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第61話 空白の池袋⑨

                    「どうもおまたせしました」


「ホウヮ? おまえと待ち合わせた覚えはないけどねぇ」



      そこにいるのは、薄暗がりの階段に座る美紫メイズだった。



「おかしいねぇ? さっき羅森ラシンがおまえに………………………………」

「おかしいねぇ? さっき羅森ラシンがおまえに会いに駅前のカフェに行ったよ」


                 「すっぽかしはしない。三十分や一時間、遅れたって待っていてくれるさ」


  「どういう風の吹き回しかね。私をデートにでも誘うつもりかい?」

      「どういう風の吹き回しかね。……………………………………」






「デートに誘うには、お互いのことをもっとよく知らないとね」

 夕闇が忍び寄り、俺はサングラスを外す。嘘を見抜く目を大気に晒す。


「ホウヮ? 眼球が再生したのかと思ったよ……」


「池袋は今、暴力の空白地帯。そこであんたがやろうとしている計略には俺も喜んで参加する。どうせ江さんを巻き込むんだろ? あの人はあんたには逆らえない」


 ……同じ話を、ふたたび聞く必要性を感じない。


 俺は美紫メイズの言葉を遮って物語を進めるのだった。



「…………ホウヮ?」声が一段大きくなった。美紫メイズは目を丸くする。



「俺に一体なにが起こっている?」

 これだけで十分だ! 諸々のことは、端折はしょらせてもらう。



「……さぁねえ。本人にわからないことが他人にわかるはずもないじゃないか」

 美紫メイズは笑っているのか、怒っているのか、不思議な表情で銘柄も解らぬ煙草を取り出し悠然と火をつける……見覚えのある光景だった。


美紫メイズ。あんたは俺になんらかの価値を見いだしている。だから、不可侵のルールを破った。そして四六時中、俺に監視をつけた」


「うぬぼれるんじゃない。おまえにそんな値打ちはないよ。ただ一人の男に似ているって偶然……それ以外にはね」旨そうに最初の一服を吐き出す。


「俺に似てる? だったらそいつは相当、いい男なんだろうな」

「クックッ、おまえがそんな冗談を言えるとはねぇ、ヒロユキ」


 年末ではあるが辺りは閑散としている。横浜中華街には正月が二度訪れる。華人にとっての本番はあくまで旧暦の春節であり、新暦の1月1日の元日はお飾りだ。それほどせわしなくもない。





「……っとまあ、窟の成り立ちなんてものはそんなもんだよ。どうだい? 拍子抜けしただろ? 都市伝説みたいな囁きや怯えなんか只の妄想さね。だけど、その発端になった男がいる。これがまた気が弱くて取り柄のない男でねぇ。金も無いのにお洒落だけはいっちょ前にイギリス紳士を気取ってた。まぁ、人が良いだけの冴えない優男だったよ……少々神経症の、ね」

 そこから先は、俺が初めて聞く話だった。



 今から60年も昔の出来事で、それは寓話の【伝聞でんぶん】のようであり色っぽい低音を響かせるジャズみたいでまるで現実味がなかった。



 かつて、海外で肩を寄せ合い固い絆で結ばれていたはずの華僑たちが、真っ二つに割れた。

 中国共産党を支持する『大陸支持派』と国民党を支持する『台湾支持派』のイデオロギー対立である。その溝は深く血生臭い、同族同士の深刻な亀裂となった。紅衛兵(共産支持学生)が中華街を練り歩き、反対派がそれを迎え撃ち、罵声を浴びせる。

 子供達が通う学校も対立する両者に分かれ時に騒動がおこり、神奈川県警機動隊が出動する事態にまで陥った。今尚、横浜には華僑を代表する【華僑総会】と呼ばれる公的組織が二つ存在する。


「けれどね。裏社会は割れなかった。一人の男が突如、まとめ上げたのさ 」


 裏社会は表の影。通常ならばその対立の構図は同様であるはずだった。であるが、もしも裏社会の、その流儀で抗争になれば、もっと惨たらしい状況になっていただろうと美紫は語る。



「おまえに似ていると言っただろう? そいつが冴えなくて気が弱い男だったんで、みんな驚いたもんさ」……どうにも引っかかる言い方だ。


 その後、対立を抑え乗り越えて両派が協力し合い、関帝祭や春節などの年中行事を運営し学生を含め住人達が中国伝統芸能で共演するまでに融和し現在の横浜中華街へとつながってゆく……らしいが……


「で、具体的に俺のどこがどう、その冴えない男と似てるって言うんだ?」

 歴史の授業のようで面白い話でもない。俺には関係のないことだった。


「今でもねぇ、心を病んで、その男が変わってしまったんだと私は疑っているんだ。その男がまず最初にしたのは、自分の目玉をくり抜くことだったよ」










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