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第三話 見栄っ張りだから惨殺されたとでもいうの?


 うさぎの住むアパート『清瀬荘』は北千住駅の東側、荒川にほど近い場所に建っているのだけれど、このアパートの近くだけはいつも奇妙なほどに人通りがなく、活気もなく、アパート全体が、低い低い鉛色の雲に覆われているような雰囲気がある。


『清瀬荘』は、築五十年は経とうかという、オートロックもついていない木造二階建てのアパートである。外付けの赤錆びた階段を上っていき、無造作に置かれた洗濯機の横をかい潜っていくと、二階廊下の奥にうさぎの部屋がある。


 これがキラキラアカウント『ラビット』の自宅かと思うと、恐らく見る人が見れば笑うか泣くか、呆れるかというところだが、うさぎはそういう女の子だった。


 とにかく見栄っ張りで、ネットで人気者を演出し、SNSではこれでもかというほど可愛くてオシャレな自分を作り上げていたが、そのための収入は極めて不安定。だから住居のほうにしわ寄せが来た、ということである。もちろん『ラビット』のリアルがこんな有様ということは、ネットの誰も知らない秘密だけれど。


 見栄っ張りは、うさぎの子供の頃からの悪癖なのである。


 テストで赤点を取っても、八十点を取ったと豪語し(百点とか言わないあたりにうさぎの弱さと本質的な自信のなさが垣間見える。うっかり満点といえば確実にボロが出るからだ)、ふたつ年上のかっこいい先輩が学校を卒業した三ヶ月後に「実は昔、告白されたことがあるんだ」なんて、みんながもう確認できない状態になってからいかにもな嘘をついたり、繁華街を歩いていたらアイドルにスカウトをされたりとか、そんな話をすることもあった。


 今回、彼女が殺害されたのも、そんな見栄っ張りというか虚言癖が頂点に達した結果ではないかと、そう思ったりもする。


「さすがにもう、警察もいないみたいですね」


 うさぎの部屋の前に立つと、黒葛川幸平はあたりをキョロキョロと眺めながらそう言った。

 すると有紗先輩が、両手を腰にあてながら、


「事件発覚からもう四日になるからね。マスコミも姿が見えんよね」


「むしろまだ、四日しか経っていないのかって気がしますよ」


 ここで事件前後のうさぎについて分かっていることを時系列順に整理すると、



十一月三十日 午後九時ごろから、駅前繁華街にある雑居ビル内のイタリアン『ファリーナ』で友人三人と共に、計四人で食事(店員の証言)。SNSに夕食と自撮り画像をアップ。午後十一時ごろに店を出た後、二次会にも行かずに姿を消した。


十二月一日 午後十時ごろ、自宅アパートに帰宅(防犯カメラにて確認、大きな紙袋を持って、ヨタヨタと歩いている。なにか買い物をしたのか)。前日からの動向は不明。


十二月一日〜四日 時おり、近所に外出(防犯カメラの映像より)。時おりSNSに自撮り画像をアップ。


十二月五日 午前十時ごろ、アパートから外出(防犯カメラと、隣人の目撃証言。再び紙袋を持っている)。


十二月六日 SNSにコーヒーと自撮りの画像をアップ。長門うさぎがSNSにログインした最後の記録。


十二月七日 差出人不明の普通郵便が複数、長門うさぎ宅に届く。郵便ポストにはガムテープが貼られ、赤マジックで『オキハイシテクダサイ』と書かれてあったため、配達員、置き配。置き配をする前にドアホンを一度鳴らすも返事はなかった。


十二月八日 近隣の住民が異臭を嗅ぎつけ、通報。警察が到着。置き配の封筒の中に、グチャグチャにされた人間の死体と粘土が混ざったものが入ったビニール袋を発見。部屋には鍵がかかっていたため、警察が管理会社に連絡の上、部屋の鍵を開けて室内に突入すると、グチャグチャに刻まれたうさぎの遺体が部屋中に撒かれ、また壁や天井にこすりつけられていた。ただし、腐敗が進んだ手首だけは室内に残っていた。


十二月九日 室内に残された手首の指紋と、室内の指紋を照合(室内を調べたとき、うさぎの部屋は掃除された痕跡があった)。手首は間違いなく長門うさぎのものであった。警察は室内と封筒内の遺体を長門うさぎと推定。すべての遺体の損傷が激しく、死因、死亡時期、共に特定できず。殺人事件としてマスメディアが報道。


十二月十一日 長門うさぎのSNSアカウントがネットで炎上する。



 そして十二日に私がネットカフェで有紗先輩に相談し、十三日午後四時半ごろ黒葛川幸平に相談。

 その後、こうして三人でうさぎの家にやってきた、というわけだ。


「この経歴を考えると、十二月六日まではうさぎは生きていて、その日の夜に殺害されたと思っていいんですよね」


 と、私が言うと、黒葛川幸平は、ううんとうなって、


「まあ、そうなんですがね。……」


「なにか疑問があるんですか?」


「あ、分かった。SNSに画像がアップされているからって、生きているとは限らんってことでしょ?」


 有紗先輩が、してやったりの表情で言った。

 確かにSNSの画像なんて、生前に撮影したものを投稿すればいいだけだ。その時間に投稿されているからと言って、うさぎが生きていたとは限らない。


「いや、そうです、さすがは瀬沼さん。僕もそれを考えていたんですが」


 黒葛川幸平はニコニコと笑って、


「ただ、五日には長門さんがアパートから外出しているところをお隣さんが目撃していますからね。それまでのSNS投稿は、やはり長門うさぎさんご本人と考えて差し支えないでしょう。少なくともいまの段階では……。しかし……。汐見さん、そのSNSの画像はいま、見られますか?」


 言われて私は、スマホを開き、うさぎが十二月上旬にアップした数々の自撮り画像を黒葛川幸平と有紗先輩に見せた。


「顔の加工、激しいね」


「昔からです」


 うさぎがアップした画像は、加工だらけで、肌がずいぶん白く、目玉が大きい。けれどもこれはいつものうさぎなので、なんともコメントしにくい。やけに大きな、うさぎにしては安っぽいヘアバンドをつけているのが印象的だったが、これも特筆するようなこととは思えなかった。


「なるほど、いやどうも、ありがとうございます。参考になりました。……しかし、できれば長門うさぎさんの遺体の状態や、犯行現場を見てみたいですね。グチャグチャ死体といっても人間ひとりの死体です。顔もあれば腕もあり、心臓もあれば骨もある。どの部位がどのようになっていたかによって、僕の考えも変わってくるわけですが」


 黒葛川幸平が、笑顔でグロデスクなことを口にしたので、有紗先輩は顔を蒼くし、私も茫然自失としてしまった。

 発言はもっともだが、この自分史代筆家は凄いことを言う。


「あの、ええと」


「黒葛川(つづらがわ)です。覚えにくい名前ですみません。呼びにくかったらウズラ川と呼んでいただいても構いませんよ」


「いえ、そういうわけには。……名前の話ではなくて、あんまり凄い話だったので。うさぎの遺体のどこがどうなっていたかって、大事なんですか?」


「大事になると思います。切り方や状態によっては、それで犯人の思想や人格が見えてきますからね。しかしいまの段階では、まだなんとも言えないようです。だから別のことを考えましょうか。長門うさぎさんの遺体は、ほとんどがアパートの部屋の中で発見された。十二月五日に外出した長門さんは、その後、帰宅した形跡がない。それなのに遺体が室内にある。大きな謎です。しかも入り口には鍵がかかっていた。窓も割られた様子はない」


 喋りながら、また外付け階段を下りていき、アパートの周囲をぐるりと回り始める、黒葛川幸平。

 私と有紗先輩も、慌てて彼に続いた。

 見れば見るほど、ただの二階建てアパートだ。


 当たり前だけれど、秘密の抜け道とか隠し通路なんてものはありそうもない。

 そのとき有紗先輩が、手を叩いた。


「そうだ、屋根裏は? このアパートの住民が犯人で、グチャグチャの死体を屋根裏からうさぎさんの部屋に放り込んだんよ。きっとそうよ」


「いや、瀬沼さん、それは無理です。僕もここに来るまでにネットで情報を集めてきたんですが、屋根裏はホコリだらけで、人間が入った形跡はまったくないそうです。それに長門うさぎさんのグチャグチャ死体は、部屋の壁や天井に満遍なく撒かれていたそうです。屋根裏から放り込むだけじゃ、遺体は床にしか散らばりません。つまり犯人は間違いなく、被害者の部屋に入り、長門うさぎさんの遺体を壁や天井に叩きつけたのです」


 黒葛川幸平は何気ない口調で言ったが、その台詞は私にちょっとした恐怖をもたらした。殺人犯がうさぎの部屋に入っていた。いま、私たちが眺めているアパートの一室に、一度は間違いなく殺人犯がいたのだ。それも、恐らくほんの数日前に! その事実を考えると身が震える。


「しかしうさぎさんは一度、家を出ている。出かけているのに、密室内に遺体があり、遺体の一部が郵便で送られてきた。そこが一番の謎です。遺体はいつ、このアパートの中に――」


 そのときだった。


「うるさいんだよ、お前ら!」


 と、毒々しい男の怒号が聞こえてきて、私は思わず身をすくめた。

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