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第67話 春節②

 すこし離れた場所でばつがまだ鳴っている。シンバルに極めて近いその楽器を雪香シュエシャンの店先の空き地で高校生に貸してもらったことがある。そのシャンシャンとした音色は、まるで活劇の効果音のように、二人の男を近づけていく。


「ヒロユキ。歩きながら話そう」

 いきなり殺されなくて、ホッとした。この男は偽物のカラーバーを売りつけられ、怒っているわけではない。身につけたジルコニアは、本物のダイヤモンドに見える。

 寄り添う恋人のように俺は少し遅れて付き従った。


「このまえ店に行ったのは警告の意味もあった」

「ええ、そうでしょうね。だから売り上げが伸びた」

「堂々と偽物を売りつけられた」

「こっちも商売なもんで」

「私は大した権力もないのに人から恐れられる。パァォリィー・シゥーペェィだから仕方のないことだが、不思議だな。こんな所に迷い込んだ変人には話しかけることができた。ビビリながらもどこかでのんびり構えている。それが日本人の本質なのかと思った。脳天気な若者がうらやましいとさえ思った。不思議だな。今は違う……」

「どう違うのです?」


「今はまるで、宿老しゅくろうと話しているようだ」





 熱気に逆上のぼせた中華街に、一陣のハマ風が吹き抜ける。


 ロンジョイは、歩道にさりげなく設置された灰皿をめざとく見つけ、タバコに火をつけた。そしてなにかを忘れたかのように煙を吐き出す。極めて社会ルールに従順なマフィアだ。


「私にはなんの力も無い」

「そうですか? 善隣ゼンリン門近くに200人集まったときにはあなたが指揮を執った」

「あんなものに意味はない。幹部は一人もいなかった。金で雇われた人間さえいた。警察にアリバイを立証して貰うための一種のポーズだ。組織の幹部の誰も私の命令には従わない」

 やっていることはどこも同じだ。ここまでは美紫メイズの言うとおりだった。


「だけど、池袋の強行には参加した」

「私には多少の越権えっけんが認められている。だがそれも抗争の首謀者を炙り出すという明確な理由があってのことだ。それを邪魔するなら殺すしかない」


(どんな笑顔をしようと信頼に足る人物に思えてもマフィアはマフィアでしかない)


 だけれども、だからこそ、利で動く。プラグマティズム。※一種の功利主義哲学。知識が真理かどうかは、生活上の実践に利益があるかないかで決定されるとする※



「あなたがノーと言えば、鉄玉は白旗あげます。単に話を持ち込まれただけ。俺も右から左に受け渡しただけ。いつだって俺はそう……見て下さい、ホールドアップだ。だけど、呂雉リョチっておばさんは会社どころか住処まで晒している。つまり、……殺したところで、すぐに第二、第三の呂雉リョチが現れる。なんの問題解決にもならない」


「ふっ。本当に誰と話しているのか分からなくなる」

 特別おもしろい冗談を言ったつもりはないが、ロンジョイは笑った。



 大陸は広い。春節に特別な意味を持たない人間も多い。ロンジョイは、そちらには興味がなさそうだった。ただ秩序を、ボスから与えられた使命をまっとうしている。



「元々、蛇の目と窟は一つだった」

 ロンジョイはタバコをもみ消した。


「古代中国では大人を皆殺しにした後で、子供を食べたなんて話もある。同時に皆で育てた民族もいた。奴隷としてではなく、自分たちの正式な仲間として……」

 おそらく美紫メイズから聞かされた話と同じだが、有り難く拝聴することにする。


「中国は大きい。生き方も様々だ。中国にも名は違えど窟と似たような集団はある。だけれどもそれはもはや形骸化している。私が国を捨てたのは天安門事件から5年。17歳の時だ。皮肉なことに、それから中国の「黒社会」では抗争が起きても相手を殺すことはなくなった。殺人となれば共産党の統御とうぎょが行き届き警察も徹底的に背後にあるグループにまで執拗に迫る。だからできるだけ殺人を避けようとするが故に、現場には指などがたくさん落ちているなんて笑い話もある」

 ちぃ~とも笑えない笑い話だった。



「窟は、今の中国が忘れたもっと原始的な存在だ。100年前の中国人。生きるためならなんだってする。まあそれだけ蛇の目の影の殺戮が凄まじかった証拠でもあるが――親をなくした子供の数だけ――彼らは生きる意味を知るまえに生きる術を教え込まれる。30年前分裂してから中国人以外が増えた。だけど本質は変わっていない。彼らは不可侵を貫き、生きる。ただ生きる。大人となり日本に浸潤しながら……」

 まるで初めて聞くような、驚愕の表情を浮かべるべきだろうか?


「いつ手なずけた?」

 あちゃ~! 付いて来るなとあれほど言ったのに、波寧ポーニンいるのか?


「とても右から左に話を受け渡しているようには思えない」

「あなたの本音はどうなんです?」

「ストーンヘンジを作った古代ブリテン人は、銅器を持つビーカー人に滅ぼされた。ビーカー人は鉄器を使うケルト人に滅ぼされた。ローマが支配し、それをアングロ・サクソンが奪った。奪わなければ、所詮、奪われる」

 よくわからないが、その答えで十分だった。いや……、


「ひとつだけ質問してもいいですか?」

「なんだ?」

「………………宿老しゅくろうってなんですか?」







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