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第55話 空白の池袋③

 中華街はカラリと晴れた。

 昨夜も降った、池袋における暴力と喧噪の雨が、嘘みたいに平和な朝だ。


 それはそうなのだ。二つの世界はパラレルワールドであり異次元なのだ。

 池袋の暴力も中華街の混沌もそれは並行世界の出来事で、決して交わらず干渉することはない。俺は花と花を行きかう蝶々にすぎない。


 ハンモックから抜け出し仲間に声をかけ、雪香シュエシャンの店で朝食を食べた。酒はやめておいた。どうも最近は胃腸の調子がよろしくない。


 だが大寒だいかんこうの空はどこまでも澄んでいて気持ちがいい。腹ごなしに店を出た。ガチャコン。今日は広場には誰もいない。缶コーヒーに口づけをした。

 微糖にすればよかった。甘ったるい。



 ベンチに座る。いっちょ手品でもやってみよう。


「ハイ! 封筒に万札を何枚か入れるしょ? 周りには誰もいません。後ろを向いて10秒待ちます。1 2 3……9 10~~ハイ!」

 振り返ると封筒は消えていた。


 どうやら俺は天使に好かれているようだ。美紫メイズから命令された行動監視ではあっても俺は何度となく危ない所を助けられている。尾行中にタクシーに乗る金も持っていないのではこちらも困るので、近頃はこうやっていくらか献上している。

 あれから姿は見ていない。

 ……空から降ってきたピンクベージュのショートカットの女の子。







「こんな寒空にこんなところで待ち合わせか。駅前のカフェがよかったな」

 羅森ラシンが不満を言いながら先程まで封筒があったベンチに座り込む。


「たまにはいいだろ? 騒がしい店は落ち着かない」

 ガチャコン。俺は資料を手渡し自動販売機で羅森ラシンの分のジュースを買った。


「仕事量がまた増えたな。ご祝儀相場も終わって報酬は極めて現実的。だがそろそろこちらのキャパシティーの限界になりそうだ」

「現実的な報酬はこれからも継続の意思表示だろ? とりあえずこれ以上は増えないそうだ。ご不満?」

「不満はない。いやもうなくてはならない収入源になっている。でもね、ヒロユキ。鎌倉英二は相当に危険な男だ」

「十分に承知している。鉄玉と出会った瞬間からな」

「資料の中には彼が所属する広域暴力団のアキレス腱も含まれている。つまり、自分の親玉の弱みを握ろうとしているようだ」

 羅森ラシンは俺に渡されたジュースを顔をしかめながら飲んでいる。コーヒーのほうがよかった? ごめんね。だけど、親玉のアキレス腱を狙ってるのはあんたも同じだろ?



「弱い奴はいつだって切り捨てられる。そんなの社会でもやくざの世界でも同じだ。自分の身を守る保険の意味もあるんじゃないのか? まあ、状況が変われば積極的にそれを使って親を食い殺そうって算段があるのかもしれないけど……」

 俺は甘ったるい缶コーヒーを飲み干した。



 羅森ラシンが俺の目を不思議そうに眺めてくる。片方は義眼ですよ?



「…………なにがあった? まるで別人だ」

「特別なにもないよ。ちょっとばかり忙しくはなったけど」

「そんなはずはない。池袋でやっていることはなんだ? いっぱしのアウトローだ。なにがあった? どうやってあんな集団を組織できた?」


「ん? あーあんなのハリボテだよ。瘦せっぽちの蝶が羽を広げてるだけさ、実態なんかない」


「実態がない?」


「中身は鉄玉の子分とチンピラ、それと事務所がある新宿の華僑。池袋には暴力団の本部もあるから鉄玉が表に出るわけにはいかない。同じ理由で新宿チャイナタウンも表にはでない。それじゃあ、華僑同士の縄張り争いになっちまう。それとバラックの連中もアルバイトで参加してる。皆、本業が忙しいから参加者はバラバラ。顔ぶれが毎回変わるから逆に巨大な組織だと錯覚する。ま、人数の水増しだ。微罪で捕まった赤怒羅魂レッドドラゴンが釈放されたら謎の男が仕切るジャンファミリーが居座ってるって寸法さ」


 立て板に水の俺のおしゃべりに、羅森ラシンが目を丸くする。


「つっても、実際そこで商売を始めるのはスネークアイの一芳イーファンって男だ。そいつはマフィアだとは認識されていない。どんな商売をするにも暴力の後ろ盾が有るのと無いのとじゃ大違い。それを利用してあらゆるシノギをかけるそうだ。つまり、実際は蛇の目の縄張り拡張大作戦ってわけ」



「……ヒロユキ。おまえは悪党になる決意をしたのか? それとも正義の味方にでもなったつもりか?」


「ん? 勘違いするなよ。計画の絵を描いたのは、あんたのボスの美紫メイズだぜ?」





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