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第九話 この世にある命で、奪われていいものなんてない

『マカロニ先輩 フォロー27人 フォロワー15人』(アカウント開設日:2018年8月1日)


【ラビットの情報を求めていると聞いてDMです。僕はラビットつまり長門うさぎが永幸学園を出たあとに短い間カラオケボックスでバイトをしていた時代の先輩です。二ヶ月だけ長門が仕事をしていたんですが、あれは酷かったですね】(12月15日12時47分送信)


【はじめからバイトをばかにしているような女でした、こんな仕事ははやくやめたいですよね、先輩はどうしてバイトなんかしているんですか自分ははよやめたいですしょせんバイトですからー。なんてことをいっていましたもんね】(12月15日12時50分送信)


【それでカラオケボックスのバイト仲間の和を乱すってなって、二ヶ月で事実上くびでした。人手不足って言われてたのにやめさせられるんだからおさっしです。うそじゃありません、駅ビルの裏にあるうたいねこというカラオケボックスでした。僕ももうやめましたけれどね。長門うさぎってこんなんでしたよ】(12月15日12時54分送信)


 私のSNSに送られてきたDMの内容は、またしてもうさぎの悪評であった。

 十二月十五日の午後五時に、うさぎのアパート『清瀬荘』にほど近いところにある、昭和レトロな喫茶店『村松』で、私は黒葛川幸平にそのDMを見せたのである。

 黒葛川幸平は、眉をひそめて、


「こうまで言わずとも、という気がしてきますね」


「でも、これだって紛れもなくうさぎの一面ですよ」


「そうです、それもそうです。きっとこういった悪評の最果てに、悲しい殺人事件となったのですから。しかしこうした評判を見ていると、殺人の動機は、昔の友達や知人からの怨恨という可能性が一番ありえそうですが」


 そのとき喫茶店の入り口が、カランカランと音を立てながら開いた。

 有紗先輩が入ってきたのだ。


「ごめんね。バイトの仕事を後輩に引き継ぐのが、少し遅れて」


「いえいえ、定刻通りですよ。どうです。一杯、飲んでいかれませんか」


 赤提灯にでも誘うかのような、黒葛川幸平の一言だが、もちろん彼はアルコールではなくコーヒーなり紅茶なりを勧めているのである。


「きゃ。黒葛川さんが誘ってくれるんなら、飲もうかな」


「いいんですか? 鬼塚刑事とも待ち合わせしているんでしょう?」


「刑事との待ち合わせ予定は、いまから三十分後に現地集合です。瀬沼さんが飲んでいくゆとりくらいはありますよ。汐見さんもどうですか、おかわりでも。もちろん僕の奢りです」


 それならと言うことで、私は有紗先輩と二人でコーヒーを注文した。すると黒葛川幸平もアイスコーヒーを店員さんに頼んだ。コーヒーはすぐに来た。ひとすすりする。カフェインが入って頭が冴えた。この日はネットカフェでバイト、仮眠室で睡眠、さらにその後もシャワーを浴びて、ネットカフェで続けてバイト、という調子だったので、脳みそが疲れ切っていたのである。


 するとそのとき有紗先輩がスマホを見ながら、


「うさぎさん、ネットでボロクソに言われてるね。学生時代からトラブル続き、バイトも仕事も長続きせず、SNSでキラキラを装いつつ、パパ活に手を出し、時たま炎上するような女性。殺されて自業自得、犯人はよくやった、税金は払っていたのか、パパ活をやっていた男を徹底的に捜査しろ、なんてさあ」


「私も見ました。確かにうさぎは酷いところも多かったし、そうして叩かれるのも仕方が無いとは思いますけれど……」


「それでも殺されて自業自得だなんて、あんまりですよ」


 黒葛川幸平が、ぽつりと言った。

 虚無を見つめているような、ぼんやりとした目で、


「……ああ、すみません、変なことを言って。でもやっぱり、この世にある命で、奪われていいものなんてないと僕は思っているんです。自分史の代筆なんてことを生業としているからかもしれませんが、他人から見ればどんな情けない生き様でも、どんなに悪辣非道に見える人格でも、そこに至るまでの経緯や人生、不幸や悲しみ、夢や愛憎があったわけで、それを他人が、ましてその人のことをろくに知らない他者が、一刀両断にしていいものではないと僕は思います。その上、長門うさぎさんはもう亡くなっている。もう反論もできない。そんな彼女を袋だたきにするのは、あまりにも人間一人に対する思いやりに欠ける。うさぎさんにもたぶん、言いたいことがあったと思うんです。そうじゃない、と怒鳴り返したいこともあると思うのです。でも、うさぎさんはもうそれもできない。そんなうさぎさんに代わって、僕は彼女の自分史を書いてあげたい。彼女が生きていた証しを世界に残し、世間から誤解されているところがあればそれは違うと正したい。僕はそう思っています」


 黒葛川幸平の長台詞に、私は思わずコーヒーを飲むことさえ忘れて聞き入っていた。黒葛川幸平が自分史代筆家なんてやっているのは、かつては、それしか食う道を知らないからとうそぶいていたが、本当は彼の心の中に、なにか人間全体に対する優しさがあるからじゃないか。偉大人だろうが平凡人だろうが、あるいは極悪人であろうとも、この人は確かにこの世界に生きていたという証し、生き様、そういったものをこの世に残してあげたいと思って、自分史の原稿を書き続けているのではないか。私はそう感じた。


 それにしても、――うさぎさんにもたぶん、言いたいことがあったと思うんです。そうじゃない、と怒鳴り返したいこともあると思う、か。


 うさぎに言いたいこと、ね……。


「なんて大演説をしても、結局は謝礼のために書いているわけですがね。ははっ、すみません、忘れてください」


「いえ。黒葛川先生に自分史を書いてもらうこと、……うさぎも、きっと、喜ぶと思います」


 私は机の下で、拳を握りしめながら、声を震わせて言った。

 隣で有紗先輩が、コーヒーをすする。優しい瞳で、私と黒葛川幸平を見比べながら。

 けれども先輩は、すぐに、場の雰囲気とはまったく違うことを口にした。


「黒葛川さん、さすがです。かっこいい。そんなかっこいい黒葛川さんのお話のあとに、こんなことを話すのはちょっと気が引けるんやけれども」


「おや、なんですか。僕のことは気にせず、なんでも言ってください」


「それじゃ。……昨日、秋にDMを送ってきたらしい『chocolateicecream』ってアカウント、消えていませんか?」


 私と黒葛川幸平は、揃ってスマホを開いた。

 SNS自体をやっていなくても、アカウントを見ることはできる。しかし『chocolateicecream』は確かに、もうネットのどこにも存在しなかった。

 黒葛川幸平は一気に、電流でも走ったみたいな真剣そのものの顔つきとなって、


「汐見さん。『chocolateicecream』からあのあと、連絡はありましたか?」


「いいえ。私にDMを送ってきただけで終わってしまいました」


「昨日の今日で消えるなんてね。言いたいことが全部終わったから、消えちゃったんかなあ?」


 重苦しくなった空気に耐えられないのか、有紗先輩は妙にあっけらかんとした口ぶりでそう言ったが、肝心の黒葛川幸平が、目の前に妖怪でも現れたかのような険しい表情となっているので、やがて先輩も押し黙る。


「鬼塚刑事と約束の時間です。行きましょう」


 黒葛川幸平は立ち上がった。

 こういうとき、次の予定があるのは助かる。

 私と有紗先輩も、もちろん黒葛川幸平に続いた。

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