「何があったのかもわかんねぇ。ただ、目を覚ましたら記憶が無かった」
生活する分には問題なかったけれど、周囲の人の記憶や、それまで自分がどういう風に過ごしていたのかとかまったくわからなかったと話す。
お義母さんのことも記憶になかったから、今もよそよそしい雰囲気になってるって聞いて、納得した。
反抗期かと思っていたけれど、そういう理由だったんだ。
「でさ、目覚めたとき目の前にいたのが啼勾会の会長・
記憶の無い陽にはそれが本当なのかも分からなくて、甲野に従うしか無かったんだって。
自分の立ち位置がわからなくて、不安で、どう考えても悪い人間にしか見えない甲野だったけれど、他に頼りに出来る相手がいなかったって……。
「だから今もSudRosaの総長として……甲野の手下として働いてる」
なんでも無いことのように淡々と話す陽だけれど、その目には色んな感情が揺らめいているように見えた。
もしかしたら、今もその不安はなくなっていないのかもしれない。
確かな自分というものがないから、どう振る舞えば良いのかもハッキリしない。
そういうことなのかもしれない。
「でもな、甲野を完全に信用してるわけでもない。だから、薔薇姫のこと――モモのことは黙ってた」
「あ……」
薔薇姫という単語が出てきて、そういえばここに連れ込まれたのはその話をするためだったと思い出す。
自分で質問しておきながら、薔薇姫のこと忘れかけてた。
「この間ここでモモの髪見て、すぐに俺たちが探してる薔薇姫だって気づいた。でもモモが、啼勾会にとって重要なものを持ってるとは思えなかったし……」
グッと眉を寄せ、陽は「何より」と続けた。
「甲野が薔薇姫を探す理由なんて碌なものじゃないに決まってる。あいつなんかにモモを渡せるかよ」
「陽……」
やっぱり、陽は私を守ろうとしてくれてたってことだよね?
だから、黙っててくれたし周りにもバレないように外でウィッグ外さないようにって言ったんだ。
私が本当に啼勾会が探している薔薇姫なのかはわからない。
でも、その可能性は高いんだと思う。
そのことに不安はあるけれど、今は陽の気持ちが嬉しかった。
「……俺の記憶が戻ればさ、薔薇姫のことも色々わかると思うんだ」
嬉しさに胸をいっぱいにさせていると、陽がどこか妖しい雰囲気を纏わせて私を見る。
「は、陽?」
ベッドに手をついて、ジリジリと近づいてくる様子もなんだかおかしい。
妖艶な笑みに、嬉しさでいっぱいだった胸が弾けるようにドキドキと鼓動を打った。
「モモってさ、ホント良い匂いだよな?」
「へ? な、なに?」
なんで今私の匂いの話になるの?
疑問に思っている間にも、陽は私との距離を縮めてくる。
「なんで俺がこんなにモモの匂い嗅ぎたいのかわかる?」
「わ、わかんないよ」
良い匂いだから嗅ぎたいって言われてたけれど、それだけの理由で本当に人の匂い嗅ぐとか普通しないと思うし。
でもそれ以外の理由なんて陽本人にしかわからないし、私は聞いたことない。
心の中でわからない理由を並べ立てていると、陽の片手が私の肩に置かれた。
そのまま陽の顔が首筋に近づいて、陽はスゥッといつものように私の匂いを嗅ぐ。
「ホント、良い匂い……どこかで嗅いだことのある匂い」
「え?」
「記憶に無いけどさ、モモの匂い嗅いだことがある気がするんだ」
「そう、なの?」
そんなこと、初めて聞いた。
「だから、モモの匂い嗅ぐと思い出せそうなんだ」
「それでいつも私の匂いを嗅いでいたの?」
吐息が首筋にかかって、くすぐったいのを我慢しながら聞き返す。
「ん、そう」
頷いた陽の金の髪が頬に当たって、ムズムズする。
そんな私の首筋に、陽はそのままチュッとリップ音を立ててキスをした。
「んっ、陽っ!?」
「こないだ言ったろ? こうすると、モモの匂いが強くなるって」
「ひゃうっ!」
言葉の後に今度は柔らかい湿ったものが首筋を撫でた。
舐められたと思ったときには、肩を押されて私の背中はベッドについてしまう。
倒されたことで離れた陽の顔は、情欲に満ちていた。
私を見下ろす目が獲物を狙う獣の目になっていて、私は反射的にゾクリと身を震わせる。
「モモ……」
低い声で切なげに私を呼ぶと、陽は自分の制服の首元を緩めた。
同じ手で私の首元を緩めようとする陽に、私は一つ問い掛ける。
「陽……もしかして、最初からこういうつもりでここに連れ込んだの?」
人の目がないところでしなきゃならない話題を出したのは私だ。
でも、この場所を選んだのは陽。
元々は帰るつもりだったと思うけど、話をする場所をここに決めた時点でそういうつもりだったのかな?
それで嫌いになることはないけれど……ちょっと、モヤッとする。
でも、陽はばつが悪そうな顔をしながらも否定した。
「いや、初めは本当に話をするだけのつもりだったんだけど……やっぱこの部屋入ったらこないだのこと思い出しちゃってさ。ムラムラしてきたって言うか」
「なっ!?」
カァッと顔に熱が集まる。
私自身思い出しちゃったから人のことは言えないけれど、それで本当にその流れにするとか。
ちょっとどうなんだろう? って思っていたけれど、陽は真剣な目をして「それに」と続けた。
「俺、モモのことマジで好き。それがわかったから、本気で欲しくなった。モモの心も体も、全部が欲しい」
「っ!」
「大事にしたいって気持ちもあるから、モモが本気で嫌なら止める。……モモ――萌々香は、俺のことどう思ってる?」
そう問い掛けてきた陽は、危険さをはらんだ妖しい笑みを消し、嫌われるのを怖がるような子犬みたいな目をしてた。
ズルイ……。
そんな顔されちゃ、拒めないよ。
……それに。
「私も陽が好きだよ。かわいい陽も好きだし、危険な陽は怖いけど……どこか惹かれちゃう」
陽への感情がなんなのかなんて、最初から答えは決まってたんだと思う。
怖いと思った危険な陽のことも、受け入れてしまっていた時点でもう沼にハマっちゃってたんだ。きっと。
「だから……いいよ? 私も、陽が欲しい」
恥ずかしい気持ちを何とか抑え込んで、笑顔で見上げる。
でも陽は私をジッと見たまま固まってしまったから、抑え込んでいた羞恥が湧き出してきた。
「……そんなに見ないでよ」
両手で顔を隠して文句を口にすると、「かわいすぎ」と言葉が降ってくる。
指の隙間から覗いてみたら、陽は片手で口を覆っていた。
頬がほんのり染まってて、耳が赤い。
照れてる陽は、やっぱりかわいかった。
「モモ……ホント、今の俺自分を制御出来るかわかんねぇよ? 途中で嫌だって言われても、多分止まれない」
最終確認のように聞いてくる陽に、私は顔から手をどけて答える。
「それでも、良いよ。陽が欲しいって言ったでしょ?」
流石にもう笑顔でなんて言えない。
顔は隠さないけれど、恥ずかしすぎて目は見ていられなかった。
「っ! モモ!」
「あ、んぅ」
耐えきれないといった風に呼ばれて、すぐに唇が塞がれる。
理性なんて捨ててしまったかのような、乱暴なキス。
でも、ひたすら私を求めてくれているのを感じて、嬉しかった。
深いキスの間に、陽の手が私の髪に梳き入ってくる。
唇が離れると同時にウィッグも外されてしまった。
「はぁ……キレイだ、萌々香」
「んっ……陽は、カッコイイよ」
嬉しさと照れ隠しで言葉を返すと、今度は優しいキスが降りてくる。
ふわりと陽の薔薇の香りがして、私は腕を彼の背中に回した。
「萌々香の匂い、好きだ」
「私も、陽の匂い好きだよ」
キスの合間に、交わし合う。
「なんだそれ。初めて聞いた」
「そうかな?……そうかも」
クスクスと笑いながら、触れ合った。
たくさん好きと言って、たくさん愛を囁いて。
そして私たちは、お互いの香りを求め合った。