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第87話 愚かなる血の石を探せ!⑱

 カシャン。



candyキャンディーの顔と俺とを電子計算機で演算すれば奥さんがどれだけ美人かは想像つくだろ?」


「たとえ下手っ! 言い回し変っ! 電子計算機って……それと俚言りげんってなに?」


「しょうがないだろ。日本語を徹底的に覚えたのは、30年も昔なんだから」


「平然とスパイだった過去を告白してんじゃねぇ!」



 酔ったマリアを車で送った帰り、ちょっと道草してもらった。デイビスもタバコを吸う為に車から降りてくる。車内にはcandyがひとり、マジックハンドをにぎにぎ、うつらうつらと車窓に頭をぶつけている。夜も9時すぎなので無理もない。くすっと笑い、俺は正面に向き直り、真顔になって静かに手を合わせた。



「そういえば不思議と奥さんに会わせる機会はなかったな。美和子もヒロユキに挨拶したいといつも言っている。なにせ娘の命の恩人だ」


「……会ってみたかった」


「いつでも会えるさ。今は二人目がお腹にいて、candyキャンディーを俺に任せきりだけどな」



 近くに中学校があり、デイビスが吐き出すタバコの煙が校舎の角っこと冬の木々の間を縫うように流れてゆく。

 美人は沢山いるが、内職で唐辛子スプレーボム作っちまう美人はそうはいない。

 会ってみたかった……けど、それはもう叶わぬことだろう。




「なぁ、デイビス。あんたはどうして日本に住むと決めた?」


「どうした唐突に? 清潔で安全で水が綺麗だから……本音は不合理を受け入れて、合理的に生きることに疲れたの……かもなぁ」


「あやしいな~それ。元スパイで、海兵隊転属のエリートが?」


「おいおい。誰か聞いたら誤解する」


「チャイナタウンで誰が一番やばいでしょう選手権を開催したらあんたがダントツでトップじゃないかと俺は疑ってるんだ」


「どうした根掘り葉掘り。おまえは人のことには関心があるのに自分のことはなにも話さない、悪い癖だ。こんな所に車を止めていったいなにを拝んでる?」



「ん? なにって……」(あんたが教えてくれたんだぜ?)


 俺は合わせた手を静かに下ろした。



 風光明媚な観光地として整備された山手外国人墓地は有名であるが、横浜には

他にも在住外国人のための墓地がいくつかある。


 その中の一つに根岸外国人墓地がある。


 功績を残した著名人が奉られ、米国や英国、華僑などの募金によって設置され財団法人が管理する他の墓地とは違い、最寄り駅近くの案内看板は貧相でみすぼらしく、簡素で、最近になり有志によって整備されたが、打ち捨てられた佇まいは否めない。

 訪れる人はやはり少ないのだろう。自分だっていつも外から手を合わせるだけだ。


 …………ここには、数多くの混血嬰児えいじが遺棄されているとの噂がある。

 その数は、一説には九百体以上とも謂われるが、正確にはよくわからない。


 俗に言うGIベビー 。戦後、連合国軍の兵士と日本女性との間に生まれた子供達は世間からそう呼ばれた。当時の特殊慰安施設としてのダンスホール、ジャズクラブで接客業務をしていた女性、街角の娼婦、自由恋愛……なかには痛ましくも強姦されたすえに、生まれた子供もいる。そして例外なく、好奇の目に晒された。


 貧困の時代、乳児の死亡率は高く、栄養失調や病気で亡くなった子供たち。そして産み落とされたそのままに…………遺棄された事例も数多くあったようである。

 ほとんどは無縁仏。墓標もなく、当時については行政も口を濁し、実態は不明。

【※山崎洋子 (著)「天使はブルースを歌う 」ノンフィクション小説分類など】



 ただそこに嘗て、今は朽ち果てたおびただしい数の白い木製の十字架があったとの都市伝説だけを、俺はデイビスから聞かされたのだった。



「違う。ただ静謐で……誰にもある気持ち。名もなき花……それも違うな。生まれることさえできなかった、自分より不幸な境遇に、自分は手を合わせてるいるのだと、俺も以前はそんな風に思ってた。けれどなんて言うか、俺も一人じゃないし、誰かも一人じゃない。孤独じゃない。兄弟……みたいに、今はそう感じるんだ」


「なにを言っているんだ、ヒロユキ……支離滅裂しりめつれつだ。なんの話だ?」


「……あはっ。ごめんごめん。そっちは一回目だったな」


 不意に地面から這い上がる寒さに足が震え、その場に座り込む。同時に、底知れぬ疲れが襲ってきた。もはや、狂っちまった自分の肉体と精神の変調に驚きもしない。

 だけれどもそこには、奇妙な達観と充足感があった。


「どうしちまった? 誤解してるようだが、俺はもう昔の俺じゃない。大切なもの。それが何かを知っている。俺を心配してるのか? それよりそっちが心配だ。近頃、変だ。別人と話してるようで……ヒロユキはcandyキャンディーの命の恩人だ。おまえのお陰で、俺は孤独を感じる暇はない。だからヒロユキが道を踏み外すようなマネを……」




「だな。道を踏み外さない為に……」俺はシャツをたくし上げ、素肌に巻いたサラシを探る。必要以上に胸までぐるぐる巻いてある。ミイラ男か? 


SIGジグ SAUERザウエルでもベレッタでもグロックでもスミス&ウェッソンでも……ニューナンブ60以外ならなんでもいい。拳銃を用意してくれ」


「拳銃? はぁ? 人の話を聞いてたのか! そんな大金いったいどうした?」


「さぁ? 少なくとも物理法則は無視しちゃってると思う。帯封付きの100万円といきたかったが、途中で抜いちまって95万だ。心配いらない。弾は殺傷能力のないでいい。入手できたら、チャイニーズ・ピザ・デリバリーで届けてくれ」



 蝶はますます調子に乗る。羽を広げた大きさを現実だと確信する。我が身が余りにみすぼらしく薄っぺらい存在だと気付くのは、カマキリに頭を囓られた後……だから追跡者には、タクシー代を渡してある。近くにいて聞いているはずだ。摸擬弾だからタイミングよく吹き矢を飛ばしてくれないと、本当に囓られちゃうからよろしくね。




 カシャン。



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