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第58話 空白の池袋⑥

「兄ちゃんは中国人かいな?」

「いえ、生粋の日本人です」

「そうか。中国人の経営者に雇われとるわけやな?」

「いえ、経営者は米国人です」

米国人べいこくじんっ!? なんやようわからんけど……これもろとくわ」

「毎度あり~♪」

 関西から観光に来たというおじさんから代金を受け取り、俺は笑顔で見送った。



 春節がやってくる。


 中華圏における最も重要とされる祝祭で陰暦の元日を意味する。今年は2月5日がその日にあたり、前日からカウントダウンが開始され、数日イベントが催される。

 古代中国を尊ぶ彼らの概念では、干支までもあくまで春節を基準に変更される。



 当日は爆竹がけたたましく鳴り響き、伝統の獅子舞、採青ツァイチンで五色の獅子がコースに分かれて練り歩き、銅鑼や太鼓に合わせて舞い踊る。その姿は華やかで、あたりは一種独特の雰囲気に包まれる。

 期間中は、山下町公園で春節娯楽表演が随時開催され、獅子舞・龍舞・舞踊・中国雑技などの中国伝統芸能が観客を魅了し、最終日のクライマックスにはパレードの祝舞遊行しゅくまいゆうこうが華やかな皇帝衣装隊と獅子舞や龍舞のダイナミックな演技で有終の美を飾る。



 ……要するに、中華街最大の稼ぎどきで、デイビスは会合やら寄り合いに忙しく、キャンディー貿易商会の店番と子守を俺が頼まれたわけであった……とほほ。


「ヒロユキ商売上手じゃん」candyキャンディーが珍しく褒めてくれた。


 売り物があるので、騒いでは父親に叱られるらしく、candyキャンディーはここでは大人しい。そして客が来ると隠れてしまう。こっちに来たので話しかけようと後ろを振り向くがもういない。あれ? ミーアキャットのように店の奥に引っ込んでいく。


「珍しい物を置いている店だな」

 なるほど、また客が来たわけか……俺は正面に向き直った。




(ロンジョイ……)

 声には出さなかった。多少の修羅場を経て、度胸が据わったからだろうか。

 今日もスーツでビシっ決めている。古臭くカビの生えた古風なスタイルを現代的にアップデートしたようなデザインだ。詳しくはないが、洒落ているのはよくわかる。


「お久しぶりです。珍しいですね、こんなところに来るなんて」


「不思議だな。中華街で私が話しかける相手は限られている。怖がられる。寿町ではなくこちらにまぎれ込んだ普通の日本人。それが珍しくてヒロユキとはよく話した。だがそれだけの認識しかなかった」 



「俺は変わりましたか?」

 どうだろうか。内部ではなく、他人から見た自分にも変化は顕著なのだろうか。


「少なくとも私が知っているヒロユキではない」

「その日暮らしが嫌になって稼ぎたくなったんです……あれやこれやは窟に指示されやっています。体のいい使いっ走りですよ」


「たしかに絵を描いたのは窟だろう。それぞれの組織を熟知していて、タイミングも良い提案だった。だが窟は不可侵。本来であればそんなことをするはずがない。……ヒロユキ。おまえは、殺人を平気で犯す人間でさえ、窟に対してなぜ一歩引くのか、その本質も恐ろしさもなにもわかってはいない」



 マフィアのほうがどう考えても直接的に恐怖の対象ですけれども?


 ……いや、本質的な意味においては、何者に対しても俺は真実を知る立場にないのだろう。だがしかし、日常という平穏が、水の底から地上に見えるくらいには深く、俺は底に沈んでいる。ヘドロの中で汚れるのは、寸前と言うところか。


波寧ポーニンちゃん。間違っても吹き矢で狙ったりするなよ。この男は甘くない)


 俺は義眼にロンジョイの姿を写した。目の前の男がその気になれば余計な恐怖さえ感じる暇も無く、俺は死ぬ。覚悟が違う。生まれの不遇にかこつけて人生をななめに眺めてはいっぱしの不良を気取っている偽物じゃない。俺のような偽物じゃない。

 ……絶望と深い悲しみ。



「折角だから、何か買っていったらどうです? 俺も時給もらってるんで」

 俺が陽気にセールストークを仕掛けると、ロンジョイは少しだけ目を細めた。



 ……重圧をはね除ける、強靱な決意。



「まことにありがとう御座います。またのお越しをお待ちしております」

 お買い上げは、ピンホールシャツの襟元を止める純金のカラーバーだった。

 ダイヤモンド付き。さすがはお目が高い。思い切りふっかけてやった。



「ヒロユキやるじゃんっ! 」


 candyキャンディーがマジックハンドをニギニギ巣穴から出てきた。

 売り上げを見て目を丸くする。


 そっ! ヒロユキはやるときはやるんだよ!















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