「お医者さんも問題ないだろうって。本当に良かったわ」
「まったく、大げさだって……」
念のためにと、病院に行った陽たちが帰ってきたのは私が夕飯を作り終えた頃だった。
ずっとニコニコしているお義母さんに、陽はいい加減うざったくなって来てるみたい。
でも本気で嫌がってる感じでも無いから、照れ隠しなのかも。
そう思うと、いつもと違ったかわいさがあるなぁ、なんてほのぼのとした。
お義母さんから連絡をもらっていたらしいお父さんも今日は早めに帰ってきて、久しぶりにみんなで夕飯を囲む。
お父さんも陽が記憶喪失だったことは知っていたみたい。
陽が教えてくれなかったら、私だけが知らなかったってことだよね?
それを不満として伝えたら「すまない、どう離せば良いかわからなかったんだ」と困らせてしまった。
ずっと黙っているつもりだった訳じゃないみたいだし、謝ってもらったから許すことにした。
そうして家族団らんの時間を過ごして、寝る前に陽に声を掛けられる。
「モモ、ちょっと部屋に行って良いか? 話があるんだ」
「あ、うん。いいよ」
答えて部屋に招いてから、話ってもしかして保健室で言っていた『続き』のことかな? と思い出す。
え? あの甘い雰囲気の陽とキスの続きをするってこと?
え? 今家だし、一階に両親いるんだけど!?
あのときのドキドキを思い出して一気に体温が上がった私だったけれど……。
「モモ……やっぱり薔薇姫はモモだった」
ベッドに二人で腰掛けた途端、陽は私の予想とはかけ離れた言葉を真剣な表情で告げる。
「え? 薔薇姫……?」
予想していなかったことを言われて一瞬なにを言われたのかわからなかった。
「なんだよ、忘れたのか? 啼勾会の会長・甲野に言われてSudRosaが探してる桃色の髪の女のことだよ」
「あ、うん。忘れてないよ」
慌てて話を合わせる。
そ、そっか。
記憶が戻ったら薔薇姫のこともわかるかもって言ってたもんね。
「薔薇姫が私……」
改めて口にして、信じたくない気持ちもあったけれどやっぱりって思いの方が強かった。
啼勾会にとって重要なものを持ってるという薔薇姫。
それが私だとすると、やっぱりあの黒髪の男の子から預かったものが……。
「薔薇姫が持っているっていう啼勾会にとって重要なものってのがさ、Nの原料である南香薔薇って花から催眠作用のある成分だけを消してしまえる薬だったんだ」
そうして、陽は二年前のことを話してくれた。
南香薔薇を研究していた父親のこと。
Sを使おうと思って禁止区域に入ったら、見つかって追われてしまったこと。
私と出会って、Sを預けたこと。
笙さんにNを使って記憶を消されたこと。
「そう、だったんだ……」
あの黒髪の男の子が陽だったなんて……。
髪の色も今と違うし、もっと幼い顔してたから……まず同じ歳だとは思ってなかった。
それに、笙さんのことも。
アイコンタクトで意思を伝えられるくらい信頼関係があると思っていたけれど、陽の記憶を消したのが笙さんだったなんて……。
三白眼の大人っぽい落ち着きのある笙さんの姿を思い出す。
陽のことを話したとき、一瞬見せた悲しい目。
あれは、もしかしたら陽の記憶を消したことを苦しんでいる目だったのかもしれない。
陽も、辛いんじゃないかな?
今の話を聞いた限りでも、結構仲の良い幼なじみだったみたいだし。
心配もあるけれど、どう声を掛ければ良いのかわからなかった。
「モモ……あのときモモに預けた薬、今も持ってるか?」
「あ、うん。もちろんだよ」
とても必死そうに預かって欲しいって言われたもの、勝手に捨てられるわけない。
「良かった……返してくれるか?」
「うん、もちろんだよ」
答えて、私はあの青紫色の液体を入れてあるチェストへ向かう。
でも途中でふと思いついたことがあって振り返った。
「あ、でも一人で使おうとか思わないでね? 行くなら私も一緒に行くから」
「え……?」
一人で行こうと思ってたのか、陽は困惑気味に眉を寄せる。
やっぱり言っておいて良かった。
「なに言ってんだ? 二年前だって危険だったんだ。モモを連れてなんか行けねぇよ」
「危険だからだよ。もしまた見つかったら、今度は記憶を消されるだけじゃすまないかもしれないでしょ?」
そんな危険があるのに、陽一人だけで行かせる訳にはいかない。
「それは……でも、俺が記憶を取り戻したことは知られてない。なにも知らないフリをして薬を使えば――」
「心配なの! ……お願い。一緒に行くって約束してくれなきゃ薬は返さないよ」
私が一緒に行ったからって、役に立つかはわからない。
むしろ足手まといになるかもしれない。
それでも、一人で待っているなんて出来なかった。
「モモ……」
困らせてるのはわかってる。
でもこれだけは譲れないって意思を込めて私は陽の黒い目を見つめた。
戸惑いに揺れる目が一度閉じられて、ふぅーと長く息を吐く。
そして諦めの笑みを浮かべた陽は、ゆっくり頷いた。