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第65話 空白の池袋⑬

【会わせたい人】は、初めから店内にいた。焼きそばが破壊的に旨くともここは新宿の裏路地の定食屋だ、女性の姿は目立つ。最初から気にはなっていた。


 洋服についての知識は乏しいが、装いは至って普通。顔は童顔だが、マリアのそれとは違い、どちらかと言えば年齢不詳の妙齢のカワイイおばさん、にも見える。


 日本人との差異についても、自分には探すことが出来なかった。


 女が俺たちのテーブルに座るまでを離れた場所にいるイカツイ男二人が目で追っている……ボディーガードか?





 鉄玉が婚約者を俺に紹介するはずもない。

 これは必然。巣穴から煙で燻せば、たまらず現れるとは考えていた。

 ただ予想外に、見た目は平凡な女だった。



「お前と同じ神奈川住みの、つっても武蔵小杉のタワーマンションにお住まいの呂雉リョチさんだ。池袋で複数の会社を経営されてる。世が世ならやんごとなき家柄の……」



 この世には ”やんごとなき” が溢れている。糞食らえだ。



「ぷっ、不思議だな~ヒロユキ。なんて言うか……説明はいらないってその態度は、こっちが拍子抜けする。……まあ、細かい説明がいらないのは楽でいい。この方は、平和的解決を望んでおられる」

 話しながら、計算高い鉄玉の呂雉リョチに対する配慮が節々に感じられた。端的にそんな存在なのだろう。だが、



 やんごとなきと自慢しても(本国に帰れば罪人か)それとも(損の商売をする人はいなくても命がけの商売をする人はいる)中国の諺どおり新天地を求め国を捨てたのなら、今さら威光もへったくれもない。帰るアテのない存在だ。



「我々は居場所が欲しいだけなのです」

 呂雉リョチはそう切り出して、定食屋の黄ばんだ湯飲みのお茶を一口飲み、上品に喉を鳴らせた。



 ……なるほどそれで俺は殺されそうになり、なんの罪もない老華僑の店は放火され大勢の人が死んだわけか? ってなるかボケ! 猛烈に怒りがこみ上げてくる。

 黒幕が、こんなロリなのか、ロリ婆なのかわからない女だったのは少々驚いたが、池袋で活躍する中国人起業家にはなぜか女性が目立つ。あり得ないことではない。

 ……真実、こいつが首謀者なのだろう。




【ヒロユキ! 表には誰もいない。マジでボディーガード二人の軽装のようだ。いま居るこちらの人員だけで余裕で制圧できる。その女をヤルなら、合図をくれ!】


 羅森ラシンの声が仕込んでいた耳奧のイヤホンから聞こえてくる。

 だが俺は捕手からの指示に首を振るピッチャーみたいに、逆にストップのサインを送った。住まいまで晒してのお目見えだ。話ぐらいはありがたく拝聴しよう。

 抜け目のない鉄玉がなにか仕込んでいるとも限らない。




「かつて池袋に観光地としての中華街建設話が持ちあがったときも、住民の徹底的な反対で立ち消えになりました。我々は日本人に本質的に受け入れられていない」


 そりゃそうだ。(しま馬は、しま模様を、どこへでも持ち歩く)自分たちの流儀を押しつけて、受け入れられないとは、それは勝手な言いぐさだった。



「日本に住む華人の半数は福建ぱんが占めています。ですが都会だけに限っては状況は変わりつつあります。東北三省の入植が増え、池袋北の家賃も値上がりして真面目に商売をしている者も住み替えを余儀なくされるでしょう。企業経営している我々も、同様です。中央とのパイプが欲しい。身分を保障され安心して生活がしたい。それが出来るなら喜んで蛇の目の軍門にくだる。なのに、蛇の目は沈黙したままなのです」


 流ちょうな日本語で一気に喋り、呂雉リョチはまたお茶を一口飲んだ。



 しらんがな! とは思うが、理屈はわからないこともない。それだけ本来の華僑が長きにわたり日本との融和、同化を模索してきたそれが証拠だ。付け入る隙がない。



 事実、裏の社会のスネークアイは権力とのパイプを持ちながら増長することなく、(他の獣がうろつく時間帯を避け、餌も違うものを喰らう)方針を貫き縄張り拡張も一切やってこなかった……らしい。



「海外の華僑ネットワークにおいてスネークアイの先代のボスはもはや伝説となっています。お伽噺ですがその名の通り、【蛇の目】の妖術を使ったと言われています。尊敬の対象で有り、他国での生き方の手本とさえなっています」



 海外旅行者が異国で困ったら、まず真っ先にチャイナタウンを探す。そうすれば、安くて旨い飯にありつけて、おまけにチップを忘れて店員と5分間見つめ合うこともない。それほど至る所にあり、他国に浸潤する技量において彼らに勝る集団はない。そんな彼らが、中央とのパイプを握る蛇の目に頼りたい、その一心が、今回の騒動の発端であることをなんだか不思議に思う。時代が変化しているのだ。



「蛇の目は、【蛇の目】を持つ男が30年ほど統治して、30年ほど前に現在のボスに引き継がれた。現在のボスの正体は誰にもわかりません。正体さえわかれば、暗殺も可能ですが、太陽を克服したドラキュラのようにつけいる隙もなく、ただ昔からの仕来りしきたりを忠実に守るだけ。話し合いのテーブルに着くことはない。……我々は居場所が欲しいだけなのです」



 呂雉リョチは、最後に、最初と同じ言葉を繰り返す。池袋が混み合ってきた。









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