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啼勾会③

「……ここにSを入れれば、南香薔薇の催眠作用は消えるんだよね?」


「ああ。今咲いてる花は無理だろうけれど、次に咲く花からは消えてるはずだった」


「じゃあ、入れようか」


「は?」



 気落ちしながら語る陽に、ちょっと申し訳ない心地で話す。


 困惑する陽の目の前で、私はボディーバッグから直方体のケースを取り出した。


 両手に乗るほどの大きさの鉄製の箱。


 上下と四隅の角以外はガラスになっていて、中に青紫の液体が入っている。



「モモ……それって」


「うん、本物のSだよ」



 実は、陽に渡したのは私が作った偽物。


 私が薔薇姫かもしれないって思った頃から作っておいた。


 もしかしたら悪用する人の手に渡るかもしれないって思って。



 ケースや試験管はいつも調香の道具を購入してるネット通販でも買えたし、あとは見た目を同じにすればそんなに難しくはなかったから。


 ただ、うっかりいつものクセで無水エタノールに薔薇の精油を足してしまったけれど……。


 本当に奪われることになるかなんてわからなかったし、まあいっかってそのまま入れておいた。


 まあ、香りに関してはみんな気にしていなかったから良いよね?



「ごめんね、騙して。でも陽、私を置いて一人で行っちゃいそうに見えたから」



 だから、返してくれって言われたとき偽物の方を渡した。


 一緒に行くなら、直前で謝って交換すれば良いよねって思って。



「うっ……実際に置いてったからな。俺も約束破ったし、モモばかり責められねぇよ」


「じゃあ、お互い様ってことにしよう」



 お互いに苦笑を浮かべて、私はケースからSを取り出す。


 すると陽も立ち上がって近くに来た。



「陽、私がやるよ。休んでて?」


「いや、俺も一緒にやりたいんだ」



 とはいうものの、やっぱり辛いのか少し私の体に身を預けてくる。



「悪い、このままでも良いか?」


「うん、大丈夫」



 お互いに片腕を腰に回すようにして支えて、もう片方の手で青紫色の液体の入った試験管を持った。



「……Sを使って、あの人たちに仕返しされないかな?」



 少し不安で、聞いてみる。


 あの人たちはSが無くなったと思っているだろうから大丈夫だと思うけれど、催眠作用がなくなったことでNが作れなくなったらおかしいって思われるんじゃないかなって。


 でも、陽はちょっと考えてから「大丈夫だろ」と答える。



「甲野はSが無くなったと思ってるし、Sの効果が出るのはどんなに早くてもワンシーズン後だ。その頃にはここにある南香薔薇は移動してるだろうし、そうなったら場所を変えたせいじゃないか? って言い張ることも出来る」


「それで大丈夫なの?」


「大丈夫だって。元々安定供給出来るほど開発は進んでいなかったんだ。南香薔薇に一番詳しい父さんたちがいない以上、原因も調べようがない」



 確認する私に陽は自信満々で頷き、「それに」と付け加える。



「催眠効果がなくなってNが作れなくなっても、元々の目的だった薔薇の効果を高めた状態ではあるんだ。Nほどじゃなくても金になるものだってことは変わりないからな」


「そっか」



 私が納得すると、陽は促すように機材へ目を向ける。


 つられて私も目を向けて、一緒にSを機材にセットした。


 そして陽が開始ボタンを押すと、コポコポと液体が吸い込まれていく。



「……なんか、初めての共同作業って感じ」


「え?」



 どういう意味? と顔を上げると、いたずらっ子の顔をした陽が熱のこもった目で私を見下ろしていた。



「次の共同作業のときは、モモのウェディングドレス姿で出来るといいな」


「っ、そ、れって……」



 結婚式で、ってこと?


 まさかのプロポーズのような言葉にドキドキと胸が高鳴る。


 これ、返事するべき?


 というか、OKしていいの?



「そ、その前につき合ってることをお父さんたちに言うべきなんじゃ……?」



 あれ? 言うべき、で合ってるよね?


 いや、その前に義姉弟でつき合って大丈夫かって聞くところ?


 あまりに胸の鼓動が早くなりすぎて混乱してきた。



「ふはっモモ、かわい」


「えぇ?」



 こっちは真面目に悩んでるのに!


 私をからかっているような陽を睨み上げると、今度は妖しく危険な雰囲気の陽になる。


 また違った意味でドキリとした私に、陽は艶やかに笑った。



「両親に言って良いんだ?」


「だ、だって。そういうことするなら言わなきゃでしょ?」


「反対されるかもしれなくても?」


「それは……」



 その可能性はないとは言えない。


 でも、お父さんたちなら多分許してくれるんじゃないかなって思うし……。


 そうは思っても不安もあって言葉に出来ないでいると、陽の長い指が私の顎を上向かせた。



「ま、反対されても諦めねぇけど」



 危険な、獲物を狙う肉食獣の目が私を射貫く。


 腰に回っている陽の腕に力が込められて、逃がさないと捕らえられる。



「萌々香……俺の光……俺にとって、最高の女」



 燃えるような、私の心を溶かしてしまうような熱を秘めた目が近づく。



「萌々香しか、いらない」



 呟いた唇が、私の吐息を吸い取った。


 唇を舌が割り入ってきて、すぐに深いところまで絡め取られる。


 私の全部が欲しいと、深くむさぼるようなキスで訴えてきた。



 でも、私が良いよ……と応えるように受け入れると、途端に甘く優しくなったキス。


 抱き合って、私たちは何度も唇を重ねる。



 鼻腔に届いた薔薇の香りは、今までで一番好ましい香りをしていた。

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