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第86話 愚かなる血の石を探せ!⑰

 その出で立ちは、まるでギリシア神話に登場する男神、アポローンのようでした。


             (見たことないけど)


 金色を帯びた褐色の髪を靡かせ、碧玉サファイアが如き蒼き目は怒りに震え、赤く血走り、やがて大地に遺恨でもあるかのようにジャリッと石畳をなじり、近づこうとするも、平素、アポローン自身が小馬鹿にしているハンモックの住人から次々と伸びる慈愛に満ちた優しい手に遮られ、その場を動けずにいたのでした。めでたし、めでたし。


             (別にめでたくはない)




 ……しらんがな。見た目は間違いなく主人公だけれども、こいつにも事情は一切、話していない。本日、ひも野郎は池袋にいるはずだった。代わりに腕利きの用心棒がヤン・クイを護衛していたが、俺が【蝶の目】で失神させた。



「おまえは、一体なにを……」


 おっしゃるとおり! 怒るのも無理はない。窟の関係者から耳打ちされて、駆けつけてみればこの有様だ。けどな~そのツイードの高そうなパンツも一点物のベルトもシルクのシャツも、まるっぽ一式、姉さんに買ってもらった物じゃねぇか!

 生意気にジャケットまで羽織ってるが、使いっ走りのあんたの給料でそのポケットひとつ買えるのか?   気に入らないねぇ~あたしゃ認めないよっ!



【ヒロユキ! なに悠長にアランと見つめ合ってる! 急げっ!】


 羅森ラシンが耳元でうるさいが、はっきりとさせておかなければならなかった。こいつはボスが交代すれば恋人が自由になれると思ってる。憧れのロンジョイが天下を取れば恋人を救えると脳天気に信じてる。その甘さを叩いてやらなきゃ気がすまない。

 この間のリベンジも兼ねて、ここできっちりちのめしてやる!





 そのとき、唐突に蒼い瞳から大粒の涙がこぼれた。



「俺たちは……俺たちは……おまえのことを兄弟みたいに思ってたんだぞ」



 ……しらんがな。




「はぁ? 外人のスケコマシと売春婦が俺と兄弟だ? ふざけるな。能書きはいい。二階の個室は勝手知ったるあんたの家だ。遠慮しないで上がって来いよ!」



 ……”今”、一番大切なのはなにか? 弱者が強者を騙すアクロバティックな奸計を成立させるのはリアリティー。だから本気でキレて俺に向かってこい、ひも野郎っ!



 それは一瞬だった。階段の下で『ガタッ』と音がしたら、もう目の前にいた。


 残像を【蝶の目】でたどれば、まさにひょうのようにしなやかな動き。


 だけど残念。なにせこっちは乾電池を握っている。(単一)




「ぐふっ」横っ腹にパンチが入り、ひも野郎が呻く。ゆがんだ顔さえハンサムね。



 ごめんな…………俺は特別なんだ。……ってあれ? わっ! 捕まえられてる!



 しまった。握力がもの凄ぇ。パンチが入った方はダランとしているが、残り半分、腕一本だけで俺を仕留めようとしている。単一だぞ? 単三じゃねぇぞ? 

 スローモーションに見えたって、捕まれば腕力の差は歴然。こいつがケンカ強いの忘れてた……なぁぁぁぁやられるぅぅぅぅっ! 











 な~んてね(笑)




 Bangバンッ! 雲一つないチャイナタウンの青空に、乾いた銃声がとどろいた。


 それは過去と未来を決別させるUターン禁止の咆吼。ひも野郎が床に沈み込む。


 そう、初めから乾電池のサイズ感なんかどうでもよかった。俺はド卑怯なのだ。





 面白半分に見物していたギャラリーが、悲鳴を上げて逃げ惑う。そりゃあそうだ、流れ弾に当たったら死んじまう……これが現実てもんだ、ばっきゃろーめっ!




 兄弟なんて言われたのは初めてだ。もう思い残すことなんかない。


 死ね。死ね。死んじまえ。そして生まれ変われ!









 チャポ。チャポ。チャポ。チャポ。チャポ。チャポ。チャポ。チャポ。


 ふたりを二階の個室に放り込み、それから廊下をガソリンで湿らせる。




 ……いまから俺は、バラックを燃やしちまう。



 シナリオの続きは人間の入れ替え。放火した後、用意した遺体と入れ替わるのだ。

 手品の大部分は窟が準備済み。刺身の皿に板前が小菊を散らすようにライターで、あとは火をつけるだけ。この方法でしかマフィアから逃げ仰せる術はない。


 行きがけの駄賃に金が欲しかったが、一芳イーファンは俺を生かしておく気はさらさらなかった。だから美紫メイズに頼み、追加で死体を準備させた。




 本日をもちまして俺は終了。犯罪者どころか、この世から存在が消えちまう。

 けどまあ、よく考えてみれば、これまでの人生も似たようなもの。

 社会から弾かれ、行き場を失い、何も持たず、日雇い暮らし。

 みんなもそうだろ? だから勘弁してくれよっ!


 今さらながらもう一度、俺は階下を見回した。皆が逃げ出した後も、ハンモックの住人達だけが、マヌケ面して呆然と立ち尽くしている。

 おまえら逃げないの? どいつもこいつもどん臭い。若者もいるが何十年とここで暮らす年寄りもいる。揃いもそろって半端者。俺も同じ……だから、やっと見つけた住まいとも呼べぬ、眠るだけの場所も、失えばどれほどつらいか、よく知っている。

 こんなことしか思いつかなかった。おまえらは路頭に迷う……ごめんよ、みんな。


 人として駄目なやつら。グズで愚鈍で優しいやつら。今だって、ひも野郎を必死で止めようとした。あの蒼い目は、いつだって俺たちを馬鹿にしてた。イケ好かねぇ奴だった。なのにどうして助けようとした? ……呆れるほどのお人好し。

 ふいに涙がこぼれた。俺は俺の感情に初めて触れた気がする。そうか……



 ここに流れ着き、救われたとしたならば、それはおまえらが居たからだ。


 俺の空洞を癒やしたもの、それは俺と同じおまえ達の………………えっ?







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 空っぽだね。あの人はがらんどうだったよ。所帯を持っても、アウトローのボスになったって、あの人はいつも孤独だった。逃れられない孤独を抱え込んでいた。


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 孤独。




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 太陽を克服したドラキュラのようにつけいる隙もなく、昔からのしきたりを忠実に守るだけ。


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 ただの凡人は、




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 つまり、ブラッド・ストーンは無給だ。


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 無欲……で




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 煩悩を欠損した奇形であり、まさしく貴重な存在だと言える。


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 欠損……壊れた部品。……あれ?




 なんだこの感覚は……だけどこれは過去ではない。ほのかに漂うオイスターソースの香りが、これが現実だと教えてくれる。これが一度目だと教えてくれる!








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『……それにしても不思議よね。再開発できれいになったのに、あの簡易宿舎だけはずっとあのままだなんて……』


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 それは本当に偶然か? ……放置された空き地。


 ボスはロンジョイほどの男にどうして、儲けにもならないこのエリアを守らせた?


 ……【蛇の目】の思想を崇拝し、その男が愛したこの街のどこか……どこか……






 やはり、思い込みのバイアスがあった。そんな誰もが陥る無自覚の行動の影に男は潜んでいた。地図上にコンパスの針を刺してくるっと描いたそんな小さな円の中に、

偉大なる風水思想の中に……そうか、そうなのか。孤独な男は、同じ孤独を選んだ。





 ………………【血の石】ブラッド・ストーンは、目の前にいるっ!!









 星が降るような天啓。そのお返しに俺は、蒼穹そうきゅうの彼方へ拳銃をぶっ放す。



 定められた運命のように、眼窩がんかの義眼をえぐって、ありったけの声で叫ぶ。





「この”目”に見覚えがあるはずだ。思い出せ。ご苦労様。あんたの役目は終わった」








 …………しばらくして、静かに大地がゆれた。











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