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惑わす香り③

 強い、薔薇の香りがする。


 月明かりの下たたずんでいる陽は、金の髪を夜風に揺らせてゆっくりと私を見た。


 昏い笑みは、いつもの陽とは全く違う。


 明るくて、人気者で、私に懐いてくるかわいい義弟。


 それを仮面のように外した彼は、むしろ真逆の存在に見えた。



「……陽?」



 信じたくなくて、名前を呼ぶ。


 どう見ても目の前にいるのは陽だけど、あまりの違いに別の人の可能性を探した。



「あーあ、見られちゃった」



 でも、彼は昏い目をそのままにいつもと同じ笑顔を浮かべる。


 その笑みに、この人はやっぱり陽なんだと突きつけられた。



「でもいっか。こっちの俺を知られたんなら、もう抑える必要ないしな」



 無邪気に笑って、近づいてくる陽を怖いと思う。


 平気で暴力を振るって、昏い目に私を映して。


 怖くて、震えてしまいそうなくらい恐ろしいって思う。



 でも、どうしてか目が離せない。


 怖いのに、どこか惹かれてしまう。


 強い薔薇の香りのせいなのかな?


 それとも、嗅がされた香りで身体がおかしくなっているせいなのかな?


 昏い笑みを浮かべる陽を綺麗だと思ってしまった。


 目の前に立ち私を見下ろす陽は、頬に付いた血を袖で拭うと妖しい笑みを浮かべたままコテンと首を傾げた。



「で? いつまでそうやって座ってんの?」


「え……?」



 雰囲気は全く違うのに仕草はいつもの陽と同じで、どっちが本当の陽なのか惑う。


 いまだに身体が熱くて、思考がまとまらないことも原因だと思うけれど。



「それとも俺が怖い? ケンカして一人で三人のしちゃったからな。怖くて腰が抜けちゃった?」


「それ、は……」



 確かに怖い。


 でも、足に力が入らないのは別のことが原因だった。


 不良達に嗅がされたNに似た香り。


 あの香りのせいで身体がおかしくなっている。



「だとしても、逃がすつもりないけど」


「え? あっ」



 伸びてきた手が、頬に触れる。


 そのまま顎のラインを撫でるように指が動き、ゾクゾクとどうして良いのか分からない震えが駆け巡る。



「ぅ、はぁっ」


「……モモ? 何だ? 本当にどうした?」




 私の反応で普段と違うことに気づいたらしい陽は、綺麗に弧を描いていた眉を八の字に寄せ心配の声を掛けた。


 その垣間見えた優しさに、いつもの陽を感じて泣きたくなる。


 ケンカをする陽は怖い。


 不良達を嘲笑って昏く笑う陽は怖い。


 でも、私の知っている陽もちゃんと目の前にいる陽なんだって思えたら……なんとか耐えていたのもがあふれ出してしまった。


 だめ、身体の熱が全然収まらない。


 むしろ、もっと熱くなって……。



「モモ?」


「たす、けて……」



 様子をうかがうように屈む陽に訴える。


 こんなの、どうすれば良いのかなんて分からない。


 今、安心して助けを求められるのは陽だけで……だから私はすがるように彼のスーツの袖をつまんだ。




「そいつらに、なにか嗅がされて……陽、熱いの……助けてっ」


「っ!」



 なんとか絞り出して助けを求めると、陽はハッとして潰れている不良達を睨む。



「まさか、媚薬香? あいつらなんてモンを!」



 憎らしそうに睨み、声を荒げる陽に思わずビクッと震える。


 やっぱり、怖い。


 でもその恐怖も熱で惑わされどうでも良くなる。



「はるぅ……」



 自分のものじゃないみたいな甘い声が出てしまって、本当にどうしたら良いのか分からない。


 熱くて、苦しくて、悔しくて……ついには涙が零れてしまった。



「はるぅ、おねがぁい……」


「っ……はぁ、モモ……お前、すげぇヤバイ」


「ふぇ?」



 ヤバイって、何が?


 分からなくて、涙目のまま見上げる。


 陽の黒い目が、戸惑い以外の炎で揺れているように見えた。



「ちょっとだけ待ってろ。ちゃんと助けてやるから」



 ポン、と頭に手を乗せた陽は、そのまますぐにスマホを取り出し誰かに電話をし始めた。


 倒れてる不良達の回収がどうとか聞こえた気がする。


 でも、私は陽の言う通り待っている間も熱に浮かされていたからちゃんとは分からなかった。



「待たせたな」



 電話を終えて向き直った陽は、そのまましゃがんで立てない私を抱き上げる。


 重いんじゃないかな? とか、恥ずかしいなんて気持ちは浮かんだそばから熱に溶かされた。



「んっうぅ……」


「安心しろ、すぐに楽にしてやるからさ」



 ほんの僅かな刺激で一々ビクッとなる私に、陽は優しく声を掛けてくれる。


 だから、もう任せてしまおうって思った。


 そのまま近くのホテルに入った陽は、フロントに短く声を掛ける。



「上、空いてるよな?」


「あなたは……はい、もちろんです」



 止まることなくスタスタと歩いて行く陽は、フロントの男性の声を聞いているのかどうか。


 まるで空いているのが当然とばかりにエレベーターに乗り込んだ。


 重力に逆らう負荷がかかり、身じろぐとまたビクリと震える。


 耐えきれなくて、陽の肩に腕を回してすがった。

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