また世界から匂いが消えた。関帝廟が目の前にある。よし!
赤ら顔の大男が、俺とマリアに向かって、真っ直ぐに歩いてくる。
手に乾電池を握りしめていたが、あえて俺は回し蹴りを選択した。
だが蹴りが届くその直前に、男は膝から崩れ落ち俯せに倒れ込む。
ガクッ ズウゥーン ……あーあ、また負けちまった。
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俺は気まぐれに、港の見える丘公園に来ている。
チャイナタウンを俯瞰から眺めるつもりでいたが、生憎とここからは見えない。
まあ、気分転換には丁度いい。暑くもなく寒くもなく、風は透きとおった水色。
遠くを走るタンカーの船尾から漂う白い泡をいつまでも目で追うことができた。
池袋の会議から二ヶ月の歳月が流れた。カーネーションの季節。
5月の母の日に贈られる花を、未だ一度も手にしたことはない。
俺は完全に追い詰められている。
打つ手なし。おまけに金も底をつく。
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私は生きている。それが一つの答えさ。【血の石】は【蛇の目】の信奉者だ。
だから妻であった私が殺されずにいる。30年間、随分と目障りだったろうにね。
私見を持たず【蛇の目】の思想を崇拝し、その男が愛したこの街のどこかにいる。
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いや……ヒント少なすぎだろ!
なんとなく簡単にみつかると思っちまったのが間違いだった。
少し落ち着こう。
過去を変えても、変わらない未来が、そこにあるだけだ。
俺は港を背にして振り返り、南西の方角に手を合わせ祈った。
ジュースを買う金もない。ぽてちん。
ジャンファミリーは順調に拡大している。江さんの日給は一万になった。
だけどそれと同じ速度で、俺たちは追い詰められている。
ロンジョイは本来、複数形である。互いに才覚を発揮し競い合う。才覚とは単なるシノギの高ではない。いくら稼ごうが相応しくない人物は駆逐される。幹部の誰かに不満があれば、ロンジョイにその幹部が推すロンジョイがぶつけられる。
だから数年かけた合議制による淘汰は、すでに終わっていることになる。
現在のロンジョイは一人。いまボスの交代が起きれば(引退でも死亡でも)そいつの襟元には偽物のカラーバーが輝くことになる。交代できれば……
【血の石】は動かない。引退の意思表示をすることはなく、ロンジョイに対抗する自前のロンジョイを立てるわけでもない。放置なのだ。
港の見える丘公園のコンクリートの花壇の名もなき花に名もなき蝶が舞う。
いや、名前はきっとあるはずだ。知らないだけで存在はそこにある。
その名を呼べなければ、俺たちに、ただ惨殺が待っている。
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風が止んだ。匂いも消えた。関帝廟。今度こそ、
シンプルに殴りにいく。乾電池を事前に握っているのだ。
本編とは関係のないサイドストーリーを何度も繰り返す俺は、
なんだかそうしないといられない。抱きつかれたいからじゃない。
俺はマリアに褒められたいのだ。