珍しく夕方から池袋の街にサラサラと粉雪が舞っていた。俺はスチールのゴミ箱に片足を置き、むき出しの室外機が
ひとひらの
「マッチ……じゃなかった。ホストはいかがですか?」
声をかけられて迷惑そうに、眼鏡のオフィスレディーは足早に立ち去っていく。
うう~ん。ひさびさの空しい感覚。新宿でスカウトをしていた頃を思い出す。働いている芝居だけでも見せなければと必死に声をかけていた。やる気は無くとも百人に嫌な顔をされると精神的にかなり堪えた。
風俗エステや闇金業者、脱法ハーブ店などがひしめく雑居ビルの上階の2フロア。
そこを足掛かりとして、池袋に本格進出を決めたのである。
蛇の目はこれまで縄張りの拡張ましてや東京への野心など持ったことはなかった。おかしな話だがあらゆる意味での共存こそ彼らのスタンスだった。なので、蛇の目の存在を悟られまいと苦心していた。暴力団排除条例が施行され表立って活動できなくなったとは言え、数も力も圧倒的なヤクザが乗り出してこないかどうか慎重に見極めたうえで、ようやくゴーサインがでた格好だった。
時期も良かった。
タイミングとしてはベストだった。微罪で捕まった人間が釈放されても、この一大イベントの真っ只中、普段懇意にしている連中は、国際的な華僑同士の取引、決済、準備に大忙しで、関わり合いになる余裕はない。互いに結束し反撃を策謀する前に、こちらは一夜城とは言え、拠点を築けたのである。
「てめぇ。誰に断ってここで客引きしてんだ?」
ここで俺の天才的な才能が開花した。こんな場面では必ず絡まれる。汗から暴力を引きつける誘引物質でも噴出しているのだろうか?
相手は日本語のあやしいチンピラだった。怒って当然。昨日今日の店が自分たちを差し置いて自前で客引きを始めたのだ。彼らも生活がかかっている。
右肩を突き飛ばされた。相手は一人ではない。後ろにもいた男が半身になった俺のシャツの肘をつかみ振り向き様に殴ろうとしている。ゆっくりと……
俺の顔面にパンチが届くまでには、半日位は掛かるんじゃないだろうかと思った。
事前に乾電池を握っていた拳で相手の唇と鼻の間の急所を素早く突く。
「うっ!」男は顔を押さえた。
華奢な俺が先制攻撃を仕掛けてきたことに驚いたようだが、肩を突き飛ばした男がすぐさま臨戦態勢に入った。かなりの腕力がありそうだ。いくらスローモーションに見えても捕まれば俺は確実に負けるだろうが……
路上に薄く積もった雪に、鮮血がほとばしり、紅白のコントラストを作る。
その男の太ももには、針金が突き刺さっていた。針金ですって!?
「うちら、ジャンファミリーですけどなにかご用ですか?」
刺したのは少年で、その後ろには同じような年格好の少年が数人控えていた。
二人組のチンピラは恐怖で顔を引きつらせ、その場を逃げ去って行った。
「ヒロユキさん。めちゃめちゃ効率良すぎっす。これで何人ホイホイしたんすか?」
少年の集団ではあったが、彼らは蛇の目の指揮下にある。今夜はグループを組んでそれぞれ美人局のようなキャンペーンを展開していた。しかし針金って……
果たしてこんな策動で黒幕はおろか中華街で襲ってきた連中にさえ辿り着けるのか甚だ疑問だったが、青木やひも野郎も、この地味な遊びに嬉々として参加している。
そもそも
無論、いまだに在日中国人の大半が福建幇(ぱん)であることには変わりないが、彼らによる犯罪増加でイメージが悪くなり入国が著しく厳しくなった。そのかわりに東北三省からの華人が増えて、池袋だけに限定すれば主流派は寧ろそちらに傾きつつある。
東北三省出身者は比較的、日本社会に溶け込みやすく、それに付随してやってくる大連マフィアは統率がとれている。
つまり、
……がまあ、
勝手にマフィア同士殺し合えばいい……とさえ思っている。
俺が興味があるのは……そんなことよりも早くバラックに帰って眠りたい。
一眠りしないと明日、デイビスから店番と子守りを頼まれている。
接客なんてものは初めてだが悪い気はしない。
あれ? 俺がキャンディー貿易商会の店番をやるのはこれが初めてだ。
あれ? …………ロンジョイが訪ねてくる? あれれ???