「なんだ? って、自分で頼んだレディースセットだよ。レディーでもないのに頼むあんたが悪い。まあ、思い込みの代償ってやつな」
「ホテルなら単品でもっと高い。取り消せないな」
「味は保証する。腹が減ってなくて、俺はほとんど
「ところで……この男はどうしてずっとニヤニヤしてる? 私のも食べるか?」
太陽の光が弱くなってきた。春はまだもう少し先で、日の陰りは早い。
フライデーチャイナタウンの本番はこれからで、らんちき騒ぎが始まる前に夜の街を歩いてみようと俺は立ち上がる。ここでグダグダと喋っていても進展はない。
〈バッファローに追われて木のてっぺんに登るはめになったら景色を楽しみなさい〉
思い掛けず、俺はこの状況を楽しんでいる。街の声に耳をすませ、昼間と同じように歩いた。同じ路地でもそこにはまったく違う顔がある。夜が深まればまた変わる。
――――――――――――――――――――――――――――――
おまえは空っぽだね? そんなところもあの人に似ている。
――――――――――――――――――――――――――――――
知らんがな! ……似ているからって、その思考をトレースできるわけじゃない。
それと失礼! ……脳みそはパンパンに詰まってる。厳しいのはタイムリミット!
グズグズしていれば蛇の目が牙をむく。その割に優雅なもので、赤い提灯が次々と灯る街を楽しむ余裕さえあったりする。今頃からこの街は、さらに美しくなる。
やはり俺のリスクセンスはいかれちまってる。だとしても、俺は歩き続ける。
暮れゆく街をただ歩いた。鼻で息を吸い、ラジエーターで冷やすように脳の近くにチャイナタウンの凜とした夜気を送り込む。思い込みだけは避けようと考えている。
窟の能力でも探し出せなかったのだ。普通のやり方では見つかりっこない。
「ピロシキ~♪」
「Yes! Candy!」
いつのまにかキャンディー貿易商会まで来ていた。店の上がり框に腰をおろし、お茶を飲ませてもらう。
「ずいぶんと日焼けしたな」
「そう?」
「最近の行動は謎過ぎる。ちなみに商店会の不審者リストに名前が挙がってるぞ」
「おいおい、勘弁してくれよ」
「バラックの住人が朝からずっとウロウロしてるんだ。警戒されて当然だ。それより長老達に話を聞くのはどうしてなんだ?」
「なぁ? 俺のめん玉はどっちが義眼か覚えてる?」
デイビスやマリアに深入りさせては危険が及ぶ。俺はなんとなく話をそらせた。
「ふっ。相変わらずの秘密主義だな……そんなの……あれ? どっちだ?」
「だよな~」
人間の認識力なんてそんなもの。俺の好みなら【蛇の目】の幻惑でもともと空洞の眼窩から義眼をえぐり、失明して姿を消したと見せかけて、ブラッドストーンは本人だったぁ! なぁ~んてシチュエーションが理想だが……あいにくとそれじゃ年齢が九十歳を超えてしまう。とほほ。
やはり思い込みのバイアスがある。事実、マフィアのボスが無給などと誰も考えはしなかった。アフリカの諺に『鳥が鳴くと人々はその意味を語りだす』 なんてのがある。フォーチュンクッキーに解説はなかったが、多分、そんな誰もが陥る無自覚の行動の影にその男は潜んでいる。……いやだから、男とは限らないんだってば。
「なぁ、デイビス。この街はこれからどうなっていくんだろう?」
「さあな。いままでもずいぶんと様変わりしたがこれからはますますそうなっていくだろう。新華僑の増加は止めようがない。天安門事件からの30年で中国の軍事費は50倍になった。兵隊の数は世界一。核もある。経済は膨らんで……だが破綻すればもっと恐ろしいことになる。彼らはアメリカと日本を目指すことになるだろう」
突然になにか弾けた。肌に纏わり付くようだった湿気が限界点を超えたのだった。
「雨……か」
「雨だねぇ」
キャンディー貿易商会には必要なモノ以外はなんでも揃ってる。傘を一本買った。
「ピョロ助~まいどありぃ」
「気をつけて帰れよ」
雨の中華街はさらに美しい。どこか片隅にオオカミが潜む気配すらある。
赤い和傘をくるりと回せば水滴はネオンが滲む石畳の水たまりを揺らす。
バラックに帰りハンモックに揺られて……目の前にある、ビール会社の販売促進のポスターを眺めた。相変わらず、八重歯で、巨乳で、微笑んでいる。
結局、血の石は何もしていない? 本来ボスが受け取るべき金を全部つぎ込めば、それを喜ばない対象はない。転がる雪だるまみたいに一方的な賄賂と献金でパイプが太くなり、勝手に権力との関係が構築されて、先回りされ優遇される?
なんだか思考が直接的じゃない。俺と似てるってのはあくまで【蛇の目】の男だ。
その男が選んだ人間を捜せなんて、まるで二段階右折だ。直線じゃなく曲線的だ。
そもそも【蛇の目】とは? 亡き
謎の人物像からその”選択”を導き出すのは無理ゲーに近く、よく考えたら中国人である保証もないぞ? 横浜で初めてキリスト教会が建設されたのは中華街。ブラッドストーンの逸話も加味すれば、蒼い目の可能性だってある。あ~考え過ぎて頭痛い!
「こほっ。こほっ」どこかのハンモックから、誰かの渇いた咳がこぼれた。