黒葛川幸平と有紗先輩の奇妙なやり取りを見て、私は半眼になってしまったが、人に褒められる経験が少ないと些細なことでも照れてしまう感覚は理解できた。
黒葛川幸平はまだ顔を赤くして、雌雄眼を丸くしていたが、それでも三秒も経つと、まるで別の話題を切り出した。
「汐見さん。長門うさぎさんの事件を調べ、そして自分史を執筆するにあたって、どうされますか。悪いところや悪評も含めて書きますか。それとも良いところだけを書きますか。その塩梅は依頼者によって決まりますが」
「すべてを書いてください」
私は即答した。
「うさぎの悪いところや悪い評判も、全部。そうしないと、それはうさぎじゃないし、それに事件の真相にもたどり着けないと思うからです」
それは偽らざる本音だった。うさぎのことは、良い点――が、どれくらい出てくるか分からないが――も、悪い点も全部含めて原稿にしてほしいのだ。
私の言葉を受けて、雌雄眼の自分史代筆家は満足そうにうなずいた。
「では、そうしましょう。力作にしますよ、期待していてください」
「あは、黒葛川さん、素敵。すごい原稿が書けそうやね。わたしも楽しみにしとるよ。あー、でも、せっかくここまで来たのに、事件のことはまだよく分からんことだらけよね」
「いえ、収穫はありましたよ。大熊さんからの証言です。事件前は部屋がうるさかった。五日に目撃したのは間違いなく長門うさぎさんだった。この二点の証言が、マスメディアを通したものではなく、我々自身の耳で聞けた。これは大きい。事件解明の手助けになると思いますよ。犯人候補のアリバイを確認する作業もできますからね」
「ああ、でもそれやったら、わたしと秋は犯人やないね」
突然、有紗先輩がおどけた調子でそう言った。
「先輩、いきなりなにを言い出すんです」
「こういうとき、関係者全員のアリバイを確かめるのが常識なんやろ。知ってる、知ってる、ねえ、黒葛川さん?」
「ええ、まあ……」
黒葛川幸平は、困ったようにはにかんだ。
「それでね、黒葛川さん。わたしと秋は、五日から事件発覚の九日まで毎日、昼から夜までネットカフェのバイトに入ってたよ。なにせ人手が足りていなかったからね。嘘だと思うなら出退勤記録でも店内の防犯カメラでも、好きなものを確かめていいから。おまけにわたしは疲れ果てていたから、入浴も睡眠もネカフェ内のシャワールームと仮眠室で済ませたし。秋は帰宅していたけれど……」
「私は実家ですから。バイトをしていなかった時間はずっと両親の両方、あるいはどちらかといました。家族はアリバイの証明にならないというなら、実家の前の防犯カメラを確かめていただいても構いませんが」
「だ、そうです。黒葛川さん、これでわたしたちはまず無罪放免やね?」
「元よりお二人を疑ってはいませんが、アリバイは分かりました。助かりました」
黒葛川幸平は、有紗先輩のこういう態度に慣れているのかハイハイとばかりにかわした。元より自分が事件の犯人でないことは分かっているが、バイトなり両親なり防犯カメラなりで、いちおうアリバイが証明できたのは良かったと思う。
「さて、ところで僕はこれから、長門さんのことをもっと調べようと思います。長門さんの人生、長門さんのSNS、長門さんの事件の真実……。僕は警察にも知り合いがいますから、そちらのほうからも事件のことを少し探ってみましょう」
黒葛川幸平は少し胸を張り、雌雄眼を見開いた。
「でしたら黒葛川先生、私も協力します。私は『あき』というアカウントで、ネット上では『ラビット』の友達として知られているんです。だから『あき』の名前で、『ラビット』の情報を知っているひとがいないか、広く呼びかけてみようと思うんです」
「おお、いいですね、それは。そうしてもらえると助かります。僕がやるよりも、被害者のお友達が声をあげるほうが、みんな、応じてくれますからね」
「え、待って。二人だけでなんか始めてずるい。わたしもなにかするべき?」
「じゃあ、黒葛川先生の助手を務めてくださいよ。ネットのほうは私一人で事足りると思いますから」
「助手ですか。いいですね。瀬沼さんみたいな活動的な人がパートナーにいてくれたら、僕も助かります」
「黒葛川さん、それ、褒めてるんですか?」
「もちろん」
黒葛川幸平は、やっぱりニコニコしていた。
さてこの後、私たち三人は解散。私は自宅に戻ったが、その日のうちに、私は自分のアカウントでネットに呼びかけた。
――アカウント『ラビット』の殺人事件について、なにか知っているひとがいたら私にDMをください。ラビット個人の過去の話でも構いません。どんな細かい出来事でもいいです。よろしくお願いします。
これでうさぎのことが少しでも分かればいい。事件の犯人が見つかればいい。
そしてうさぎのことが世間に少しでも伝わればいい。
私は心からそう思っていた。
翌日の朝、私は黒葛川幸平に報告した。
「私のアカウントに、『ラビット』のことをよく知るという人から連絡が来ました」