「んんぅっ!」
吸わないようにと息を止める前に、かすかに香ったのは薔薇の香り。
とても甘い香りだけれど、ほのかにNと似たようなスパイシーさを感じた。
Nとは違うのかもしれないけれど、何か関係のあるものなのは確かだ。
悪あがきのように息を止めて吸わないようにしたけれど、頭を振っても口元を抑えている手は外れない。
ずっと息を止めているわけにもいかないから、吸い込んでしまうのは時間の問題だった。
う……も、ダメ……。
吸ってはいけないって分かっていても、身体は生きるために酸素を求めてしまう。
本能的に息を吸って、突き抜けるような甘い薔薇の香りに頭の奥がマヒしてしまうような感覚がした。
呼吸と一緒に何度か吸ってしまうと、頭がボーッとしてくる。
身体がだんだん熱くなって、力が入らなくて立っていられなくなる。
「おっと、効いてきたか?」
ずり落ちるように地面にへたり込むと、拘束していた腕が解放された。
でも、逃げられるような力は出なくて……とにかく熱い。
呼吸も荒くなって、肌が過敏になっているのかスカートが太ももをかするだけでピクッと反応してしまう。
これ、何?
「どれどれ?」
熱くておかしくなった身体に戸惑い、今にも暴れ出しそうな熱を必死で抑えていると健太が私の前へ移動してきた。
まるで検分するみたいに、ジロジロと見てから私の
触れてくる指に、身を
本当に、どうなっちゃったの私!?
「いい感じにとろけた顔してんじゃん。……てか、よく見たらかわいい顔してんじゃねぇ? こいつ」
「んー? お、ホントだな。ハズレかと思ったけどこれなら楽しめそうだ」
「いいじゃん、興奮してきた! 早くホテルの中戻ろうぜ」
彼らの会話が何を意味するのか、流石に分かった。
自分の状態を考えても、嗅がされたのは……。
「おら! 立てよ!」
「もう引きずった方早くね? 力入んないみたいだしさ」
片腕をつかまれて引き上げられても、うまく立つことが出来ない。
するともう片方の腕もつかまれて、まるで連行されるように運ばれた。
このままこいつらの好きなようにされちゃうのかな?
やだ……嫌だよ。
辛くて、悔しくて、涙がにじむ。
「は、る……」
届かないと分かっていても、助けを求めてもう一度陽の名前を呼んだ。
「……おまえら、何してんの?」
そこに、第三者の声が響く。
私たち以外に人がいないんじゃないかと思うような静かな街中に、彼の声はとても良く通った。
聞き慣れた声にホッとしたけれど、いつもより低く聞こえるそれにどこか胸が騒いだ。
「ああ? なんだ?」
「ん? こいつ編入生じゃねぇ? なんでこんなとこにいるんだよ」
「ああ、そういえばこいつと姉弟なんだっけ? 一緒に来たのか?」
「は? 一緒にって……モモ?」
うまく動かせない身体でなんとか声の方を見ると、スーツ姿の陽が驚いた顔をして私を見ていた。
その顔は少し幼く見えて、いつもの陽だって思ったらさっきの胸騒ぎはなくなった――と、思ったのに。
「マジかよ……もう少しかわいい義弟で通したかったんだけどな」
皮肉げな笑みを浮かべて歪んだ顔は、私の知っている陽じゃなかった。
「とにかく今はお前らだ。
意識を私から不良たちに戻し、陽は昏い笑みを浮かべる。
その瞬間、空気が変わった。
ピリッとした、緊迫感のある空気。
ずっとニヤニヤと笑っていた不良たちの顔からも、笑みが消えた。
「そーゆーコト言うってことは……お前SudRosaの人間か?」
「……」
健太の問いに陽は答えない。
ただゴミでも見るような無感情な目を向けている。
……SudRosaって、何? 何かのグループ名?
疑問は浮かぶけれど、熱が治まった訳じゃないから思考がまとまらない。
ただ疑問だけが募る。
「だとしたら潰しておかなきゃな。バレたらマズいから口止めしておけって言われてるんだよなぁ?」
「そうそう。いくらSudRosaの人間でも一人じゃ大したこと出来ねぇだろ。さっさと片付けるぞ」
不良たちは私の腕を離し、陽を取り囲むように近づく。
また地面にへたり込んだ私は、陽を見上げながら後悔していた。
助けて欲しいとは思ったけれど、それはこういう状況になるって意味でもあったんだ。
三対一なんて、陽がボコボコにされるに決まってる。
ダメだ……陽、逃げて!
「バレたらマズい、ね……」
「せめて二、三人で来るんだったな!」
私の心の叫びは届くはずもなく、健太の拳が振り上げられた。
「っ!」
思わず目を閉じる。
でも、殴る音も、殴られて呻く陽の声も聞こえない。
ゆるゆると目を開けて状況を確認すると、振り下ろされた拳を余裕の表情でつかみ止めている陽がいた。
「二、三人? 何言ってんの? お前ら程度なら俺一人で十分だっての」
「なっ!?」
攻撃を止められて驚く不良たちは、陽の言葉に気色ばむ。
怒りに火がついたみたいだ。
「っざけんなよ!?」
「舐めすぎなんだよ!?」
怒りで荒くなる声は聞いただけでも恐ろしくて、やっぱり勝てるわけないよって思う。
逃げて!って思ったのに……。
「舐めてんのはお前らだろ?」
冷めた眼差しで陽が呟いた直後、不良の一人が後ろに飛んだ。
陽が蹴ったんだって理解した頃には、彼はまた別の不良に殴りかかってて……。
「ぐあっ!」
「っこの!」
健太たち不良は反撃するけれど、拳の一つも当たらなくて……。
ドスッ、バキッて音が静夜に響く。
口の中を切ったらしい健太の血が返り血となって陽の頬につく頃には、立っているのは陽だけになっていた。