『ラビット フォロー12089人 フォロワー84258人』(アカウント開設日:2018年4月7日)
夕方だというのに、街の光が妖しく煌めいている北千住の駅前。
新宿や渋谷などに比べれば北千住なんてと思う人も多いだろうけど、私のような、心の底までインドアに染まりきっている人間からすると、この駅は充分に眩しい。もともと故郷ではないから、余計にそう思うのかもしれない。
そんな駅前の一角に陣取るチェーン系のカフェバーで、黙々と温かいカフェラテを口にしながら、うさぎのSNS『ラビット』を改めて眺める。
キラキラアカウントとして、ちょっとした有名人だった『ラビット』は万を超えるフォロワーを持っている。
もっとも『ラビット』は、お洒落な画像や発言もさることながら、冴えない中年男性を罵倒したり、炎上系の話題にしょっちゅうコメントをしたりすることでフォロワー数を伸ばしていた一面もある。『ラビット』を純粋に好きでフォローしていた人間は何人いるのだろうか。それに、事件後にフォローを始めた野次馬も多いようだ。事件前のフォロワーは確か七万七千人くらいだったはずだ。
なんにせよ『ラビット』はこのフォロワー数について、生前、
【まだまだ少ない。せめて十万を超えるフォロワーさんが欲しい】
なんてつぶやいていたことがあったけれど、芸能人でもないのにフォロワーが万を超えているなんて、そもそも凄いことじゃないかと私は思う。
いっぽう私も『あき』の名前でSNSをやってはいる。
うさぎと同じ、つぶやき系のSNSである。けれどもこれはただの趣味垢で、たまに行くカフェの画像をアップしたり、アニメや漫画、小説の感想をつぶやいたりするだけのアカウントだった。
私自身も、もちろん有名人ではない。
学校を卒業したあと、どんな仕事も人間関係で失敗し、二十五歳となったいまは、北千住と南千住の中間にあるネカフェ『サイバード』で深夜バイトをやっている、ただの陰キャ女である。だからフォローもフォロワーも数十人ずつしかいない。
それでいいと思う反面、『ラビット』の百分の一にも満たない自身の発言力と影響力を、不甲斐なく思うときもある。『ラビット』と相互フォロワーでありながら、ネット上では親しく喋る仲でありながら、どうしてこうも差がついたのか。有紗先輩は、
「一般人がSNSのフォロワー数なんてどうでもいいやろ」
と笑い飛ばしていたけれど。
なお先輩もいちおうSNSをやってはいるが、ほとんど放置状態らしい。一時はよくやっていたらしいが、ある日ふと、四六時中他人と繋がっているような感覚が面倒になったと言うのだ。強い。流行をまるで気にしない有紗先輩の性格が、羨ましいやら、妬ましいやら。
もっとも『ラビット』は、フォロワー一万を超える目立ちぶりだからこそ殺害されたのかもしれない。ときどきフォロワーたちを集めて、オフ会のようなことも行っていたようだし、もしかしたら事件の犯人はフォロワーの中にいるのかもしれない。そう思いながら私は、SNSでつぶやいた。
【ラビットのことを相談するひと待ち。事件の真実を知りたい。あきは頑張ります】
すると、返事がついた。
【頑張ってください。ラビットさんのアンチはめちゃくちゃ多いですが、それでも殺されるのはあんまりです。真実を知りたい。それができるのはあきさんだけです】
『ラビット』と『あき』が相互フォロワーであり、よく会話を交わしていることは、ネット上でもそれなりに知られていた。生前の『ラビット』がささいなトラブルで炎上したとき、こちらにまで飛び火してきたこともある。学生時代からの関係なことは、さすがに誰も知らないようだけど。
『あき』のつぶやきに対して、応援の返事がいくつかついた。
【パパ活女が殺されるのは自業自得】
なんて、誰だか知らない馬の骨からも返事が来たがガン無視する。
と、そのときだった。
「ごめんねえ。待った?」
有紗先輩の声が聞こえたので顔を上げる。
すると先輩の肩越しに、キャリーバッグを引きずっている男性がいた。
視線が合った。男は、照れたように顔を赤くしながら何度もぺこぺこしてきた。この男が有紗先輩の言っていた、探偵みたいな感じの人?
白いハイネックに黒いジャケットを着た、なんだか肉体に特徴のないひとだった。身長は百七十くらいだろうか。見たところ年齢もよく分からない。二十歳くらいにも見えるけれど、アラフォーくらいにも見えてしまう。髪の量は多めで、長い前髪が若さを感じなくもない。
ただ、左右の瞳だけは印象的だった。
雌雄眼(しゆうがん)というのか、双眸の大きさが異なるのだ。左眼のほうが少しだけ大きい。眼球そのものが驚くほど透き通っている。
「どうも、初めまして。僕は黒葛川幸平(つづらがわこうへい)といいます。よろしくお願いします」
つづらがわ、という苗字が珍しくて、スマホに漢字で書いてもらった。
驚いたことに一発変換できた。
「黒葛川さんはね、文章を書く仕事をしてるんよ。わたしも昔一度、ちょっとお世話になって知り合ったんだけど」
「文章というと、作家さんですか?」
尋ねると、黒葛川幸平はイヤイヤと手を振ってから、紙片を差し出してきた。
名刺だった。自分史代筆家・黒葛川幸平と書かれてある。
「ジブン、シ? なんですか、これ」
「ああ、自分史とは読んで字のごとく、自分の人生の歴史ですよ。例えば会社の社長さんが還暦を迎えた際に、自分の人生を文章として残したいと思って、子供の頃から年配になるまでの人生を文章なり映像なりとして記す。それが自分史です。ところが世の中には、自分史を作りたいけれども、文才がない、あるいは自分史を作る時間がない、そういう人がいます。そんな人の代わりに僕が自分史を作るわけです。つまり、自伝のゴーストライターとでもいいますか」
それで自分史代筆家という肩書きになるわけか。
黒葛川幸平がなぜそんな仕事をしているのかは分からなかった。興味も無かった。ただ、有紗先輩がどうして自分史代筆家と関わりをもったのかは不思議に思ったけれど。
「ですが世の中には、自分のことを知らない人、覚えていない人も多いのです」
黒葛川幸平は、注文を取りに来た店員にアイスコーヒーを注文しながら言った。
十二月なのにアイスかと思ったが、
「いえ、店の中は暖房が効いているし、こっちのほうが脳みそがクールダウンしていいんです」
まるで私の心を読んだかのように、黒葛川幸平はニコニコと、親しみを感じさせるような笑みを浮かべながら言った。
「ええと、どこまで話しましたかね。そう、自分のことを知らない人や忘れている人も多い。僕はそういう人の過去を調査する役もやっているんです。例えばある芸能人は自分史を作りたいが、父親の顔を知らない。だから僕が調査をして、その上で原稿を書いた。そういうこともありました」
「ああ、それで先輩、探偵みたいな人って言ったんですか」
「そういうことよ。黒葛川さんはなんでも調べちゃうからね」
有紗先輩は一足早く運ばれてきたミルクティーをひとすすりしながら、眼を細めて黒葛川幸平に視線を送っている。
その瞳の熱っぽさから、先輩がこの自分史作家に絶大な好意と信頼を置いているのが分かった。
「それで、汐見さん。……」
黒葛川幸平は、温もりを帯びた雌雄眼で、私のことを一直線に見据えながら、
「瀬沼さんから話はうかがっておりますよ。殺された長門うさぎさんこと、アカウント『ラビット』さんのことを調べたいんですね?」
「はい。事件の真実を調べて、違うところは違う、本当のところは本当に。すべてを明らかにしたい。そして、その真実を、できればわたしのSNSでみんなに伝えたいんです。うさぎにも問題はあったと思いますが、でも、あの殺された方はあんまりです。うさぎにはうさぎの言い分もあったと思います。だからうさぎの事件のすべてを解き明かして、ネットで発表し、ネットの炎上を少しでも抑えたいのです」
「警察やマスコミに任せよう、とは思わないのですか?」
「もちろん捜査や逮捕は警察にお任せしますけれど、ネットは警察やマスコミの発表を素直に信じないところがありますから。生前から『ラビット』の親友だった『あき』が事件を調べて発表することが大事なんだと、私は思っています。それが親友だった私にできる唯一のことだと思うんです」
「ご立派です。いや、見上げたものです」
黒葛川幸平は、心底、感嘆したような表情を見せると、
「いまどき、なかなかそこまで考える人はいませんよ。家族ならばまだしも、お友達となると。僕、感服致します。長門さんとは、そんなにも長年の親友だったのですか?」
「ええ。小学校入学のとき以来ですから」
そう言って私は、スマホの中に入っていた昔の写真をいくつか、黒葛川幸平に見せた。