「あまり時間を置くと、俺の記憶が戻ったことを勘づかれるかもしれない。だから、明日の夜にでも南香街に行こうと思う」
「うん、わかった」
そんな会話を交わして、私たちは翌日いつも通り学校へ向かう。
極力普段と同じように過ごしていたけれど、夜のことを考えると緊張して授業に身が入らなかった。
陽は普段から学校での人気者とSudRosaの総長を使い分けていたからかな?
休憩時間や昼休みに見た様子ではまったく緊張しているようには見えなかった。
ともあれ時間は過ぎるもの。
放課後になって、私は陽を待ちながら夜のことを考えていた。
荷物はあまり多くない方が良いよね。
でもあれは絶対に持っていかないとだし、スマホは必須だし……。
指折り数えながら考えていたけれど、今日の隣のクラスはHRが長引いたのかなかなか終わらないみたい。
景子と加藤くんはそれぞれ部活に行っちゃって、私だけ一人教室で陽を待っていた。
しばらくすると隣のクラスが騒がしくなってくるのを感じる。
ドアが開く音も聞こえて、そろそろ陽も来るかな? と鞄を持ってちょっと待ってみた。
でもいつもなら飛んでくるような陽が来なくて疑問に思う。
誰かに引き留められてるのかな?
そう思って私の方が隣のクラスへ向かったけど、教室に陽はいなくて……。
「あ! えっと……藤沼さん?」
「え? あ、えっと……」
声を掛けてきたのはよく陽と一緒にいるサッカー部の男子生徒だ。
クラスが一緒になったこともないから、顔は覚えていても名前が曖昧で出てこない。
「これ、陽が放課後になったらあんたに渡してくれってさ」
「え?」
渡されたのは封がされた質素な手紙。
なんで手紙?
スマホでメッセージ送れば早いのに。
「陽は? 陽はどこにいるの?」
「は? あいつは昼に早退したぜ? 義姉なのに知らねぇの?」
「え? なにそれ、知らないよ!?」
早退するなんて聞いてない。
昼食のときまではいつも通りだったのに、どうして私に黙って……。
なんだか嫌な予感がして、私は陽の友達に問い質そうとする。
「じゃあ俺部活あるから!」
でも声を上げる前に彼は走り去ってしまった。
確かにサッカー部の練習ならもう始まってるだろうし、無理に引き留めても陽の居場所を知っているとは限らない。
私は気を取り直して、さっき受け取った手紙の封を開けた。
【南香薔薇のことは俺の問題だから、やっぱり俺一人で行く。萌々香を危険にさらしたくないんだ。ごめん】
しっかりと書かれた文字は陽の決意も表れているよう。
私の心配をしてくれるのは嬉しいけれど……。
「約束したのに……やっぱり、一人で行くつもりだったんだ」
悔しくて、ギュッと掴んだ紙にシワがつく。
でも、もしかしたらこうなるかもしれないとは思ってた。
約束をしたとき、陽はかなり迷っていたから。
だから私は……。
「っ! こんなことしてる場合じゃない」
ウソをつかれて悲しいとか、一緒に行かせてもらえなくて悔しいとか、そんなことは後回しだ。
昼に陽が南香街に向かったんなら、順調にいけばもうSは使われているはず。
順調にことが済んだなら、きっと私が心配しないようにメッセージくらいはくれると思う。
なのに陽からは何の連絡も来ていない。
それはつまり、順調にいかない何かがあったってことだ。
理解したと同時に、私は走り出す。
すぐにでも南香街に行きたかったけれど、どうしても必要なものがあるからいったん家に帰った。
必要なものをボディーリュックに詰めて、すぐに家も出る。
向かうのは、南香街立ち入り禁止区域。
この間SudRosaにお披露目すると言って連れて行かれたあの施設。
スパイシーな薔薇の香り――Nの香りが薄く広く香るあの施設に、きっと南香薔薇の栽培場所がある。
詳しい場所はわからないけれど、施設内を手当たり次第に調べればどこにあるかくらいはわかるかもしれない。
「あ、でも認証しなきゃ行けないところがあるんだっけ?」
南香街禁止区域へと向かうフェンスをくぐり抜けるとき、陽の話を思い出す。
二年前、認証登録されているのが陽だけだったから記憶を消されて手駒として利用されたんだって。
今では甲野の手下も登録されているらしいけれど、私は当然登録なんてしてないから行けるわけがない。
「どうしよう」
困ったけれど、だからといって向かわない訳にはいかない。
私はとにかくあの施設へ向かおうとまた走り出した。