街を歩く。とぼとぼと歩いた。匂い? この街のいつもとは違う香気が、微粒子の単位で混じり込んでいる。それは殊更、改めて確認するまでもなく、自分には縁遠い寛大でありながらも拒絶する、幸せというなにか……
普段は閑散としてる道を選んでみても、メインストリートから膨れあがり弾かれた親しげな恋人や家族連れがそこにもいる。さっきの微粒子の正体だった。バラックはもう自分の孤独を癒やしてはくれないのだろうか? だとしたらなんの為に俺は今、そこに向かっているのだろう。
ふいに足が止まり、俺は南東の方角に手を合わせ拝む。
通り過ぎる人たちが俺を眺め怪訝そうな顔をする。
だけどそんなことはどうだっていいことだ。
降って湧いたようなセンチメンタルに自分でも驚いている。吸い込んだ冷気が全部悲しい予感に変わりそうな夜だ。疲れている。酒でも飲もう。そしてどうせなら……
今夜、
明日のことなんか考えなかった、以前の俺のように……
バラックに辿り着くと、錆び付いた放置自転車のサドルの上で、
「遅かったじゃんっ! ヒロユキ君。あれ? 江さんは? 二人とも遅すぎるから、紹興酒ちょっと飲んじゃったわよ」
マリア……どうしてマリアがここに居る?
わけも分からずテーブルに着くと、ハート型のフカヒレとローストチキン代わりの北京ダックがいきなりでてきた。
ぼったくる気まんまんだなっ!
だけど、そのどれもが出来立てだった。(本当に予知能力があるのかよ?)
紹興酒を飲むと胃の辺りに灯りが灯る。じんわりと冷えた体に染み入っていく。
いつもの拒絶反応はなく、忘れていた食欲を、素直に思い出させるだけだった。
マリアの側の窓辺には小さなツリーがちんまりと置かれ、飲みきりタイプの紹興酒の小瓶が7本並んでいる。これのどこがちょっとなのかは理解に苦しむところだが、ちょっとの基準も人それぞれなのだろう。ガラスの向こうには月に照らされた裏路地の埃っぽい道がキラキラと輝いている。
「……
「えー自分から誘っといていいかげんねぇ」
「いつから連絡を取り合ってたの?」
「このまえここに来たときにアドレス交換して、それから毎日プロポーズされたわよ。途中から弁護士さんも入ってきたけど」
……
「それでね……はいこれ!」
マリアがテーブルに封筒を置いた。
「なにこれ?」
「引っ越しにそんなに必要なかったから……私、そんなたいして協力してないし……警備員のおっちゃんとお菓子食べながらした話とか、去年のイブのデータとか、害虫駆除業者の名前とか、フロアに出入りする人とか。そんなことで、ヤクザを捕まえられるのかしら? それよりもヒロユキ君の妹さんの役には立ったの?」
……ほぼ必要な情報のすべてだな。なにが窃盗のプロフェッショナルだよ。
紹興酒を煽る。だが目をつぶる必要もなかった。
義眼の表面を流れるように映像が浮かんでくる。
探すのはピンクベージュのショートカットの女の子。推定、10歳。
新宿駅の向かいのホーム。
メインストリートの雑踏。
四川料理店の二階窓。
曲がり角に設置されたカーブミラーにも映ってる。
カフェチェーンの女子高生の陰に……etc.
おおよそは窟で話がついた直後からだ。そして、
――――ビルに侵入するときに持ち込んだ箱――――
「ありがとう。なにもかも納得がいった。悪い奴らはそのうち捕まるさ。それと……お陰様で妹は元気だよ。高いところからジャンプするくらいにはね。マリアちゃんは念願の引っ越しができたし問題はすべて解決した。だから今夜はじゃんじゃん飲んで食べちゃおう。なんだったらその封筒の中身、全部売り上げに貢献したっていい」
「そんな食べれないわよ。ふふ、それにしてもヒロユキ君、可愛い目してるんだね。いつもサングラスかけてるから、今日初めて見た」
「そうかな? そんなこと一度も言われたことなかったな」
片方は義眼だけどね。さぁて、左右どちらが本物でしょうか?
時は過ぎ、やがてカウントダウンが始まる。店の客全員にクッキーが配られた。
12時きっかりに パキッ 俺たちの未来が開かれる。
よかった…………今年のクリスマスは独りじゃない。