よほど経費がかさんだのだろう。


「う~ん。なんとなくチャラになった感じかな。いろんなことが貸し借りなしで」


「結果、なにもかも失った。ヒロユキはもう誰でもない。日本人ですらない」


「もともと遊園地の顔出しパネルみたいな人生だ。誰と入れ替わっても大差ないし、戸籍があってもなくてもあまり影響ないかな。死んでると思われてるから指名手配もなくて自由に行動できる。快適々々っ! 用意してくれたスーツ着て普通のメガネをかければ、おそらくバラックの連中にさえ気づかれない」


 義眼にはまだ、船尾から漂う白い泡が写っている。よくよく考えれば、ひも野郎にサービスし過ぎたかと後悔している。トルコ人になろうが、英国で紅茶を飲もうが、相も変わらず、ヤン・クイの姉さんを働かせたりして……あの野郎っ!



「そろそろ手品の種を明かしてくれ。あの時、【蛇の目】の正式な継承が行われた。魔法か? 【かごの鳥】を失った責任を取らされたとのもっぱらの評判だが、海外ではまだワチャワチャしている。だがそれも……鶴が折り畳まれるように不思議と収束しそうな風向きだ。まるで仕組まれたシナリオのように……本当に【血の石】はあの場にいたのか? 私にだけ秘密を教えてくれ。なんなら私費で戸籍を用意してやってもいい」


「あ~そうなの? ボス交代したの? 半信半疑だったけど、やっぱそうなのか~」


「半信半疑?」


 中華街を隅から隅まで歩き回った。あまねく誰彼なしに顔を見られた。相手の正体は分からずとも、相手は俺の顔を知っている……とは思っていた。だけど相手とは、2年以上もハンモックで寝起きを共にしていたのだ。バラックではジャンファミリーの人材募集までしている。要は、【血の石】はすべてを知ったうえで、俺を生かして置いたのだ……



「どうだろう? ま、確かめたけりゃバラック前の空き地を掘り返してみればいい。指令を下すのに存在位置がわかる無線は使えない。だとすれば、有線ケーブルの束が埋まっていたはずだ。最後の命令を下して、跡形もなく爆破しただろうけど」


「?……それがあのときの地震の正体か?」


「さぁ~ってね。単なる推測だから自信はないな。技術の進歩で、建物を建てるなら地下構造も簡単に調べられる。だからこその不自然な一等地の放置……っと考えるとなんとなくすべてが繋がるような気がしないでもない。バラックが残ってた理由も、――ま、俺が生きている――それが一番の答えかもな」


【血の石】は俺を殺そうと思えばいつでも殺せた。池袋の計画もうに知っていた。


 放置した。【かごの鳥】ほどの重要案件にボディーガードひとりも不自然だった。


 この街の守護神たるべきロンジョイは、どうしてあの場面にいなかったのだろう。


 もしかすれば、俺は大きな手のひらの上で踊らされていただけなのかもしれない。





 あの瞬間。天啓のその刹那、草木が水を吸うように脳細胞の隅々にプラズマ粒子が行き渡った。なにもかもが有機的に繋がり、謎はすべて解けた。だけどそれは朝方の夢のように霧散して、そのほとんどを今は覚えていない。


 ……だがたった一つ、理解できたことがある。








 港の見える丘公園のコンクリートの花壇の名もなき花に名もなき蝶が舞う。


 いや、名前はきっとあるはずだ。知らないだけで存在はそこにある。


 しかしそれは重要なことだろうか? それは記号にすぎない。




「……まあいい。半信半疑だろうがボスの継承は正式に行われた。無給であっても、幹部達への命令方法は存在していたはずだ。正体はわからずとも、痕跡を消す仕掛けだけでも後学のために、ほとぼりが冷めたら空き地を掘り返し検証するとしよう……約束だ、新しい戸籍を手に入れてやる。そして窟の一員と認めよう」


「へ? 俺はそんなのごめんだぜ? マフィアどころか窟とも今日でおさらばだ。ジャンさんとは腐れ縁で、この先もなにかとありそうだけど」


「強がるな。行くところはないはずだ」


「それがさ、向かうべき行く先は、最初から決まってたんだよね」



 【血の石】ブラッドストーンは、太陽を呼び戻す石ヘリオトロープ


 彼は最後の置き土産に、その能力の一端を俺に垣間見せた。

 到達した境地。そのほとんどを忘れてしまったけれど、そもそもそれは生きている人間が知ってはいけないことのような気がする。



「まあいい。気が変わったらいつでも受け入れる。ジャンのことは放っておけ。奴はもはや商売繁盛を願う陶製の招き猫だ。対外的にはジャンファミリーを作った謎の男としての存在だが、要するに趣味の悪い組織のインテリアに過ぎない。偉大なる母なる大木マザーツリーが最後に敷いたレールなら、窟として立場を維持するだけ……」


「先見の明がないな。馬鹿にしたもんじゃない。ジャン連奴レノは近い将来、世界の華僑たちの伝説となる……」


「ジャンの伝説? 大丈夫か? ヒロユキ」


「英雄の正体なんて蓋を開けてみればそんなもんさ………んじゃ! 俺、行くわ!」


 見た目は変わっても、ハマに長居するのは得策じゃない。


「ちょっとまて……実はひとつだけ困ったことがある」


「ん?」


「……その……なんだ……私のことは嫌いだそうだ……」


 陰からひょっこり顔をだしたのは、ピンクベージュのショートカットの女の子。



 少し迷ったけれど「新しい家に来るかい?」波寧ポーニンの頭に俺は静かに手を置いた。








 不思議な街に迷い込み。



――――――――――――――――――――――――――――――

あの人が調律するピアノの音を聞くのが好きだった。弾けない自分が歯痒はがゆかった。

――――――――――――――――――――――――――――――

 美紫メイズ、あんたいい女だったよ。




 不思議な街でしばらく暮らした。


 不思議な出会いがあり、


 不思議な出来事がいくらかあった。




 ただ、それだけのこと …………さようなら、チャイナタウン  (了)




















――――――――――― アナザーストーリー ―――――――――――




 目的の場所に着くまでは少々時間がかかる。だからとっておきの話をしよう。



 " The King of Butterflies " 「蝶の王様」と呼ばれ愛されるオオカバマダラ。


 その北アメリカ大陸に生息する種は、越冬のため約3500キロを集団移動する、渡り蝶として知られる。驚くべき飛翔距離だが、謎はそこではない。


 一年のサイクルとして、暖かいメキシコで越冬したオオカバマダラは3月~4月に生まれる第一世代が北上を始め、続いて5月~6月に生まれる第二世代、7月~8月に生まれる第三世代へと、世代を繋ぎながらカナダを目指し北上する。

 まるでリレーのバトンのように生と死、消滅と誕生を繰り返しながら……

(第一、第二、第三世代の寿命は3週間から6週間ほどである)


 そして秋。9月~10月に生まれる第四世代は「アンカー」として両親、祖父母、祖祖父母をはるかに凌駕する能力で一日130キロ、2ヶ月近く飛び続けふたたび、メキシコまで南下する。この第四世代の寿命だけが、約9ヶ月とあまりにも長い。


 同一種において、第四世代だけに与えられた、およそ6倍もの天命……







 な~んて、アゲハチョウやモンシロチョウならいざ知らずそんなマニアックな蝶を俺が知っているはずがない。これは【血の石】が、俺に最後に魅せた、メッセージ。


 自らをどれかの世代になぞらえたか……託された使命を伝えようとしたのか。


 もしかすれば、退屈な役目を終わらせる、ただの口実だったのかもしれない。


 だけどたった一つ……




 やっと辿り着いた。波寧ポーニンと手を繋ぎ見上げれば、そこは鏡面のビルディング。

 入り口の警備員に敬礼され、中に入ると受付嬢に笑顔で案内された。

 エレベーターの58階のランプが灯る。ビル本体に認められたのだ。


 俺は夢を見ていた。いつだって夢を見る。夢しか見ていたくない。


 時間軸を滑らせ、並行世界を、ひらひらと行き来する。胡蝶の夢。


 【血の石】ブラッドストーンは、太陽を呼び戻す石ヘリオトロープ。彼がその能力で蘇らせたのは……たった一つ。


 【蝶の目】その本当の意味。俺が何者であるか…………俺に覚醒させた。





「お待ちしておりました」その男の顔には見覚えがある。似顔絵とそっくりだ。


「なにか変わったことは?」


「特にありません。からの手紙が何通かだけ」


「警察は?」


「格安で物件を貸してくれる大家と揉めるようなことはしないでしょう。そもそも、あれはあなたが開発した情報収集システムだ」椅子を勧めながらのんびりと話す。




 そうなのだった。初めから、二つが混在していた。

 目の前にある机は本物か? マホガニー風を気取った合板か?

 ぼったくってなどいない。純金のカラーバーも存在していた。

 ジルコニアとダイヤモンドの未来は共存している。



 俺に祖父などいない。父親は新しい命から逃げ出した。


 母は明るくて優しい人だった。騙されやすくてひとりぼっち。そしてもういない。


 俺はマリア嬢に、失礼にも、母を重ねたのだった。



「このまえの健康チェックはすべて良好でしたが、念のためもう一度、検査をなさいますか? それとも美容整形を先に?」

 この男は珍しいダブルライセンスの持ち主で、医学部在学中に司法試験に合格している。だけど本職は、頼まれた仕事を頼まれた通りやるだけの便利屋にすぎない。


「その必要はない。それよりこの子の部屋を用意してやってくれ」

 二分割され隠された部屋は、あの世界樹の森だけではなかった。

 なるほどそれでエレベーターの表示の……これで計算が合った。



 そう、物語の本編は、ここから始まる。つまりは……



 この鏡面のビルこそが、俺の ――【蝶の目】――









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