俺にある空洞……? 指摘されてもピンと来やしない。
そんな無駄なスペースを維持させるほど、俺は器の大きな人間じゃない。せいぜい夏祭りの終わりに忘れ去られた金魚――大海を知らぬ――金魚鉢の金魚。
いや、金のない金魚は金魚ですらない。
世界にたった一匹だけの小魚。有り触れた
池袋から元町中華街までは、きっかり680円。
行きと帰りで電車の運賃が値上がりしてなくてホッとする。知らぬ間に時は過ぎていて、駅に降り立つと、なんだか懐かしさがこみ上げてきた。
「ちょっと! どうしたのその顔?」……殴られたとは言い難い。
「今日の日雇いは、映画のスタントマンだったんだ。ワイヤーで吊されてビルの間をスパイダーしたけど、助監督が爆破のタイミングを間違えちゃって、高層マンションから汚い雑居ビルの屋上にどーん。で、お詫びと日給と治療費込みで、ほら4万円」
「いろんな仕事があるのねぇ」
マリアはやっぱり騙されやすい。
昼のお返しに酒仙コースをごちそうした。マリアは上機嫌で仕事の愚痴をケラケラ笑い飛ばしてる。まともに働いたことはないけど、ただ頷くだけでなんだか楽しい。
こんな生き方もあるのだと、なんだか嬉しかった。
久しぶりに店は賑わって、頭にお盆を乗せた
夜も深まりさらに加速する店内のざわめきに包まれて、やがて身振り手振りで会話する。マリアがタブレットに写真を映して指さしてなにか言った。聞こえないけど、彼女はまったく、屈託というものがない。
明日になれば、この写真も汚れたものになる。……それがなんだか悲しかった。
俺は改めてマリアを盗み見た。親切で明るくて騙されやすくて誰かに似ている。
そっか。誰かに似てるんだ。彼女を選んだのは太ももに惹かれたからじゃない。
俺の中にもし空洞があるとすれば、多分それだ。自分でも忘れていた遠い記憶。
あのビルの採用試験で…………マリアは不採用のはずだった。
酔っ払ったふりして、フラフラと店を出た。ガラス越し、別れの敬礼をする。
この現実は本当に今を生きる現実だろうか。月明かりがあまりに美しい。裏路地の埃っぽい道がキラキラと輝いている。それに導かれるように歩き出す。ここ二ヶ月、さんざん彷徨ったチャイナタウンを再び歩く。別れは悲しいことじゃない。
キャンディー貿易商会に辿り着くと店の明かりはまだ灯っていて、離れた場所で、しばらくそのまま静かに眺めた。
「吐きそうだ」暗やみの死角から
「どったの?」
「
「問題ある?」
「大ありだ。私以外、あそこには立ち入れない。あり得ないことが起こった……」
「冷蔵庫パンパン?」
「不謹慎なことを言うな!」
「元からそんな用途の設備だろ?」
「
「低温保存するのは一緒だろ? 心配するな、祖国に埋葬するための遺体じゃない。
「最初の質問に答えていない。安っぽい手品じゃない。あの場所には窟を引き継いだ私以外は立ち入れない。どのような作業も私が立ち会う。天井の鍵も私にしか開けられない。……なのに遺体の数がいつの間にか増えた。吐きそうだ。一体なにを……」
「考えすぎるとターバンの中身がハゲちゃうぞ? あまり時間はないぜ! 蛇の目の本体が動けば皆殺しだ。どうあれこうあれ
「ヒロユキがなにを企んでいるのかぐらいは、おおよそ察しがつく。だからって
「奴には金なんか払う気はないよ。計画を聞いた。やらなきゃ始末される。やったらやったで始末される。四面楚歌。それより警察に詳しく調べられないだろうか?」
「昔から伊勢○木署と加賀○署の署長を両方やると家が買えるなんて笑い話がある。普段からのプレゼントが行き届き、マフィア案件なら詳しく調べられることはない」
「それなら安心。なぁに、池袋でやった小芝居と同じさ。俺みたいな小魚は擬態して逃げ切るのが一番」
「私を巻き込むな」
「おっと、新聞まで偽造した貸しがあったはずだぜ? 借りっぱなしはよくない」
「この世界から自分の存在が消える。おまえはその本当の意味を理解してるのか?」
「しょっぱいこと言うなよ、
「はぁ?」
「アリゾナ砂漠のラスベガスに最初のホテルが建ったとき、空調の設定温度は22℃だったそうだ」
「なに言っている? 頭おかしくなったのか? ヒロユキ」
「人は熱くなれって話さ!