タクシーで北千住警察署に到着すると、すぐに鬼塚刑事が出迎えてくれた。
それから署内の三階にある、小さな会議室みたいな部屋に連れていかれると、そこには黒葛川幸平が待っていて「やあ!」と気さくに右手を挙げたものである。
「わざわざお呼びだてして申し訳ありません。電話で申し上げた通り、厄介なことになったもので。ああ、お喋りはあとにしましょうか。まずはこちらをご覧ください」
そう言って、黒葛川幸平が私にノートパソコンの画面を見せる。液晶には動画が写っていた。これが防犯カメラの映像か。
『清瀬荘』の入り口が映っている。入り口前の車道を、乗用車がときどき走る。映像の隅には自動販売機が映っていた。その自動販売機の前を、すうっと、まるで幽霊みたいに通っていく人物がひとり。
「これは、うさぎ……?」
思わず声が出た。
その人物は確かに、うさぎにそっくりだった。
そう、第一の事件が起きる前、『清瀬荘』から出ていくときのうさぎの恰好はこれと実によく似ていた。白いフード付きコートにロングスカート。フードを深々とかぶるといういでたち。手には大きな紙袋。服装も背丈も、持っているものまで、まるで同じだ。モソモソとした歩き方まで実によく似ている。違いといえば、今回はヘアバンドとネックレスをつけていなかったことくらいか。
うさぎらしき人物はスーッと『清瀬荘』に入っていく。映像の片隅には時刻が掲載されていた。十二月十五日の午後二時十五分となっている。あの日だ。私たちがうさぎの部屋に入り、やがて大熊勇の遺体を発見した、その数時間前の光景だ。あのとき私たちは夕方に『清瀬荘』へ向かったが、数時間早かったら、このうさぎらしき人物と鉢合わせをしていたのだ。私はぞっとした。けれども、もし出会っていれば、あるいは第二の殺人を阻止できたのかもしれないが……。
十二月十五日の午後二時二十七分、うさぎらしき人物が、また『清瀬荘』からスーッと出てきて、右手のほうへ消えていった。
そして、もう二度と戻ってこなかった。
「ご覧の通りです」
黒葛川幸平が言った。
「この長門うさぎさんらしき人物が、十二月十五日に『清瀬荘』に入り、大熊勇さんを殺害したと思われます。大熊さんの死亡推定時刻は十五日の午後二時から三時ごろ。カメラの映像とも完全に符合します」
「その頃ですか。私は有紗先輩とネットカフェ『サイバード』でアルバイトをしていましたね。あ、店長も一緒でした」
さりげなく、自己の潔白をアピールする。
黒葛川幸平は薄く笑って、
「大丈夫です、汐見さんを疑ってはいませんよ」
「そう言ってもらえると助かります。そういえば今日、有紗先輩は来ていませんね」
「ええ、どうも、少し体調が悪いようで。あんな遺体を目撃したうえ、写真が大熊勇の家にあったのです。大変なショックを受けてしまったようです」
「無理もありませんよね。自分の写真が殺人現場に残されていて、しかもあの赤マジックの殴り書きなんて……」
自分がその立場だったら、恐怖のあまり、きっと一生引きこもってしまうだろう。
「ところで汐見さん。この長門うさぎさんらしき人物の映像について、ご意見をいただきたいのですが、どうでしょう。これは本当に長門さんでしょうか?」
黒葛川幸平が、改めて、私に防犯カメラの映像を見るように言う。
私はもう一度、映像をよく眺めた。服装や歩き方まで、何度も見た。
「うさぎに似ています。特に服装は間違いなくうさぎです。でも、顔がよく見えない」
「そうなんです。第一の事件のときもそうでしたが、この防犯カメラはちょっと画質が良くない。その上に、画面の中の長門さんが顔を伏せ気味なので、余計によく分からなくなるのです」
「紙袋? みたいなものも持っていますね」
映像の中のうさぎは、左手に袋を持っているのだ。
「なにが入っているんでしょうか?」
「ああ、恐らく凶器と着替えでしょう。殺人をすれば返り血を浴びる。浴びたら服を着替えねばならない。道理ですね。こういう準備をしているあたり、殺人に慣れている人物ですね」
「はあ、……そうですね」
思わず間の抜けた返事をしてしまったが、黒葛川幸平は相当恐ろしいことを言っている。それなのにあっさりと返してしまう私も、かなり感覚が麻痺してしまってきているようだ。
「そういえばうさぎって、第一の事件のときも紙袋を持っていたんですよね」
記憶を辿りながら、言った。
十二月一日に帰宅したうさぎは紙袋を持っていた。五日に外出したうさぎも紙袋を持っていた。
「紙袋なんてどこにでもあるものだと思いますが、中身が気になります。第一の事件のときのうさぎは、なにを持っていたんでしょう」
「さて。……ただ、買い物した食べ物などを詰めていただけ、という可能性が高そうですが」
黒葛川幸平も鬼塚刑事も、特に第一の事件のときの紙袋については強い反応を示してくれなかった。
それでいいんだろうか。確かにただの紙袋で、中には他愛のないものが入っていた可能性のほうが高い。しかし、個人的な直感だが、あの紙袋にはなにかがあったような気がするのだ。事件に関係する、とても大きななにかが。
「ところでどうでしょうか。小学生時代からの親友だったあなたの目から見て、この映像の中の長門さんは」
黒葛川幸平に声をかけられて、私は我に返った。
「……違うと思います。一見うさぎのようですけれど、ちょっと違う気がします。それに、うさぎはもう死んでいるんでしょう? だったらこれはうさぎではなく、別人がうさぎに変装しているんだと思います。顔が見えたらまた違うと思いますが、それもよく見えないし」
「おう、その通りです!」
黒葛川幸平が突然、ものすごく嬉しそうな声を出したので、私は本当にびっくりした。
「やあどうもすみません、ははっ。いえいえ、嬉しすぎて、つい。いやですね、僕もこの長門さんは偽者だと思っていたのです。鬼塚刑事も捜査本部も同意見です。ただ、もうひとつ確証が欲しかった。ここで親友だったあなたが、違うと言ってくれたのはよかった。ここで長門さんだと断言されたら、事件はいよいよ混乱の極みになるところでした。そうです、これはきっと長門さんではなく別人なのですよ。しかし、なぜこの別人が、長門さんのふりをしたのか? それがまだ謎なのですが、けれどもいまはこれで充分。この長門さんモドキが大熊さん殺しについて重要な証拠を握っている。いや第一の事件、そう、本物の長門さん殺しについてもきっとそうです。このモドキです。この人が犯人であり、事件の真相を知っているに違いないのです」
一気呵成にまくし立ててくる、黒葛川幸平。そう、犯人――言われてみれば確かに犯人だ。この状況でうさぎに化けている人間なんて、事件の犯人以外の何者でもない。室内は暖房が効いていて、じんわりと汗ばんでくるほどだったが、私がいま汗をかいている理由は室温だけが原因ではない。黒葛川幸平の鬼気迫るような口ぶりが、間違いなく私を興奮させているのだ。
「それで黒葛川先生、そのニセうさぎはどこへ行ったのでしょう? 大熊さんを殺したあと、そう、午後二時二十七分ですか。その時間に防犯カメラに写ったニセうさぎはその後、近くで目撃されたり、別の防犯カメラに写ったりはしていないのですか?」
「見事な着眼点です、汐見さん。そう、我々もそのように考えて、近隣の防犯カメラをずいぶん調べたのですが、うさぎさんモドキは事件から三分後、近くにある雑居ビルと雑居ビルの間に入っていき、そのまま姿を消してしまいました」
「ビルの間なんて、子供の探検みたい。そこで見失ったわけですね?」
「そうです。うさぎさんモドキは恐らく、カメラにも映らず人目にもつかないようなその場所で着替えて、別の場所から逃げたに違いないのです」
「つまり見失ったんですね。残念です」
私はため息混じりにそう言ったのだが、いやいやと手を振りながら、人なつっこい笑顔で、黒葛川幸平は話を続ける。
「しかしこれで犯人のことが分かりました。ビルの間を使って逃げるなんて、土地勘がないとできませんからね」
「あ……」
「つまり犯人はこの町に家なり仕事なりがある、かなり詳しい人物ということになります。それも変装するほど準備万端の犯行を行うとは、これで大熊さん殺し、第二の事件が通りすがりの強盗なり異常者なりの犯行ではないことが分かりました。こう考えれば犯人はずいぶん絞り込めてきます」