「この国は収縮する」
鉄玉は、50円アップで目玉焼きが添えられた焼きそばに向かい、そう言った。
うるさいな。だからなに? この国がどうなろうがどの道、俺たちみたいな人種に降ってくる恵みの雨が増えるはずもない。おまえなんて強制的に雨を降らせて稼いでいる口だ。それより焼きそばに集中したかった。だけど、お喋りは一方的に続く。
「オリンピックが最後のきらめきだ。後は燃え尽きて、骨がスカスカになっちまう。政治家も官僚も日本の将来がどうなろうと知ったことじゃない。自分が死ぬまで……いや、現役中に儲けたらそれで御の字だ。そりゃそうだ。誰だってそうだからな」
この定食屋。
鉄玉の話なんかどうでも良くて、厨房で忙しくしているマスターを眺めた。配膳も一人でこなしている。早朝から深夜まで、仕入れと仕込み、片付けまでを考えれば、眠らないなんて噂も真実味がある。けれど、この人も昔はやばい部類の人間だったのではないだろうか? 鉄玉にビビらない人間は珍しい。
……デイビスと同じようなタイプ。
真っ当に生きながら、どこか寂しいのだろうか、アウトローのすぐ近くにいる。
当然、経営的にはそうしないとならない部分もあるだろう。鉄玉がするような夜の散財がなければ、世間と比べて余りに安いメニューを成立させることが出来ないのは事実だろう。けれどそれだけだろうか? 人間ってのは単純じゃない。
「企業のトップは安い労働力が欲しい。これは切実だ。みんなで豊かになりましょうなんて絵空事。年金を支える現役世代も水増ししなきゃな。どうあれ確実に政治圧力でもって、移民が増加する。近視眼的に穴埋めをする。巨大になった日本のスカスカ骨にボルトを差し込む。そうすりゃどうなる?」
俺はどうだろうか? いまある有り金を失ったら、デイビスやマスターのように、真っ当に生きられるだろうか? いや、自分はそうはなれない。自分でも得体の知れない能力が、あったとしても、なかったとしても、俺は蜜の味を知ってしまった。
「クルド人の増加で蕨市はワラビスタン、パキスタン人の多い八潮市はヤシオスタンなんて呼ばれてる。高田馬場と新大久保は、リトルヤンゴン・リトルカトマンズだ。どんどん増える。だがその中心になって、尚且つ日本経済の中核にまで入り込むのは間違いなく中国人だ。なにせ向こう30年、中国は成長するってんだからな」
よく喋る。相変わらずやくざにしては珍しい論理的オーラを纏っている。うざい。
考えがまとまりゃしない。あれ? 俺はなに考えてたっけか?
「…………どうして捨てた? いや、片目のことじゃない。俺は窟との交渉はずっとおまえに任せるつもりだったんだぜ?」
それは直接の部下にやらせるよりも、俺のような人間に任せた方が安全だからだ。ヤクザでも上等な部類は安全マージンをきっちりと取っている。逆に言えばこの男は窟のやばさを最初から認識していたことになる。
「俺は……今度は片目の方の話な。あの一瞬だ。おまえが、めん玉えぐり捨てたあの一瞬でだ、俺はおまえに惚れ込んじまった。一緒にやれる奴だと見抜いた。そうじゃなければあのジャンって男を幹部に引き渡していた。ハラワタ煮えくり返って直接、殺したがってたからさ」
なるほど……あの時、目玉をくり抜いたのには、多少の意味はあったのか……
「食うか食われるかの時代に必要なのは狂気だ。そしてそんな時代がすぐそこに来てる。けどそれは悪いことじゃない! 今のままの日本なら俺たちが頑張ったところで既得権益が邪魔して小銭を儲けるのが関の山。それじゃ生きてる価値がねぇ。人間に生まれたならトップに立たなければ意味がねぇ」
鉄玉は急に話の筋を変えた。
やくざが既得権益なんて言葉を使うのがおかしくてしかたない。
「 在日中国人が100万人を超えるのはもう時間の問題だ。鳥取県や島根県の人口より遙かに多い。だがもっと増える。急速に増える。おまけに中国人は一箇所に集中する傾向にある。自国では持てない不動産を取得できるとなれば、インフラが整った住みやすい環境に金持ちになった中国人の投資と人がなだれ込む。ミニバブルが首都圏を中心に起こって、これまでの価値観がひっくり返る。……その時、ただ傍観するか、だだ濁流に押し出される存在になるか、それとも……それを仕切れる存在になるか。
……ヒロユキ、おまえならどちらになりたい?」
やくざの癖にそんなことを考えていたのか? それより食い残しの冷めた焼きそばがそこにある。作った人に失礼だ。答える気にもならない。
「物語はすべて順調。全国の華僑の情報発信のトレンドは今や池袋に集中している。おまえを仲間に引き入れることで、瓢箪から駒、そこに食い込んだ。これから起こる激動のど真ん中に足掛かりができたわけだ。なっ? 俺の読みは外れたことがない。ヒロユキ……池袋の計略はおまえが持ち込んだ。権力資本、やくざ、華僑マフィア、入り乱れるこれからを仕切る側におまえもなれ……その為に会わせたい人がいる」