「江……………………さん」
状況は把握できないが、ひも野郎のクソ野郎がどうして急に親切心を起こしたか、については納得がいった。30人はいるはずの一階の住人は誰もおらず、ゴミ袋みたいに地面に転がされた江と数人の男たちがそこにいた。一目でどういった種類の人間なのか分かる。ただ……俺が毎日、小突き回されびびっていた連中よりも――寧ろそいつらをびびらせていた――さらに凶悪な人間に……俺は献上されたのだった。
(ウゥー)這いつくばっている江を抱き上げると、少しだけ声を漏らす。死んではいないようなので、ほっとして、正面にいるリーダーらしき男になにか言おうとして、喉の奥の塊がそとにはでない。
「おっと! そこの中国人のでかいおっさん。それ以上は近づくな」
俺の存在を無視して、俺の背後に話しかける。それと同時に細長く見たこともない冷たい得物をまっすぐに突き出した。
「ここでもめ事は困る」
俺と江の体に大きな影がかかった。
「おっとっと。怖い怖い。すまねぇ言葉足らずだったな。俺たちはなにもこの庭場を荒そうなんて思っちゃいない。今回は正当な理由があってお邪魔した。蛇の目? 蛇の目? ん~ともかくスネークアイか? あんたらのボスにも話は通してある。要件がすめばすぐに帰る」
ボスと言うキーワードで、影はそれ以上、大きくなることはなかった。
「君がヒロユキくん? 名前からすると日本人だよな? えらくマニアックな場所にすんでるねぇ。君にも危害を加えるつもりはない。つうか、どちらかと言うと正義の味方かな? ほらよっ!」
そういうと、俺のまえに封筒を放り投げてきた。こぼれた数枚の一万円札が映る。
「君から盗んだっていうもんでね。強請るのに丁度いいカモが、ネギしょってやってきた? そこも問題じゃない。若いのに仕事熱心なのは感心だよ。聞きたいのはさ、それが本当かどうかだ」
「……いや、たしかにこれは俺の金だけど……」
「うん。ありがとう。それは君の金だ。どう? やっぱり正義の味方だったろ?」
「どうして?」
「うちの会社に、金を闇で送金してほしいってこいつが飛び込んできたのよ。それはいいのよ。そういう商売してっからさ。問題はさ、こいつが先月、ある人から時計を一本ぎった。そこなんだよ」
俺は大体のことがわかってきた。
「財宝の地図が入ったマイクロチップが埋め込まれた代物なぁんて、ややこしい話じゃないんだ。出所祝いに組長から頂いたもんでね。そういうのわかるだろ? 面子とか仁義の問題なんだ。まあ、ありがとう。少なくともこいつはそのことについては嘘を吐いてなかったってわけだ。もう少しだけ痛めつけりゃ吐くでしょ。お騒がせしたね。そこの中国人のでかいおっさんも悪かったね。あんたみたいな人とだけはやりあいたくはないな。みんなに言っとくよ。異界で悪さしたら、怖いから気を付けなってな。ほなさいなら」
そうなんだ。こいつらにとって100万円は端金なんだ。そして、問題の発端は江の盗みが原因なんだ。理解できる。理解できるぞ。たしかに碌なやつじゃない。そりゃここに紛れ込んだ俺に最初に声をかけてくれたのはこいつだ。でもその恩義の何倍もたかられた。やっぱり碌でもないやつだ。本当に碌でもないよ。でもさ……
俺は江の頬をなでた。赤く腫れあがっている。赤く……ぼこぼこにはれ上がってる。顔だけじゃなく頭や首や体中が、ぼこぼこにはれ上がってる。
俺は立ち上がった。
「あ? やっぱり気になった? いや俺が抜き取ったわけじゃない。95万って半端だよな。わかる。最初は帯封付きの100万だったんだろ? でもこいつが持ち込んだときはこの状態だったからなぁ。よしっ! わかった。5万円、俺がだしてやる。出血大サービスだ。君にも迷惑かけたしな。ここで揉めたくもないし」
一応は獲物を俺に向けたまま、財布を手探りしている。
筋が通っている。この男の話は筋が通っている。悪いのは江だ。
まったく碌なやつじゃない。碌なやつじゃない……けどよ。
ここまで……なにもここまで、 ……殴ることはねぇだろうがよ!
「がぁぁぁぁぁぁぁああああああ」 そして太陽は、半分だけになった。