「大熊さんの人となりは、ずいぶんと調査しました」
鬼塚刑事が、ハキハキとした声で話す。
「大熊勇、二十八歳。愛媛県から上京してきて、いくつかの仕事を転々としたあと、現在では繁華街の飲み屋に酒類を配達する仕事をしています。少々粗暴で、酔っ払いとケンカをした過去があります。しかし職場ではこれといったトラブルもなく、殺害されるほど強い恨みを抱かれていた形跡は、現在のところ発見できません。また、あの『ファリーナ』で長門うさぎと飲んでいた、多田羅たち三人組との接点も確認できません」
鬼塚刑事は私というより、黒葛川幸平に改めて報告するかのように喋る。思えば自分史代筆家である彼が警察署にいて、捜査本部の司令官のように振る舞うのもずいぶん妙なのだが、よほど警察から信頼されるような過去があったのだろうか。本当に警察なり探偵なりになったらいいのに。
「やはり大熊さんは、長門さん殺害と地続きですね。うさぎさんモドキの登場や、瀬沼有紗さんの写真が大熊さんの部屋にあったことを考えても」
「そうです、黒葛川先生。あの写真はいったいなんなんですか。どうして大熊さんの部屋に有紗先輩の写真があったのですか? それもあんな、脅迫状みたいな書き込みまでついて」
「瀬沼さんの写真があの現場にあった理由はまったく不明です。瀬沼さんと大熊さんは特に接点もないようですから、やはりあの写真は犯人が残していったものでしょう。スマホのカメラで遠くから盗撮したのは確かなようですが、なぜそんなことをしたのか。赤マジックの脅迫も――」
『オマエハモウナニモスルナ ツギハオマエガコウナル』
あの一文を、私は思い出した。
「――なぜ瀬沼さんなのか。警察や僕を脅すならまだ分かるのですが、瀬沼さんとなると。犯人の目的はなんなのか。長門さんの事件と関わりがあることとは思うのですが」
「有紗先輩にもう一度、私から聞いてみましょうか。なにか心当たりがないかどうか」
「ええ、それは是非お願いします。同じ女性のあなたから聞かれたら、瀬沼さんもなにか思い出すかもしれませんし、秘密があっても打ち明けることができるかもしれません」
黒葛川幸平だけでなく、鬼塚刑事もうなずいた。
人から頼りにされるのは嬉しい。私は少し嬉しくなって、警察を出たらまず有紗先輩のところに行こうと思った。と、そのときである。
「そういえば、黒葛川先生。このDMを見て欲しいんですが」
私は『あき』のアカウントに送られてきたDMを見せた。『はやみん推し一生決定アカウント』から送られてきた、うさぎが地下アイドルをやっていたという話だ。
「こんな情報も送られてきたんですよ」
「へええ、地下アイドルですか。長門さんはこんなこともされていたんですね。ほうほう」
「ああ、これは警察のほうでもいちおう把握はしていました」
と、頭をかきながら、鬼塚刑事。
「ただ、なにぶん四年も前の話であり、アイドルの運営会社も解散しておりますので、今回の事件とは恐らく無関係というのが我々の見立てです。そこで黒葛川さんにも報告しなかったのですが……。どうもすみません」
「ああ、いえいえ、それは警察のご判断ですから。僕はあくまでただの協力者でして、そこにくちばしを挟む権利はありません。それに仰る通り、地下アイドルの過去は事件と関係ないと思いますよ。ただ……」
「ただ?」
「この『はやみん推し一生決定アカウント』さん、第二の事件が一般に報道されたあとなのに、ずいぶんと呑気なDMを送ってくるなと思いまして」
私は思わず目を見開いた。
「まあ、事件のことをまだ知らなかったという可能性、無きにしも非ずですし、そもそもコメントをしたくないということもありますが。しかし大熊さんの事件はニュースサイトのトップに登場していましたからね。長門うさぎの隣人が殺された、それなのに、アイドルがどうこうとは、なにやら牧歌的ですね」
と、そこで黒葛川幸平は何かを思い出したように、自分のスマホを取り出して忙しく操作する。そこから一分と経たぬうちに、
「『マカロニ先輩』が消えています」
「どなたです? 先輩?」
鬼塚刑事が、眼をぱちぱちさせる。
「『マカロニ先輩』です。長門うさぎさんと昔、カラオケボックスで一緒に働いていたという」
「ああ、本当だ。き、消えている」
私もスマホを操作して確かめた。『マカロニ先輩』のアカウントが確かに消えている。
「これで二度目ですね。最初、汐見さんに情報を送ってきた、長門うさぎさんの高校の同級生だったアカウントも消滅しましたよね。これはたまたまなのか、それとも。『はやみん推し一生決定アカウント』もこの後、消えてしまうのかどうか?」
「わ、分かりませんよ、私には……」
グチャグチャにされて殺されたうさぎ。次に殺された大熊勇。第二の殺害現場に残された有紗先輩の写真と脅迫の文言。ニセうさぎの正体と行方。
すべてが別とは思えなかった。
ひとつひとつが繋がっていると考えたほうが、私には自然に思われた。
だから、この後、警察署を去る間際に私は、黒葛川幸平に向けてこう言ったのだ。
「やっぱりすべては、うさぎの死から始まっている気がします。もっと言えばうさぎの人生です。長門うさぎの人生に、なにかとてつもなく凶悪な影が差していて、その影がうさぎをあのように抹殺してしまった。私にはそう思えてならないんです」
黒葛川幸平は澄んだ瞳をしていた。こちらの内心をすべてお見通しのような、一種、神か天使かと思わせてくれるような、一種、異様な気配さえ帯びたその眼差し。黒葛川幸平は穏やかな声音で、
「僕もそう思いますよ。なにしろ、あのような殺され方をされた方ですからね。長門さんの人生にはなにかがある。大丈夫、お任せください。必ず長門さんの自分史を、書き上げてみせましょう。そのために、この一連の事件を解決してみせます。事件が謎のままでは、自分史は締まりませんからね」
そのとき、雨がまたポツポツと降ってきた。私は黒葛川幸平に「それじゃ、また」とだけ言って、ちょうど警察署の前を通ったタクシーを停めた。雨天だからというのもあるが、そもそも殺人事件が怖いので、タクシーで移動したいというのもあった。有紗先輩だけでなく、私だって気味が悪いのだ。なにしろ同級生をあのように殺した犯人が、きっと、この街のどこかにいるのだから。
タクシーの中で、私は有紗先輩にラインを送り、あの大熊勇殺しについてなにか知らないかと尋ねた。返事はすぐに戻ってきた。
【知らないよ】
【知るわけないやん】
【なんでわたしなんやろね】
【怖いわ】
「相当、参ってるな、先輩」
独りごちる。タクシーの運転手さんが「どうされました?」と尋ねてきた。「いえ、こちらの話です」と返す。
しかし参っているのは私も同じだ。次は私が脅されるかもしれない。次に狙われるのは私かもしれない。低い雲を陰鬱な気持ちで眺めながら、ふと、黒葛川幸平の顔を思い出した。あの自分史代筆家にすがりたい。どうか、事件を、二件の殺人事件をちゃんと解決してください、と。それが確かに、いまの私のもっとも強烈な願いだった。
『はやみん推し一生決定アカウント』は、その日の夜に消えた。