「元から、苦々しく思っていたそうです」
黒葛川幸平は、低い声で言った。
「キラキラアカウント『ラビット』――弱い立場の人間、特に男性を侮辱すること甚だしかったアカウントです。それをネットで見ていた西村さん。近年、唯一同居していた肉親の父親が亡くなり、相続した古い一軒家で暮らしながら、ビルの清掃と冷凍倉庫の警備をするアルバイトを掛け持ちしていました。友人も恋人もおらず、そんな自分がキラキラアカウントを見ていると、特にパパ活などをやっているくせに他人を馬鹿にする『ラビット』を見ていると、暗い感情が湧き上がってきたそうです。
自分はこんなにも辛く、人生に希望が見えないのに、どうしてこんな女が幸せいっぱいに他者を踏みにじっているのだと感じ――そんなある日、その『ラビット』が自分の掃除をしている雑居ビルの『ファリーナ』に出入りをしていることを知ってしまった。『ラビット』はネットに顔出しをしていましたからね。間違いないと思った。西村さんは火がついた。チェーンソーをわざわざ遠くの県まで行って買い求め、準備を進め――自分と長門うさぎの身長が同じであり、体格でさえも、厚着をすればなりすませると気が付いたところから犯行計画を思いつき、ついに実行、殺害したのです。犯行は十一月三十日の深夜。その後に出てくる長門さんはすべて、西村克広が化けたものです。十一月三十日の夜から十二月二日までは仕事が休みで、アリバイがなかった西村克広が、犯行時刻をごまかすための……」
改めて話を聞き、私は目を伏せた。
逮捕された西村克広の供述によると、うさぎは『ファリーナ』で仲間達と飲み会をしている最中、手洗いに立ち、そのとき西村克広に声をかけられたらしい。西村克広は札束をみっつもうさぎに見せて、この金で俺と一晩どうだ、と交渉を持ちかけたそうだ。うさぎはあっさりと引っかかり、飲み会のあとに西村克広と合流して――あとは殺人事件、という流れだ。
西村克広は、こうも供述したらしい。
「札束なんて、てっぺんだけ本物の一万円札で、他の九十九枚は新聞紙で作ったものなのにな。古い手だよ。なのにあの馬鹿女は引っかかりやがった。本当に欲の皮が突っ張ってやがるぜ。ニセ札束で俺の家に誘い込んで殺したあと、勤め先の冷凍倉庫の隅に運び込んで凍らせてバラバラにし、あの女のスマホと財布を奪った。スマホは指紋認証でロックがかかっていたけれど、あの女の指先を当てれば解除できたよ。
しかし財布の中も、スマホから覗いたネットバンクも、ろくに金がなかった。おまけにあの女の住所は免許証から分かったけれども、まあそのアパートのボロいことボロいこと。俺は唖然としたね。あれだけネットでキラキラ装ってて、現実がこれだもんな。……けれど俺はスカッとしたよ。パパ活なんてやる女、人を馬鹿にしてばかりいる人間は、いつかこうなるんだって世間に知らしめてやりたかったからな。グチャグチャ死体にされちまうんだからなって、俺は言いたかったんだ。ニュースになって嬉しかったよ」
西村克広の供述は、まさに犯行動機のすべてだった。『人を馬鹿にしてばかりいる人間は、いつかこうなるんだって世間に知らしめてやりたかった』――まさにここなのだ。西村克広が、うさぎの死体をグチャグチャにしながらも身元不明にはしたくなかった理由。異様な殺人事件とすることで全国的な話題にしたかった理由。それはすべて、うさぎを見せしめにしたかったからなのだ。長門うさぎは馬鹿な女だ、だからこうなったんだ、と日本中に伝えたかったのだ、西村克広という男は!
「馬鹿な女だ。あいつが死んでから俺は何度か、あいつのスマホを使ってあいつになりすましたのに、フォロワーは誰も、あいつが死んでいることに気付かねえんだもんな。俺は愉快でたまらなかった。笑いながら、あいつのスマホを燃えないゴミで捨ててやったよ。なにがキラキラだ、俺はあの女に天誅を加えてやったんだ」
どこか投げやりな西村克広の供述に、鬼塚刑事は不快感を隠さず、
「しかし、二人目の被害者。大熊勇さんについてはどうだ。あんたとはなんの接点もなかったのに、犯行がばれたくないから殺したんだろう。そもそも最初の長門うさぎさん殺しだって、天誅を加えたいのならば、世間の話題になるだけならば、ただ襲って、手紙でも残せば良かったんだ。『パパ活なんかしているとこうなるぞ』――みたいな手紙でも置けば良かったんだ。それなのにあんたが自分だとばれないように様々な工作をしたのはただの保身だ。天誅でもなんでもない。そうは思わないか?」
「…………」
西村克広は、一言もなく、突っ伏したらしい。
とにかく現実はこうだった。私は黒葛川幸平から、西村克広の話を聞いたとき、――人を馬鹿にしてばかりいる人間は、いつかこうなるんだ――というところだけは、正直なところ、理解できてしまった。痛いほど共感してしまった。うさぎはSNSで他者を侮辱し、見栄を張り続けた。その結果、殺害という憂き目に遭ってしまったのだ。
ネットは西村克広逮捕のニュースに沸き立った。二人を殺したのだから死刑だとか、いやいやこれなら無期懲役だとか、さまざまな意見が飛び交っている。中には、うさぎの発言の悪辣さや、パパ活をしていた経歴などを見て、自業自得だとするコメントも多く見られた。うさぎはあまりにも敵を作りすぎた。人々がそういう気持ちになるのも当然だと言える。
私……。
私だって……。
「さて、この一ヶ月ほどの間に起きた長門うさぎさん殺人事件については、いま僕が申し上げた通りの流れでほぼ決まりなのですが、ここにもう一人、事件の中である役割を果たした方がいます」
黒葛川幸平は、彼らしくもなく、にこりともしない虚無の表情であった。
「そう、『サイバード』にいる瀬沼有紗さんに脅迫の手紙を送りつけた人物です。それは西村克広ではありませんでした。彼はネットカフェのことなんか知らない。西村克広は、瀬沼さんがネットカフェでアルバイトをしていることなんて、知る由もない。だから西村克広は、瀬沼さんを殺せなかった。どこにいるか分からないのですから。大熊勇さんの遺体の横に、盗撮写真とメッセージで脅迫するのがせいぜいだったのです。瀬沼さんのバイト先なんて知っているのは、事件の関係者の中では、もう一人しかいないのですよ。僕は最初、あるいは西村克広と共犯かもしれないと思ったんですが、どうも違うらしい」
黒葛川幸平は、じっと、一直線に私のことを見据えてきて、
「どうでしょう、先日、お話をうかがったとき、あなたは大変興奮しておられたので、話がよく分からないところもあったのですよ。いま一度、ここで、僕を相手に語っていただけませんか。……汐見秋さん。あなたの考えていたことと、あなたのやったことを」
「ごめんなさい。ごめんなさい。……ごめんなさい」
私は、机の上に突っ伏す寸前まで上体をかがませると、ただ号泣を続けた。両頬を伝う汗と涙が、ぼたりぼたり、アンティークな茶色の机上に落ちて、小さな水たまりのように広がる。心臓が、尖った槍で何度も突かれたみたいにキリキリと痛んだ。悲しい、そして、たまらなく悔しい。私はどうしてこんなことになっているのか。
「汐見さん」
黒葛川幸平は優しい声で言った。
「あなた、本当は、長門さんと友達でもなんでもないんでしょう?」
そのとき私は、ひときわ大きな声で泣いた。
もう、なにもかもが止まらなかった。店員さんに迷惑だろうが、他の客から冷たい目で見られようが、構わなかった。泣きたくてたまらなかった。
すべてはあの、長門うさぎのせいなのだ。