春だというのに凍えるほどの冷たい雨が降っていた。赤い提灯が灯り、その斜光を受ける泥臭い小路に膝を抱えて座っていた。
バチンっ! いきなり平手打ちされた。
顔をあげたら、世の中にこんなに美しい女がいるものか、とただ思うだけだった。
「ひねくれるのもいいけど、食べなきゃあんた死ぬよ? 隣を見てみな!」
横を向いたら、さっきの男が俺のことなど視界の隅にも置かず、ただがむしゃらになにか食っていた。なるほど。俺を助けたのはこれが目当てだったかと妙に納得し、チャイニーズってのは逞しいものだなと感心する。
けれど、
逃げ延びたのはよかったが足をやられちまった。そんでこんな所に迷い込んだ。
気持ちが萎えて、もうなにもかも、どうでもよくなっていた。
なのに冷たい雨に打たれ、その空虚な悟りさえすぐに壊れた。
女がもう一発、身構える。恵まれた人間というのはどうしてこう間違った親切心を押しつけたがるのだろう? だけど叩かれた頬がじんじんと暖まっていた。そこから熱が伝わり、口中の感覚と嗅覚が再生された。鼻がひくひくと動く。
肉だかなんだかわからないこまぎれと野菜くず、そこに米が入っていた。
鍋というよりおかゆだろうか。その割には米の量がすくなすぎだ。
もう一度、殴られる前に箸をとり、俺は夢中でかき込んだ。
「私の彼氏が使ってる簡易宿舎があるよ。2,3日払っといたから」
女はそれだけ言うと、赤い傘をくるくると回し立ち去ってゆく。
強烈な西日が昔のことを思い出させていた。この店は場所が悪すぎる。
西日はその家の金運をなくすそうだ。風水の基本だぞ?
遅ればせながら、
だからブラインドにしなよ。根本的な解決になってない。
「そっかぁ、じゃあヒロユキ君は、candyちゃんの命の恩人なんだね」
「うん。ちっちゃいときに三輪車で道路に出ちゃって、車に轢かれそうになったの。だからパパはヒロユキがお腹が減って死にそうになったら、ご飯を食べさせてあげてたの。でも最近は生意気にお金を稼ぐようになってキャンディー貿易商会でお買い物もするようになって、お得意様なの」
「ぷはっ! 命の恩人なのに生意気なんだ」
マリアと
鉄玉と別れた後、新宿御苑で昼日中の緑でも眺めようかと考えたが思いとどまり、やはりそのまま帰ることにした。混乱していたがそんなことでは整理が付くとも思えなかった。車内は空いてて難なく座れ、流れる景色をただ眺めた。ふと気がつけば、俺の周囲の席だけ誰も座らず、やけに空いているのに気がついた。
ベビーカーを携えた若い母親と目が合った。彼女は驚いたように目をそらせた。
ポケットに手を突っ込み手鏡で確認したが、義眼は上品に収まっていた。
臭いのか? 風呂には入ってるし服も清潔だ。なにせ金には困ってない。
どうやら相当に怖い顔をしていたらしい。
「パパ、遅いねぇ~。
「パパは強いから頼られてるの。会合のときはいつも遅くなるの」
「元兵隊さんだもんねぇ」
「うん。マリーンは世界最強っ!」
扉が開き、疲れた顔のデイビスが入ってきた。まず目を泳がせ、
米国人が苦手な
「とんでもないことになったな」
それだけ言うとデイビスは、西日をまぶしそうに顔を歪めたのだった。