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現時刻は十二月三十日の午後四時半である。
そう、『サイバード』に脅迫の手紙が届いた瞬間からすでに十日が経過していた。世界はすっかり年末ムードである。
どこから語るべきか、どのように話すべきか。
奇妙な連続殺人事件は、すでに解決してしまっている。あの自分史代筆家、黒葛川幸平の手によって。
そしてその黒葛川幸平はいままさに私の目の前にいて、喫茶店『村松』の中で、アイスコーヒーをグビリグビリとやりながら、ゆっくりと語りかけてくるのだ。
「まず、そうですね。いまこの瞬間のあなたのお気持ちを、正直に述べていただきたいと思うのですが」
「最低です」
「ええ、まあ、そうでしょうが。どのように最低なのでしょうか」
「最低以外のなにものでもありません。……私は、私は」
嗚咽が止まらなかった。涙が次から次へととめどなく溢れた。こんな屈辱はない。こんなことになるなんて思わなかった。私はみずからの奥歯を粉砕せんばかりに噛みしめた。死ね、お前なんか死んでしまえ、汐見秋、そうだお前だ、お前が悪い。役立たずの醜い無能女、大嫌いだ、自分が大嫌いだ。どだいお前ごとき――そんなことだからお前は、長門うさぎにいいようにやられてしまったのだ!
「そう、ご自分を責めないでください。……」
黒葛川幸平は、穏やかに雌雄眼を細めている。
かと思うと、わずかにかぶりを振って、
「そうですね、ではあなたとお話しする前に、この十日間で起きたこと、いやいや事件のすべてを回想していきましょうか。事件の全容を、まだあなたもよく分かっていないところがあるでしょうから。僕自身も、原稿を書き上げるために考えをまとめておきたいですからね」
黒葛川幸平の提案に、私は力なく、糸が切れた人形のごとく頭を下げた。
コックリ、というより、ベッタリ、という感じで首を前に倒した。もうどうでもいい、もう私のことなんか、どうせ私なんか、という自虐の感情を抑えるのに必死だった。せめて事件の話を聞かなければならない。それが私に残された最後の義務なのだろうから。
「では、事件の全容についてお話しましょう。最初にアカウント『ラビット』こと長門うさぎさんのことから整理します。彼女はキラキラアカウントとしてネットではちょっとした有名人でした。いつもおしゃれな自撮りや映える画像をアップしたり、またブランドものについて蘊蓄を垂れたり、洒脱な恋愛トークを軽快に繰り広げていた。その結果フォロワーは増え、一定の支持者がいた。と同時に、冴えない人間やモテない人間、貧しい人たちを侮辱したり揶揄したりすることから、炎上することも多かった。ここまではよろしいですね?」
私はこっくりとうなずいた。
「では続きを。ことの始まりは、この長門うさぎさんが殺害されたことから始まったわけです。
遺体の発見は十二月八日、アパート『清瀬荘』二階の自室にて。室内では遺体の大部分がグチャグチャにされ、至るところにブチ撒けられ、しかしなぜか両手首だけは残されていた。と同時に遺体の一部が粘土と混ぜて固められ、ビニールに入れられた状態で、普通郵便で郵送され、長門さんの部屋の外に複数、置き配されていた。いわゆる、遺体の九割が室内、一割が室外、という状態です。
ところが、遺体発見の三日前である十二月五日には、長門うさぎさんがアパートの外に向かって歩いていた姿が、防犯カメラに残り、かつ隣人の大熊勇さんによって目撃されています。
これがいっそう事件の異様さを増した。長門さんが外に出ていったのに、長門さんの遺体はグチャグチャにされて室内に放置されている。このミステリーはどこから来るのか。長門さんの両手首だけが、痛んではいましたが室内に残されていたのも不気味でした。犯人はどうして長門さんをこのように殺害したのか、動機もなにもかもが謎でした。しかし」
黒葛川幸平は、その双眸に叡智の光を宿しながら、
「ひとつひとつ考えていけば、決して解けない謎ではありませんでした。そもそも遺体がグチャグチャにされて室内にある以上、十二月五日に目撃された長門うさぎさんは、長門うさぎさんでは絶対になかったのです。そう、別人が彼女になりすましていたわけです。……もちろん、防犯カメラに写っていた長門さんはいかにも長門さんでした。あなたも確認しました。僕も確認しました。隣人の大熊勇さんも、目の前で確認し、『あれは長門うさぎだった』と証言しています。なぜ、こうなるのか。……ここで、そのときの長門さんの服装を思い出していただきたい。フード付きコートを深くかぶり、ヘアバンドをつけていた長門うさぎさん。外から見ても、体型などはよく分かりません。見えているのは顔だけです。まさにそこがポイントでした。まさに、まさに……」
黒葛川幸平は、さすがに興奮を隠せない様子で一度、口ごもってから、真実を告げた。
「あのとき長門さんに化けていたのは、犯人だったのです。長門さんの遺体、その顔面部分だけを切り裂いて、お面のようにかぶっていたのです」
ああ、そうだ。そういう、あまりにも凄絶すぎる真実だった。その事実を最初に聞かされたときは、この私でもさすがに血の気が引いた。子供のころを共に過ごした同級生。鬼ごっこをしたこともあればドッジボールをしたこともある、一緒に自由帳に落書きまでしたことのあるあの長門うさぎの、顔面だけが変装の道具として利用されていたなんて!
私は数日前に、その推理を初めて耳にしたとき、無論、黒葛川幸平に食ってかかった。顔面だけを切り裂くなんて、そんなことをしたら顔はグチャグチャになってしまう。お面みたいになるはずがない。それに、防犯カメラのような遠くから録画したものならばまだともかく、大熊勇はうさぎの顔を直接確認している。日ごろ話さない隣人だとしても、死体のお面なんてかぶっていたら、さすがに気が付くはずだ。
しかし私の主張は、黒葛川幸平によって却下された。
――冷凍、していたのです。
黒葛川幸平は事もなげに言った。
――冷凍した遺体だから、切り裂いても身崩れしなかったのです。冷凍した肉や魚を切り裂いても、グチャグチャにならないのと同じです。犯人は長門うさぎさんの冷凍した遺体をチェーンソーで斬り、その顔面部分だけを布テープで自分の顔に貼り付けて、お面として使ったのです。
――フード付きコートをかぶり、顔以外のところは見えないようにする。顔には凍らせた長門さんの遺体の顔面をつける。それでは前が見えないから、お面の、眉毛の上のあたりに、小型ドリルなどで穴を開けて、覗き穴とする。もちろんお面に穴が開いていてはまずいから、大きめのヘアバンドをつけるわけです。もちろん、ヘアバンドにも小さな覗き穴を開けておいて。これに長門さんの前髪でも垂らしておけば、もう完璧でしょう。こうして犯人は長門さんに化けて、長門さんの自宅に帰ってきたのです。ですから、長門さんが殺されたのは、十二月五日以降ではありません。十一月三十日から十二月一日の間。そう、あの『ファリーナ』を一次会で切り上げて帰ってからのことだったのです。
ああ、おぞましい! 思い出すだけで、ぞっとする!
あまりにもおぞましい真実。うさぎは犯人によって、冷凍マグロのような扱いを受けていたのか。