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第四話 何度も攻撃して確実に殺しておかないと、被害者が復活するかもしれない

 うさぎの部屋。

 その隣のドアが開き、ずいぶんと大柄な二十代の男が登場して、こちらに憤怒の視線をぶつけながら階段を下りてくる。


「さっきから部屋の外で延々と喋りやがって。眠れねえんだよ。こっちは夜に働いてるんだ、いい加減にしろ。どうせ事件の野次馬だろうが、いい迷惑だ」


 うさぎの隣人らしいその男性は、鼻息も荒く、いまにも殴りかかってきそうな気配を出していたが、そのとき黒葛川幸平が一歩前に出て、


「どうも、すみません。仰る通り、我々は事件について調べている者でして、よろしければ調査にご協力願えませんか。この通り」


 そう言って、ぎゅっと、大男になにかを掴ませた。

 すると男は「オッ……」と小声を出すと、眉間のしわを解いて、何度も私たちの顔を見回して「どこかのマスコミ?」と落ち着いた声音を出し始めた。


「まあ、そんなところです。それよりも事件について知っていることがあったら、教えていただけませんか」


「ああ、まあ、少しなら。って言っても、知っていることはたいがい、警察やマスコミに喋ったぜ」


「そこを改めて、またお尋ねしたいのです。まず、おたくは殺された長門うさぎさんのお隣さんですよね?」


「ああ、大熊勇(おおくまいさむ)っていうよ。一年くらい前からここに住んでいて、殺されたあの、長門うさぎとは隣同士だ。って言っても、話をしたことはないんだけどな。あの女、こっちが挨拶しても会釈ひとつ返さねえんだ。常識知らずだよな」


 大熊勇が、うさぎに対して好印象を抱いていないのは明らかだった。


「ま、このアパートの住民はみんな愛想がないけどな。みんな貧乏だし、頭悪いし、なんかこう、お互いがお互いを見下し合ってる感じだよ。酷い場所さ。……それで続きは?」


「はい。ではあなたは長門さんと親しくはなく、隣人として顔見知りくらいだった、と。では事件前後のことをお尋ねしますが、まず事件前のことで、長門さんについて印象に残っていることがなにかありますか?」


「別に……。お互いに生活のリズムもかみ合わないし、めったに会うこともなかったからな。ああ、でも事件前の、今月の二日とか三日は、隣がやけにうるさかったぜ。スマホの動画かなんかをずっと流してたのかな。だから俺もつい何度か壁ドンしちまったわ。なにやってるんだと思って、部屋の前の電気メーターがずいぶん回っていて。えらく電気使ってんなあ、とも思ったぜ」


「よそ様の家の電気メーターなんて見るんですか?」


 私が尋ねると、大熊勇はニヤッと笑って、


「昔、取り立てみたいな仕事をしたことがあってね。そういうとき電気メーターの回転を見ることを覚えたんだ。回っていたら、中に人がいるって分かるのさ。ま、とにかく隣がすげえうるさかったのを覚えてるよ。たまらんなと思っていたんだが、それで、ええと、五日か。俺、朝の十時くらいに外へ出たんだ。あの自販機でコーヒー買おうと思って。そこへ――」


 大熊勇は、アパートの前にある自販機をあごで示しながら、


「で、缶コーヒーを買って帰ろうとしたとき、例の長門うさぎが部屋から出てきたんだよ。フードをかぶって、こう、下を向いていて……。前髪がダラッと垂れていて、でっかいヘアバンドつけててさ、あと、胸元にやたら大きな、ダイヤみたいな宝石のネックレスつけていてさ」


 その言葉に、私たち三人はちょっと顔を見合わせた。

 黒葛川幸平は、身を乗り出して、


「その長門さんは本当に長門さんでしたか? 別人が変装していたということは?」


 それは私が聞きたいことでもあった。黒葛川ナイス、と言いたくなった。

 だが、大熊勇はかぶりを振って、


「警察にも聞かれたけどな、それはない。いくらなんでも分かる。長門うさぎだったよ、あれは。着ている服もよく見るフード付きコートだったし。いちおうこっちは挨拶をしたけれど、やっぱり無視されたしな。長門うさぎは自分の部屋に鍵をかけて、ゆっくり、そう、やけにゆっくりアパートの外に向かって歩き始めたんだ。いま思えば、まさかあのときとっくに刺されて、怪我でもしていたのかって思うけどな、ははは」


 なにが面白いのか、大熊勇は笑い出した。

 いくら気に入らない隣人とはいえ、人が死んだのに笑い話にすることはないと私は思った。有紗先輩も不愉快さを顔に浮かばせている。

 だが黒葛川幸平だけは、ニコニコ顔を崩さずに、


「分かりました。貴重なお話をありがとうございました」


 そつの無い態度で、大熊勇から離れ始めていた。


「ああ、もういいの。じゃ」


 大熊勇は、これで用事はもう済んだとばかりに、さよならも言わず部屋の中に入ってしまった。あの人もあの人で社交能力については大いに疑問符がつく。私も他人のことは言えないけれど。


「うさぎさんって、どこに行ってもなんだか悪評ばかりだね。秋には悪いけれど」


 アパート前の車道まで移動すると、有紗先輩が小声で言った。


「死体をグチャグチャにされるくらいだし、よっぽど恨まれていたんやろうね。あ、もちろん犯人が凄く残酷なのは、言うまでもないけどね」


「恨みかどうかは、まだ分かりませんよ」


 黒葛川幸平はさりげない調子で言いながら、自動販売機でアイスコーヒーを買う。


「素晴らしい。十二月なのに冷たいコーヒーが外で買えますよ。どうですか、瀬沼さんと汐見さんもひとつ。奢りますよ」


「あ、じゃあボタージュスープで。アイスコーヒーはいりません」


「美味しいのに。……はい、どうぞ。汐見さんは?」


「いえ、私は要らないです」


 とてもそんな気分じゃない。

 それにしても冬なのによく外でアイスが飲める。

 いや、それよりも、事件のことをもっと考えたい。


「あの、恨みかどうかは分からないって、どういうことです。黒葛川先生」


「ええ、その。確かに今回の犯人は残酷です。ただこうまで死体を損壊するのは、恨みが理由かどうかは断定できないということです。と言うのも――これは僕が、これまで自分史をずいぶん手がけてきた経験から分かるのですが――犯人が被害者を何度も攻撃するとき、その理由はもっと単純なものです。何度も攻撃して確実に殺しておかないと、被害者が復活するかもしれないからです」


 あっ、と私は内心、思わずうめいた。


「ほとんどの人は殺人の経験がありません。だから一度や二度、刃物で刺したくらいでは、相手が死んだかどうか分からない。一見死んでいても、生き返ってくるかもしれない。それは怖い。だから、もう確実に死んだと言えるまで相手を攻撃するのです。今回みたいに遺体が異様に傷つけられている場合、犯人はただ小心なだけということも多いのですよ」


「じゃあ、黒葛川先生。あなたは、犯人がうさぎの死体をこうグチャグチャにした理由は、犯人が恨んでいるとかじゃなくて、なにか理由がある、と?」


「いやもちろん、恨みもあるかもしれません。ただ、怒りとか怨恨だけではない、恐らく別の理由があるのだろうと言っているわけで。遺体の両手だけ残して他はグチャグチャなんてのも、猟奇趣味が原因とは思われない。犯人は手だけを残すことで、死体が間違いなくうさぎさんだと世間に伝えたかったのでしょう。そこに事件の謎を解明する鍵があると僕は思いますが……」


 黒葛川幸平はそこまで言ってから、しまったとばかりにニコニコ笑い出した。私はよほど、顔を恐怖に引きつらせていたらしい。実際、怖かった。それは事件そのものの異様性と同時に、この黒葛川幸平の理路整然とした喋り方に恐怖を感じていたのだ。この自分史代筆家は、いかにも人の善さそうな笑顔をしている。だけど、大熊勇のごとき、粗暴そうな輩を軽くいなして、恐らく金銭を渡すことで証言を聞き出したのはこの人の手腕なのだ。おまけにたったいま披露した推理……。


 けれども、恐怖と同時に、私はこの人を信頼し始めていた。

 うさぎの事件を探るのに、これほどの人材はいないと思った。


「黒葛川先生はどうして、自分史の代筆家をやっているのですか」


 刑事か探偵にでもなったほうが、このひとに向いているような気がしたのだが、


「これしか食う道を知らんからですよ。調べ物をしたり、ものを書いたりするくらいしか取り柄がなくて」


 実際、黒葛川幸平は本当に、調べ物、そう例えるなら地元の城郭の歴史だとか、そういったものを調査することと同じように、この事件の全容解明に取り組んでいるように見えた。そうだとしたら、このひともずいぶん、常人と比べてなにかが欠落しているように思えるが――


「そうして調べものや、勉強をしているときの黒葛川さんが、わたしは一番素敵だと思うんですけどね」


 有紗先輩が、まるで星空でも眺めているかのような表情で黒葛川幸平を讃える。先輩はなにがあって、この代筆家を崇めているのかと思っていたが、いまなら分かる。先輩もきっと私のように、黒葛川幸平のただならぬ一面を知って、彼に心酔したに違いない。


「い、いやいや、どうも。素敵だなんてことは、別に、はあ……」


 黒葛川幸平は、有紗先輩の賞賛を受けて、顔を真っ赤にして大いに照れている。

 思っていたよりも異性に弱い人なんだろうか。


「いや、どうも。あまり人に褒められる経験がないもので。ははっ」


「そうなんですか? わたし、いつも黒葛川さんを褒めていると思うんですけれどね」


「はあ、どうも、恐縮です。どうも……」


 なんの話をしているのやら。


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