「ヒロユキ。なにか悪いことでもあったか?」
男が声をかけてきた。俺は首だけをひょいと下げた。
ダークサイドでは紫ババアの他に日本語を喋れるやつは居なかった。諦めきれず、
「
正確にはここ日本なんですけどね、と心の中で呟きながら、目には敵意を浮かべない。それだけの判断力は戻ってきた。一瞬だけ
「なにか問題があれば私に言え。そのために私がいる。ただし窟はだめだ。特に紫の髪の
「? ……えーっと……えーっと……あなた様でも……あんなのが恐ろしい?」
「おまえでいい。私に名前はない。もしなにかあったら、あの女が犬っころみたいに生んだ子や孫に24時間、四六時中狙われる。食い物や飲み物に毒を盛られる。数はネズミの運動会」
「ひぇ~~~」
なんだ? ネズミの運動会って? あぁ、噂くらいは耳にしたことがある。だけど都市伝説の類だと思っていた……
それよりなによりよくよく考えてみれば、ダークサイドに近づくだけでいつもならびびってたはずだ。それはもうションベン漏らすくらいに。金を失い、やはり冷静さを欠いていたようで……やばいよやばいよ。ところで名前がないってなによ?
「蝶の目って知ってます?」
人の命は地球より重いことを思い出した俺は、興味の矛先を変えていた。
「ホウヮ? (
「ちゃいますよ。映画で言葉覚えるタイプなんっすね。あの……こう……なんて言うかな。菜の花にとまるほうの
俺はスキップしながら手をばたつかせた。その時、
「ヒロユキっ! こんなところに居たのか探したぞ。ジャンが大変だ。すぐバラックに来てくれ」
ジェスチャーゲームを遮り、ひも野郎が駆けつけてきた。女に客が付くとこいつは自分のねぐらを追われ、バラックに寝泊まりする。金があるから2階の個室だ。なので、普段は俺たちハンモックを見下しているが、どうやら気まぐれに親切心を起こしてくれたようだ。
「
100万を思い出した。両手を羽ばたかせて、俺はバラックまでガムシャラに走り出したのだった。