白狼公ガルディウスの遠吠えが、森全体に響き渡った。
その一声で、木々が揺れ、風が巻き起こる。
まるで森全体が、彼に応じて呼吸しているかのようだ。
彼に従うダイヤウルフたちの咆哮も重なり、空気が震える。
その圧力にリオトたちは全身に鳥肌が立った。
目の前の敵が、単なる強敵ではなく、途方もなく強大で圧倒的な存在と力を持つことが、彼らの本能に
「深淵の力よ、我が声に応じ、守護の壁を築け――シールド!」
ベルノスの叫びと共に、黒い光が渦巻き、リオトたちを包み込む。
シールドに守られているという感覚がわずかに安心感を与えるが、それでも相手の力が
(この相手に、本当に勝てるのか……?)
リオトは手札のカードを確認した。
4枚のスペルカード……それをどう使うかが勝敗を左右する。
相手のほうが戦力としても、そして数でも勝っている以上、数を減らすしかない今――手元のスペルカードに視線を移し、リオトは戦術を練り上げる。
彼の頭にはゲーム時代の記憶がよみがえるが、この世界ではその記憶がどこまで通用するかは分からない。
だが、今は迷っている暇はない。
「闇の呼び声を使う……!」
リオトは決断した。
闇の呼び声は、一定範囲内の敵を拘束するスペルだ。範囲は狭く、効果時間も限られている。
だが、この一手で、白狼公ガルディウスの動きを封じ、まずは彼に従うダイヤウルフたちを倒すことができれば、
「闇の呼び声ッ!」
リオトがカードを発動すると、周囲の空間が暗闇に包まれ、白狼公とダイヤウルフたちを絡め取った。
その闇は、まるで生きているかのように、敵を拘束し、動きを封じ込める。
『ぬぅ……!小癪な……』
「……時間は少ないかもしれないが、今がチャンスだ!」
ガルディウスの怒りの声が森に響く。
だが、彼の巨体ですら、その霧から逃れることはできなかった。
黒い霧が彼の巨体を絡め取り、その動きを封じ続けた。
ダイヤウルフたちも同じように絡め取られ、動きを止めている。
(よし……これで少しは時間が稼げる)
リオトはその様子にほっとするが、まだ油断はできない。
リオトの予想では、ガルディウスだけの動きを封じるはずだった。しかし、ダイヤウルフまで動きを封じられたのは嬉しい誤算だった。
だが、リオトはこの異世界でどれだけの効果が持続するか分からない。ゲーム内であれば数秒から十数秒の拘束だが、この現実世界ではどの程度の効果があるのかは未知数だ。
それでも、今、攻めるしかない。
リオトは決断を下し、仲間たちに指示を飛ばす。
「ベルノス! 邪神のしもべ、ナイトシャドウ・ウルフ! ダイヤウルフを倒せ!」
リオトは剣を握り締め、自分自身も深淵の従僕たちとともに、一匹のダイヤウルフへ向かって突進する。
しかし――
「......くっ!」
ダイヤウルフの鋭い眼差しを前に、リオトは思わず手が震えた。
剣を振り下ろすが、その一撃は思うように力が入らず、相手の分厚い毛皮に弾かれる。
キャインッ。
悲鳴を上げるダイヤウルフの声が、リオトの心に深く突き刺さった。
(無理だ……命を奪うなんて、無理だ……!)
その瞬間、頭痛と共に彼の中で過去の記憶がよみがえる。
かつて育てた子犬――黒いチワワが最後を迎えた瞬間。
その時の後悔が、彼の手を縛っていた。
(くそっ……こんな時に……!)
リオトは頭痛とその
だが、戦場は彼に
「リオト様! 闇の呼び声の効果がっ……!」
ベルノスの叫びに、リオトは現実に引き戻される。
闇の呼び声で拘束されていたダイヤウルフたちが、次々に動きを取り戻し始めていた。
(まずい……! 時間がない)
予想よりもはるかに速い、いや、リオトの戦場での体感時間が甘かった。
周りを見渡すと、何体かのダイヤウルフたちが倒れている。見た限りで四体。
だが、その数は予想以上に少ない。
リオトがうだうだと考えているうちに、深淵の従僕がリオトを後方へと引き戻す。リオトが攻撃に失敗し、とびかかろうとしていたダイヤウルフから彼を守るためだ。
リオトはベルノスの傍にまで引く。
『よくも舐めた
ようやく闇の呼び声による拘束から解放されたガルディウスが怒りをあらわにし、大きく遠吠えをすると、木々から緑色の小さな光が収束し、かの狼の輝きが増す。
(まずい……!強化バフだ!)
生き残ったダイヤウルフ四匹もガルディウスに合わせて今にもとびかかってこようと周りをぐるぐると距離を詰めながらにらみを利かしてくる。
ナイトシャドウ・ウルフや深淵の従僕たちが威嚇しているものの、効果は薄い。
――そして、戦況はガルディウスが駆け出すと共に、戦況が一変する。
**********
「うぉおおおおおおおお!」
ベルノスが杖を構え、白狼公ガルディウスの突進を迎え撃つ。
白狼公の巨体から繰り出される攻撃は、凄まじい衝撃とともに、呪文のシールドが砕き、ベルノスが
それでも彼は、なんとか立ち上がり、ガルディウスの猛攻に耐え続けていた。
しかし、その動きは徐々に鈍くなり、シールドの光も次第に弱まっていく。
「リオト様っ!私が何とか白狼公を抑えます!その間にダイヤウルフを......!」
ベルノスの声が響くが、リオトの耳には遠く感じられた。目の前で繰り広げられる戦場、彼の頭の中には混乱と恐怖、そして焦りが渦巻いていた。
自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
何をすべきか、どう動くべきか、頭では分かっているはずなのに、体が動かない。
視界は次第に狭まり、目の前の戦場がぼやける。
記憶がフラッシュバックし、ゲームの知識と現実の戦いが交錯する。
「……っ!くそっ……!」
頭の中は、恐怖と焦りで埋め尽くされていた。
ベルノスの苦しむ姿が見えるのに、自分はどうすることもできない。思考が止まり、呼吸も浅くなる。
「くそっ……くそっくそっくそっ!」
言葉にならない声が漏れる。
だが、その瞬間、ベルノスが再び白狼公に立ち向かう姿が目に入った。
(今、俺が動かなければ……!)
その一瞬でリオトの中に決意が生まれる。
体が震えているが、剣を握りしめ、仲間たちに指示を飛ばす。
「邪神のしもべ! ナイトシャドウ・ウルフ! ダイヤウルフを一匹ずつ抑えろ! 深淵の従僕は、三人で一匹を抑えろ! 後の一匹は俺が……倒す!」
自分に言い聞かせるように、叫びながら剣を構えた。
先ほどの失敗が彼の心に重くのしかかっていたが、今はもう迷っている暇はない。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
リオトは雄叫びを上げ、手負いのダイヤウルフに向かって全力で突進した。
そして、全力で剣を振り下ろすが、再びダイヤウルフはその一撃をかわした。
(避けられたっ!?)
すぐに剣を構え直そうとするも、ダイヤウルフのほうが早く、リオトの左腕に牙を立てた。
「うぅぁぁッ!」
強烈な痛みがリオトの体を貫く。
牙が深く食い込み、血が流れ出す。
ダイヤウルフが
ダイヤウルフがリオトの左腕に噛みついたまま、頭を激しくふり、左腕をかみちぎろうとする。
リオトは痛みに耐えながら、右手で剣を持ち上げ、必死に反撃しようとする。
しかし、ダイヤウルフの分厚い毛皮に剣は阻まれ、思うように攻撃が通じない。
「くそっ、くそっ……!」
だから――
リオトは剣の
『キャインッ!』
ダイヤウルフがひるんだその瞬間、ダイヤウルフの体を押しのけてリオトは体勢を立て直し、再び攻撃に出る。
「うぉおおおおおおおおおおおお!」
リオトはダイヤウルフに飛びかかり、力の限り剣を振り下ろした。
今度はその刃が深々とダイヤウルフの体に突き刺さる。
ダイヤウルフは苦しみもがきながらも、次第にその動きを止めていった。
「……殺した……」
リオトは息を切らしながら、小さくつぶやいた。
初めて命を奪った瞬間、彼の心には言葉にできない喪失感が広がっていた。
だが、戦いはまだ終わっていない。
ガルディウスとベルノスの戦いの叫び声が彼の意識を現実に引き戻す。
『グゥォオオオオオオオオオオオ!」』
「うぉおおぉおおおおおおおおお!」
リオトは剣を引き抜き、再び立ち上がった。
「まだ……終わらない……!」
リオトは剣を握りしめ、再び仲間たちのもとへ向かう。
**********
リオト達がダイヤウルフたちを次々に倒していく中、白狼公ガルディウスは
ベルノスは傷だらけの体で立ち続けていたが、その限界は明らかだった。
彼の息は荒く、手に握る杖も今にも折れそうなほど力が入っている。
「ッ......アビサルブレイドッ!」
『ぬぅっ!』
ベルノスの叫びと共に、彼の杖から暗黒の剣が走り、白狼公にかすめ傷を負わせる。
だが、それでもガルディウスの
そのタイミングで、ベルノスの元へとリオトが駆けつける。
「ベルノスッ!」
ベルノスは弱々しくもかすかに笑みを浮かべ、リオトの存在に安心したかのように頷く。
「……リオト様……ご無事でしたか……」
ベルノスの声はかすかだが、戦いの激しさが彼の
「ああ、だけどほかの配下達はもう戦えないから下がらせて周囲の警戒に当たってもらっている。深淵の従僕の二人やられてしまった」
「そうですか......っ!?左腕に……傷が……よく見れば他にも血が……」
息切れしながらも、ベルノスはリオトの負傷を気にかける。
「気にするな、ベルノス。ほとんどは返り血だ。痛みももうない。それより、遅くなってすまない」
リオトはベルノスに謝るも、その言葉には自分がここにいることに対する決意が込められていた。
「いえ……
ベルノスが呪文を唱え、リオトの傷口を覆うように白い光が立ち上がる。
しかし、リオトの傷は浅かったものの、ベルノス自身の深い傷は依然として残ったままだ。
「リオト様……白狼公ですが……私一人では到底勝てぬ相手です……」
ベルノスの声には悔しさと疲労がにじみ出ていたが、そこには頼る者としてリオトに信頼を寄せる強い意志も込められていた。
「ベルノス……最初からお前一人に任せるつもりはない。ここからは二人で戦うんだ。俺たちなら……どんなレジェンドユニットにも勝てる」
リオトの言葉には迷いがなく、戦う覚悟が決まっていた。
ベルノスの目に映るリオトの姿は、
「……っ! ようやく……覚悟を決められたのですね、リオト様……」
ベルノスは深い呼吸を整え、リオトの
「ベルノス、俺たちはこの試練を乗り越える!」
力強く頷き、ベルノスは杖を支えに再び立ち上がる。
その瞳には、もはや迷いはなかった。
「リオト様、共にこの試練を乗り越え、勝利を掴みましょう!我らに与えられた使命を、全うしましょう!」
彼の声には再び力が宿り、その体を包む魔力が一層強く、輝きを増していく。
リオトもまた剣をしっかりと握り直し、白狼公ガルディウスに向き直った。
そして――
白狼公ガルディウス対リオトとベルノス。壮絶な戦いが、今まさに幕を開ける。