「クックッ……それでここの地下には迷宮があってダンジョンをクリアすると財宝が手に入る……クックッ、孫やひ孫がそんなゲームに夢中だよ。自慢じゃないがゲームくらい年寄りでもやるさ。それよりなんだい? アヘンだって? いつの時代の話をしているのやら、クッ。小僧にからかわれたんだよ、おまえ……クゥクックッ」
紫の髪の婆さんは足に胸がつくほど体を折り曲げ笑っている。俺は頭をかいた。
「華僑がこの街を作って150年。うん。確かに昔は色々あったよ。異国で生きることはそれだけで辛い。華人でも、少数民族はもっと辛い。ベトナム、ミャンマー、カンボジア、パキスタン、ネパール、インド……印僑だね。みんないろいろな事情を抱えてやってきた。弱いモノは集まるしかない。うん。確かに昔は色々あった」
歴史の授業を聞きに来たわけじゃない。はいそうですかとは帰れない。
「あのときは助けてもらいました。その力を貸して欲しいんです。ビジネスがしたいんです。誰もが得をするように。誰も損をしないように」
「ビジネスだって? 日本人のおまえとかい?」
「江が窓口になる。俺は、江のパートナーだと思ってください。ここには江が使う言葉を話せる人がいる。江と同郷がいる。基本的に江が全て責任を取ります」
俺の背中を燃えるような目で睨んでいるのを感じるが知ったことじゃない。生きることは厳しいことだと教えてくれたのは兄弟だぜ? どうする……金は欲しいだろ?
「ジャン……?」
江が紫の髪の婆さんのまえに歩みでて、跪いた。
「非礼をお詫びいたします。偉大なる母なる大木よ。この男は悪人ではないですが、兎に角、頭が悪いのです。教養もない阿呆なのです。力も金もなく、死にそうな所を慈悲の教えに従い助けてやった私への恩を仇で返す畜生です。分不相応にこの街一番の娼婦に惚れております。いつもその女の前で格好をつけ、連れ合いにライバル心を燃やしております。金を作りその娼婦を身請けでもするつもりなのでしょう。だから偉大なる母なる大木のご加護をもって私を救ってくださいましたご威光を恐れ多くも今回利用しようとさえ考えております。話を聞く必要はございません。つきましてはこの間、召し上げられました時計についてなのですが、なんとかその保証を……」
「……ジャン、すこしお黙り」
江は押し黙った。
「ジャン。おまえが故郷で3人の女を孕ませたのが15歳の時だね。だがおまえは偉かった。逃げだそうとはしなかった。父親としての役目を果たそうとしている。盗みはしても欺しはしても血脈を裏切ってはならない。時計を返して欲しいなら舌を置いていきな。意味はわかるね? そうだね? いい子だ。私に少し考えがある。おまえは適当に話を合わせて、逐一この男を監視して私に知らせておくれ」
交渉は穏便に進んでいるようだった。例えそれが先ほどの老人の井戸端会議程度の情報収集能力だったとしても、形だけは動いてもらわなければ、鉄玉の手前がある。
俺は、隠し持っていたとっておきの秘策を繰り出すことにする。
「美紫。あなたのことをこれからそう呼ばせてください」
名前を知らなきゃ適当につければいい。それがここ最近、俺が学んだことだった。それに美しい名をつけられて喜ばない女はいない。……それがたとえ年寄りだったとしてもっ!
「美紫? クックックッ、いいだろう。話だけでも聞こうかね……」
※
「あなた様が気になさるような男には思えません。ぶつかりかけて道順を変えられたトリックにも気づいてはいません。単なる出来損ないの軟弱な男です」
いつの間にか、浅黒く小柄な男が美紫の側にいる。
「生意気を言うんじゃないよ、羅森。顔を見られたね? おまえは出来る男だがすぐ調子に乗るのが悪い癖だ。おまえはもう使えない。波寧を呼びな。江なんぞ頼りにならないからあの子に見張らせる。あの男の目が気になるんだよ。昔、出会った男によく似ている。こちらから近づこうと思っていたら向こうからつま先をだしてきた。こういうのを、日本語ではなんて言うのかねぇ? 私は窟に戻ってすこし休むから、あとの細かいことはおまえが差配しなっ!」
跪く羅森は、ただ身を固くしたのだった。