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第84話 愚かなる血の石を探せ!⑮


 俺にある空洞……? 指摘されてもピンと来やしない。

 そんな無駄なスペースを維持させるほど、俺は器の大きな人間じゃない。せいぜい夏祭りの終わりに忘れ去られた金魚――大海を知らぬ――金魚鉢の金魚。

 いや、金のない金魚は金魚ですらない。

 世界にたった一匹だけの小魚。有り触れた雑魚ざこにやれることなんざ、限られてる。



 池袋から元町中華街までは、きっかり680円。

 行きと帰りで電車の運賃が値上がりしてなくてホッとする。知らぬ間に時は過ぎていて、駅に降り立つと、なんだか懐かしさがこみ上げてきた。けるはずだ……




「ちょっと! どうしたのその顔?」……殴られたとは言い難い。


「今日の日雇いは、映画のスタントマンだったんだ。ワイヤーで吊されてビルの間をスパイダーしたけど、助監督が爆破のタイミングを間違えちゃって、高層マンションから汚い雑居ビルの屋上にどーん。で、お詫びと日給と治療費込みで、ほら4万円」


「いろんな仕事があるのねぇ」

 マリアはやっぱり騙されやすい。



 昼のお返しに酒仙コースをごちそうした。マリアは上機嫌で仕事の愚痴をケラケラ笑い飛ばしてる。まともに働いたことはないけど、ただ頷くだけでなんだか楽しい。

 こんな生き方もあるのだと、なんだか嬉しかった。


 久しぶりに店は賑わって、頭にお盆を乗せた雪香シュエシャンが、あちらこちらとテーブルを行き来している。厨房で忙しそうに鍋を振る彼女の孫が、チラチラとマリアのことを見ている。


 夜も深まりさらに加速する店内のざわめきに包まれて、やがて身振り手振りで会話する。マリアがタブレットに写真を映して指さしてなにか言った。聞こえないけど、彼女はまったく、屈託というものがない。



 明日になれば、この写真も汚れたものになる。……それがなんだか悲しかった。


 俺は改めてマリアを盗み見た。親切で明るくて騙されやすくて誰かに似ている。


 そっか。誰かに似てるんだ。彼女を選んだのは太ももに惹かれたからじゃない。


 俺の中にもし空洞があるとすれば、多分それだ。自分でも忘れていた遠い記憶。


 あのビルの採用試験で…………マリアは不採用のはずだった。








 酔っ払ったふりして、フラフラと店を出た。ガラス越し、別れの敬礼をする。


 雪香シュエシャンが、敬礼を返し、マリアは只、微笑み返してくれたのだった。



 この現実は本当に今を生きる現実だろうか。月明かりがあまりに美しい。裏路地の埃っぽい道がキラキラと輝いている。それに導かれるように歩き出す。ここ二ヶ月、さんざん彷徨ったチャイナタウンを再び歩く。別れは悲しいことじゃない。


 キャンディー貿易商会に辿り着くと店の明かりはまだ灯っていて、離れた場所で、しばらくそのまま静かに眺めた。




「吐きそうだ」暗やみの死角から羅森ラシンの声がする。


「どったの?」


偉大なる母なる大木マザーツリーから引き継いだ遺体の……数が増えた」


「問題ある?」


「大ありだ。私以外、あそこには立ち入れない。あり得ないことが起こった……」


「冷蔵庫パンパン?」


「不謹慎なことを言うな!」


「元からそんな用途の設備だろ?」


落葉帰根らくようきこん……人はどんな場所にいようとも最後は生まれた故郷へ帰りたい。せめて亡骸だけでも埋めてほしいと願う。いまでこそ廃れた『帰葬』の風習だが、霊安室としての存在は、窟において特に神聖なものだ」


「低温保存するのは一緒だろ? 心配するな、祖国に埋葬するための遺体じゃない。美紫メイズに時間をかけて集めてもらった……本人たちには申し訳ないけど」


「最初の質問に答えていない。安っぽい手品じゃない。あの場所には窟を引き継いだ私以外は立ち入れない。どのような作業も私が立ち会う。天井の鍵も私にしか開けられない。……なのに遺体の数がいつの間にか増えた。吐きそうだ。一体なにを……」


「考えすぎるとターバンの中身がハゲちゃうぞ? あまり時間はないぜ! 蛇の目の本体が動けば皆殺しだ。どうあれこうあれことは納めなくちゃならない」


「ヒロユキがなにを企んでいるのかぐらいは、おおよそ察しがつく。だからって一芳イーファンを相手にペテンを仕掛ける意味がわからない。おまえになんの得がある?」


「奴には金なんか払う気はないよ。計画を聞いた。やらなきゃ始末される。やったらやったで始末される。四面楚歌。それより警察に詳しく調べられないだろうか?」


「昔から伊勢○木署と加賀○署の署長を両方やると家が買えるなんて笑い話がある。普段からのプレゼントが行き届き、マフィア案件なら詳しく調べられることはない」


「それなら安心。なぁに、池袋でやった小芝居と同じさ。俺みたいな小魚は擬態して逃げ切るのが一番」


「私を巻き込むな」


「おっと、新聞まで偽造した貸しがあったはずだぜ? 借りっぱなしはよくない」


「この世界から自分の存在が消える。おまえはその本当の意味を理解してるのか?」


「しょっぱいこと言うなよ、羅森ラシン。意味なんか考えてる間に爺になっちまう。なぁ、昔の人間の体温は、今よりもっと……ずっと高かったのかもしれないんだぜ?」


「はぁ?」


「アリゾナ砂漠のラスベガスに最初のホテルが建ったとき、空調の設定温度は22℃だったそうだ」


「なに言っている? 頭おかしくなったのか? ヒロユキ」




「人は熱くなれって話さ! 印僑いんきょうなのにインド映画も見たことねぇのか? 感動のフィナーレは歌とダンスに決まってる。明日は……いっちょ派手にやろうぜっ!」












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