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第26話 覚醒後

「まぁ、聞いてくれよパァォリィー・シゥーペェィ。先日、ハプニングバーに行ってきたんだがな。どんなハプニングだったと思う? 箱の中身を知ってれば驚くことはないと考えるだろ? 本当に日本って国はクレイジーでパラダイスだ。いつも想像の遙か上をいきやがる。やぁ、あのハプニングと言ったら……ぷぷ」


 モグリの医者が深刻そうに捲し立てている。だがひも野郎の怪我は医者が懸念するほどではなく俺には見える。それよりも……額の白い包帯との対比で強調された深く蒼い瞳に、心配そうに甲斐甲斐しく付き添っているヤン・クイの姿が映っているのが気にくわない。


 そしてなんだかんだで俺がひも野郎に命を救われた形になった。

 ……それが、それが、それがとて~~も納得がいかないっ!    まじ卍。




 俺は病院を抜け出した。サングラスがお釈迦になって片目でも太陽がまぶしい。


「ヒロユキ。迷惑をかけたな」

 モグリ医者の話に付き合いきれなくなったのか、暴力装置が後からついてきた。

 珍しく有害ドラックのタバコなんかを吸っている。モグリでも院内禁煙なのだ。


 花火を見咎みとがめ、暴力装置が駆けつけたときにすべては終わっていた。

 凶漢きょうかんどもが消えた後、羅森ラシンもいつのまにか姿を消していた。

 それでも暴力装置(思うだけなら殴られない?)には事情が飲み込めたようだ。



 小火ボヤはある種のセオリー。


 今どきは大規模な抗争なんか起きやしない。相手のテリトリーで戦うなら戦力は3倍は必要だし、そうなれば警察も黙ってはいない。日本の警察は発砲に関しては特に神経過敏だ。国家権力が本気になったら、もはや賄賂は通用しない。


 だから一般人を動揺させる。所詮、マフィアとて大勢の無垢の民の経済活動にぶら下がっている存在に過ぎない。下層労働者の人材斡旋にしても、みかじめ料にしても皆から拒否されればそれだけで行き詰まる。収入が途絶え、屋台骨が崩れる。

 小火の繰り返しとはつまり、もっとも古典的な戦いのセオリーなのだ。



「夜回りにバラックの連中を使うのだけはやめてくださいね……」

 自分でも思いがけない言葉がもれた。最近の俺はどうかしている。


「心配いらない。マフィア同士で片を付ける。それにあの連中は役に立たない。警察のほうが余程頼りになる。加賀町警察署が個別に見回りを強化してくれる」

 ……マフィアが正義の味方に頼み事。でもそれは善悪抜きにその土地に根を下ろし同化して生きていることの紛れもないあかしだ。だがそうではない連中もいる……


 マフィア同士。マフィアに喧嘩を売るのはマフィアしかいない。


 一口に華僑・華人と言ってもその存在は出身地域、使用言語、同一姓、単純に帰化しているかいないかなど様々で、とても一括りにはできない。そこにイデオロギーや宗旨、信条を加えれば、実態は関係性が網目のように重なる複雑なコミュニティー。

 だが最近の一番の問題点はその形成時期だ。


 中国の改革開放以降、いわゆる1987・88年組と呼ばれる新華僑が新宿や池袋などで新たなチャイナタウンを作った。それは日本で生まれ育った四世・五世中心の老華僑とは決定的に違う。ひとつの皿に肉まんがふたつ乗ったような格好だ。

 縄張りとは一般的に理解されているのと違いシミュレーションの国盗り戦国ゲームのようにきれいに色分けされるものではない。その構造はもっとずっと立体的だ。

 福富町などは一見、福建省出身者を中心とするチャイナタウンにも見えるが実際に風俗店に投資しているのは韓国人オーナーが多く、実質コリアタウンと化している。


 突き詰めれば、縄張りはシノギ(収入を得るための手段)の違いであって地域性ではない。蛇の目のメンバーは新宿にもいるし、逆に日本のヤクザがチャイナタウンに食い込むこともある。今回の事はそのシノギ(得意分野)がぶつかったに過ぎない。





 ……とまあ、隣の男がタバコを一本吸う間に、俺はそんな風に考えたのだが、基本どうだっていい。バラックの仲間さえ巻き込まれなければそれでいい。

 マフィアはマフィア、ヤクザはヤクザ同士。好きに殺し合ってくれて構わない。

 ただまあ、隣の男はマフィアらしくない。

 迂闊なことを言った俺を、殴りはしない。


 不思議だが俺はこの男の名を知っているような気がする。

 知っていて思い出せない。そんな気がする。

 そんなことはありもしないのに……













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