ガチャッと音を立てて部屋のドアが開いた。
「悪いモモ、待たせた」
「陽……」
最後に見たときとは真逆のかわいい陽が部屋に入ってきて、私はホッと緊張を緩めた。
笙さんは一通り話をすると私にこのままここで待っていろと言い残していなくなってしまった。
……不審には、思われなかったよね?
桃色の髪の女――薔薇姫を探していると言った笙さん。
去り際の笙さんの様子を思えば、ちゃんと誤魔化せたと思う。
桃色の髪の女。
それって、もしかして私のこと? って思った。
珍しい髪色だし、実際周りで私と同じ髪色の人を見たことは無い。
その薔薇姫って人は染めていて、私とはまったく関係ない人だってこともあり得るけれど、私だっていう可能性はかなり高い。
でも、私かもしれないとは言えなかった。
ずっと隠していたことを信用出来るかどうかもまだ分からない相手に言うきになんてなれなかったし。
それに笙さんは薔薇姫が啼勾会にとって重要なものを持ってるって言っていた。
それがなんなのかは分からないけれど、嫌な予感がした。
何か重要なものが一本の線で繋がりそうな気がしたけれど、その線はまだ少し宙を浮いているようで掴めない。
掴めなくて、分からないけれど、言わない方がいいって判断した。
だからあのとき私は、カラカラになった口を紅茶で湿らせてから『さあ、知らないです』と答えたんだ。
「モモ? どうした?」
「あ、ごめん」
つい考え込んじゃってた。
かがんだ陽のキレイな顔が私をのぞき込んできて、ハッとする。
「用事は終わったから、帰ろうぜ?」
「うん」
差し出された手を取って、立ち上がる。
とにかく陽の言う通り早く帰らないと。
ここは所々でNのスパイシーな薔薇の香りがほのかに香っている。
薔薇は好きだけれど、危険な香りでしか無いNの香りがする施設になんて長居はしたくなかった。
***
そのまま施設を出た私は、手を引かれたまま陽と暗くなった南香街禁止区域を歩く。
普通の街に見えるのに、人の気配が無い街はどこか怖い。
でも、握ってくれている手がなんだか心強くて安心する。
暴力をする陽は怖いけれど、同時に強いってことも知っているからかな?
街灯の明かりに照らされた陽を見上げる。
かわいい陽は太陽の光が似合うけれど、危険な陽は月やネオンの光が似合うのかもしれない。
つい素でかっこいいなぁと見とれていたらふと思い出した。
陽に髪色を知られた日、彼は『外ではウィッグ外さないようにするのは俺も賛成』と言ってた。
SudRosaが桃色の髪の女を捜してるっていうなら、どうして陽は隠すことを賛成するなんて言ったんだろう?
……もしかして、守ろうとしてくれた?
私の髪色を見ても薔薇姫を連想しなかったなんてことはないはずだ。
桃色の髪なんて、染めていたとしてもそんなにいないだろうから。
「……ねえ、陽」
「ん? なんだ?」
確かめたくて呼び掛けると、陽は明るい調子で聞き返してくる。
でもなんだかちょっと変。
なんて言うか、危険な自分を隠すように無理矢理明るい陽でいようとしてるみたいな……。
おかしいな。とは思ったけれど、ひとまず質問を済ませようと私は口を開いた。
「笙さんから薔薇姫のこと聞いたよ。桃色の髪の女ってさ……もしかして私と関係ある?」
「っ!」
「SudRosaは薔薇姫を探してるんでしょう? なのになんで陽は黙っていてくれてるの? なんで外ではウィッグ外すなって言ったの?」
息を呑み軽く目を見張る陽に、私は立て続けに聞く。
ちゃんと知りたいんだって、真っ直ぐ陽の黒い目を見た。
「もしかして陽は――」
「ちょっと待て」
続けて話そうとした私の唇は、陽の長い指で止められてしまった。
唇の感触への気恥ずかしさと、単純に動かすわけにはいかない状況に黙らせられる。
「あまり外でその話すんな。誰がどこで聞いてるかわからねぇから」
少し焦りを滲ませた様子の陽は、指を離すと周囲を見回して私の手を引いた。
歩き出した先は、とても見覚えのあるホテル。
「ちゃんと話すから、まずこっち来い」
「え? あ、うん……」
話をするために場所を変えるのはかまわないんだけれど、向かっている場所が場所だけにちょっと躊躇っちゃう。
だって、そのホテルでとんでもないことをしたのは、つい一週間前のことだったから。
前と同じようにフロントを顔パスで通り過ぎ、前と同じ部屋へと連れ込まれる。
そのままなんとなくベッドに二人で腰掛けると、話をしに来ただけって分かっていても緊張した。
は、話! 話をするだけだよね!?
「……んとさ。まず聞きてぇんだけど」
「う、うん」
陽にしては珍しく遠慮がちに聞いてくる。
さっきから続く違和感を覚えたけれど、別の意味で緊張状態だった私はただ話をうながした。
「さっきからモモが考え込んでるのってさ、薔薇姫のことが原因? 自分と関係あるのかどうかって」
「え? うん、そうだけど」
わざわざ確認されてキョトンとしてしまう。
それ以外に何かあったっけ? 無いよね?
答えると、陽は「はあぁーーー」と深く長いため息を吐いた。
「んだよ。もしかして別れたいとか思われてんのかなって不安になっちまったじゃん」
「へ? ど、どうしてそんなこと!?」
考えてもいなかったことに私の方が驚く。
っていうか、私が別れたいって言うかと思って不安だったとか……。
それはまるで、私のことを好きって思っているみたいじゃない。
独占欲はあるけれど、恋愛感情なのかはわからないって言ってたのに。
「いくら何でも江島をシメる現場見るのは怖いだろうと思って笙に連れ出してもらったけどさ、少しは見ただろ? 俺のことマジで怖くなって、つき合うの止めたいって悩んでるのかと思ったんだよ……」
ムスッと、ふてくされたように話す陽。
私は数回瞬きして答えた。
「確かに怖かったけど、陽は私が見なくて済むようにって配慮してくれたじゃない。そういう優しい部分にむしろ嬉しいって思ってたんだけど……」
「んだよ……あー恥ずい。嫌われたくなくて怖くないように意識してた俺バカみてぇじゃん」
本当に恥ずかしいのか、陽は両手で顔を覆って項垂れていた。
耳が赤い。
あ、じゃあさっきからなにか様子がおかしかったのはその所為?
無理して明るい演技してるように見えたのはその所為だったんだって気づいて、私は……。
どうしよう、陽がかわいい。
恥ずかしがって耳を赤くして、私に嫌われないように、なんて……。
それ以上はなんて言い表せば良いのかわからなかったけれど、とにかくキュンキュンが治まらなかった。
「で、でもなんで嫌われたくなくてとかって……陽、私に怖がられたとしても自分のものにするとか言ってたのに」
「……」
かわいい陽をもっと見ていたい気持ちもあったけれど、つき合おうって言った一週間前とは違った彼の様子がとても不思議だったから聞いてみる。
すると陽はジッと、私を見つめた。
「な、なに?」
「いや……うん、俺もただの独占欲だと思ってたんだけどな。モモとつき合えてから、なんかすげぇ嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「モモが俺の彼女になってる。周りにバレないようにって制限はあるけどさ、いつキスしても良い権利、モモがOKすればその先もしていい権利があるってのが嬉しい……嬉しくて、大事にしたいって気持ちが沸いてきた」
「っ!」
照れもせず、真っ直ぐ私を見て発せられた言葉の数々はこっちが恥ずかしくなるほどのもので……。
ドキドキドキドキと鼓動が早まる。
「だから、嫌われたかもって思ったら怖くなったんだ」
陽の長い指が私の頬に触れた。
真剣な目が私に真っ直ぐ向けられて、目が離せない。
陽のキレイな顔が近づいて、それと比例して私の瞼がゆっくり閉じられた。
ふわりと香る薔薇と共に触れた唇は、今までで一番優しくて、甘い。
内側から沸いてくる温かな感情が、幸福だと気づいた。
ああ……やっぱり私、陽が好きなんだな。
良い匂いだって言って、好意を向けてくれてる陽がかわいかった。
危険な陽は怖いけれど、怖いと思うのと同じくらいキレイで惹かれた。
恋愛感情なのかわからないって思っていたけれど、とっくに好きだったんだ。
「っはぁ……」
色っぽいため息を吐いて離れた陽は、ニヤッとワルい笑みを浮かべる。
「俺をこんなに惚れさせて、ワルい女だな、モモは」
「も、もう!」
ついさっきまでかわいい陽だったのに、ほんのり危険さを匂わせる陽に変わってしまう。
どっちも好きではあるんだけれど、振り回されそうで怖い。
「かわいかったり、危なかったり……どっちが本当の陽なの?」
「どっちだと思う?」
「へ?」
確かな答えが返ってくるとは思わなかったけれど、まさか聞き返されるとは思わなかった。
陽はからかうような笑みを浮かべつつ、かわいく見える黒い目を少し悲しげに細める。
「俺もわかんねぇんだ。本当の俺って、どんな人間だったのか」
「え?」
「記憶が無いんだ、二年前から」
「え……」
突然のカミングアウトに言葉が出ない。
どういう反応をすれば良いのかも分からなくて、ただ陽の話を聞いた。