「殺された親友のアカウントが、めちゃくちゃに炎上してるんですよ」
レジ周りの清掃作業を行いながら、何気なく私は言った。
平日深夜三時のネットカフェに、新規で入ってくるお客はもういない。
アルバイトをやっている私と、ひとつ年上の先輩は少しばかり暇をもて余していた。
だからと言って、この雑談の入り方は少々インパクトがありすぎたらしい。
瀬沼有紗(せぬまありさ)先輩はさすがに動転したのか、細い眼を見開いて、
「殺された? なんやそれ、初耳」
「私と小学校入学から十何年も付き合っている親友が殺されたんですよ。昨日、テレビとかネットでずいぶんやっていたでしょう。あの殺人事件です。被害者がバラバラにされていた上、身体の九割は密室の中、残りの一割が部屋の外。そう、アパートの部屋の外に置き配されている茶封筒の中で発見されたという、あの怪事件です」
「はあ!? 知らん、知らん。なんなん、それ。グロすぎ。わたし、そういう話、苦手なんやけれど」
有紗先輩は二十六歳にもなって、スプラッタな話が苦手なのだろうか。
福岡から上京してきた先輩は、方言混じりで声を荒らげる。常日頃は誰に対しても強気で、バイトの身分でありながら店長に対してもショートの金髪を振りかざして食ってかかるような女性なのだけれど。有紗先輩、きっと地元ではヤンキーだったに違いないと私は思っている。なんにせよ強気な先輩の意外な弱点を知って、意地悪な私はちょっと嬉しかった。
「じゃあこの話、もうやめますか?」
「ううん。ああ、でも、いまちょっと退屈やしね。興味もあるし、続けてよ。よく考えたら、そんなに怖くもなかったし。続けて」
本当は興味があるというより、陰キャな後輩の私に弱みを見せたのが失敗だと思ったのだろう。有紗先輩はそういう人だからな。私は内心、ちょっとだけ得意になりながら、
「被害者は私と同じ二十五歳で、長門(ながと)うさぎという子なんです。名前は漢字じゃなくて、ひらがなのうさぎ。私とは小学校と中学校が同じで、ずっと仲良くしていたんですけれど、一昨日、殺されていたのが分かったんです」
「え、待って。親友が殺されたんよね? その割によく落ち着いとるね、あんた。バイトなんかしてる場合じゃないでしょ。葬式とか行かなくていいの?」
「母子家庭の上、母親と絶縁している子だったんで、遺族とか葬式とかないんじゃないですかね。細かいことは分かりませんけれど。殺人事件だから遺体も警察が預かっているみたいですし。――ええ、もちろん悲しいですよ。悲しくて、悲しくて、いまでも現実とは思えないくらいです。だからこうして、せめて先輩相手に喋って、気持ちを整理していると言いますか」
私の目から、ひとすじの涙がこぼれた。
他人からよく、冷たいとか、ひとの気持ちが分からないとか言われている私でも、同級生のことに涙を流すことができたらしい。自分でも意外だった。
「ごめん、わたし言いすぎた。そうよね、悲しくないはずないよね」
「――それで、うさぎの話の続きなんですけれど。さきおととい、つまり十二月九日ですね。うさぎが一人暮らしをしているアパートの隣人から、異臭がするって通報があったんです。それで警察がやってきたら、その部屋の前に茶封筒が何個も置き配されていて、中を開いたらビニール袋が入っていました。そして、その袋の中にはうさぎの遺体の一部がグチャグチャにされて、粘土と一緒に詰められていたんです。警察は管理会社に連絡したうえ、ドアの鍵を開けてアパートのワンルームに入ったら、もう、うさぎの部屋は、天井も壁も床も、汚物をブチ撒けられたみたいに汚れていて、しかもその汚物のほとんどが、なんと、うさぎだったんです」
「それでバラバラ死体、ってこと?」
「バラバラというより、グチャグチャ死体と表現するほうが正しいかもしれません。グチャグチャにされたうさぎの遺体が、部屋中にばらまかれ、たたきつけられ、壁にこすりつけられて」
有紗先輩は露骨に顔をしかめた。珍しく動転しているらしい。
けれども、やはり弱っているところを私に気取られるのは癪なのか、先輩は演技がかった笑みを浮かべて、
「それならさすがに殺人事件やな、事故とか自殺って線はないわ。けれど、よくそれで死んだのがあんたの親友だって分かったね」
「それが、遺体のほとんどはグチャグチャなのに、遺体の両手だけは室内に残されていたんだそうです。その指紋と家の中にある指紋を照合したところ、手首は間違いなくうさぎのもの。他の遺体も、まずうさぎで間違いないということになったそうです」
「手首、だけ?」
「そうです。その上、家の中の指紋を見つけるのも一苦労で。というのも、うさぎの部屋は綺麗に掃除された痕跡があって、うさぎの指紋すら簡単に見つからず、壁にかかっている掛け時計についた指紋から、やっと指紋を検出できたそうです」
「なに、それ……」
有紗先輩は、明らかに絶句していた。
その後に出した声は、可哀想になるほど小刻みに震えていて、
「それで、そのうさぎって子のアカウントが炎上しているってどういうこと?」
それでも会話を続けようとするあたり、やはりこの先輩は肝が据わっているのかもしれない。
「どうして事件の被害者が炎上するんよ。かわいそうやん」
「うさぎのアカウント、マスコミが事件を報道してすぐに特定されたんですけれど、いわゆるあれです、パパ活とかやっていて、身なりをブランドもので固めていた子だったんです。それでいつも映える写真や、自撮りをアップしたりして、みんなにチヤホヤされていた、いわゆるキラキラアカウントでした。けれどもそのアカウントでは、モテない人や貧乏な人、冴えない男性を馬鹿にするような発言を繰り返していたんです」
「ああ、そりゃ炎上するわ。しかもそういうことを言っていた本人が、言っちゃ悪いけどさ、ワンルームのアパート住まいだったんだよね?」
「まさにそういうところです。『性悪女ざまあ』『自分も貧乏じゃねえか』『クソブスにふさわしい末路』エトセトラ、エトセトラ。見るに堪えない罵詈雑言が、うさぎのアカウントに寄せられている有様です」
「ねえ、その子、あんたの親友なんだよね? よくそんな子と友達続けていられたね」
「確かに困った子でした。でもやっぱり、子供の頃から知っているから、……どうしても、嫌い、になれなくて。何度か忠告したこともあったんですけれど」
「甘いね。……ああ、ごめん。秋は優しいね。でもその優しさ、うさぎって子には伝わらなかったんやね」
有紗先輩は初めて会った半年前から、私のことを下の名前で秋と呼ぶ。
年下とはいえ、それほど親しくもない人を下の名前で呼ぶ感性がどうしても私には理解できないが、これも給料のうちだと思って耐えることにした。それにしても単純な名前だ。私の名前は汐見秋(しおみあき)。秋に生まれたから秋なのだ。適当にもほどがある。
「それにしても、どういう事件なんやろうね。密室殺人事件、といっても身体のほとんどが室内で、一部が外の封筒の中?」
有紗先輩は小首をかしげて、
「まず室内で殺しておいて、死体をグチャグチャにする。ほとんどを部屋の中に残しておいて、残り一部を外に出す。そしてうさぎさん――さん付けでいいかな。うさぎさんの部屋の中にあった鍵を使って、ドアに施錠。そして、その場を後にする……」
「私もそう思っていました。けれど、ニュースを見た限りではそれはあり得ないんです。なぜなら十二月五日、つまり遺体発見から四日前のことですが、アパート前の防犯カメラに、歩いて外出するうさぎの姿が映っているからです。そしてうさぎはもう二度と、アパートに戻ってきませんでした。そして十二月九日に通報されて遺体発見、という……」
「じゃあアパートを五体満足に出ていったうさぎさんが、グチャグチャ死体になっていつの間にか帰ってきた、っていうこと? それも九割は室内で一割は外で?」
「そうなります」
「嘘やろ……」
有紗先輩は、蝿を目で追いかけるかのように視線をさまよわせた。
「私も事件を知ったときは、先輩と同じような顔をしましたよ」
「そりゃそうよ。だって、だって、ええ? そのアパートから出ていったうさぎさんは本当にうさぎさんなの? 偽者じゃないん?」
「防犯カメラに写っている映像を、私もテレビで見ました。少し画質は悪かったですが、あれはうさぎに間違いなかったです」
「なに、それ。意味が分かんない。ねえ、秋はなんか、亡くなる前のうさぎさんから話を聞いたりしてないの? 近ごろストーカーに狙われているとか、そういうの」
「いいえ、なにも。ただ日ごろの態度が態度なので、敵は多いだろうなと思っていましたが。……真相は知りたいですよ。ネットではうさぎ、目の敵にされていますから。やってもいない悪事までうさぎのせいにされていたりするんです。近ごろ起きたパパ活のトラブルにもうさぎが絡んでいたとか、裏には半グレが絡んでいる、とか。実はヤクザの愛人だった、なんて噂まで。真実ならともかく、嘘でうさぎの名誉が汚されるのは我慢なりません」
「ネットって一度目を付けると、そうするよな。ううん、このままだと警察は、犯人を逮捕、まではしてくれても、ネット上の嘘や悪口までは対処してくれないよね。遺族もいないんじゃ、なおさらだ」
「そんなのは」
私は思わず、拳に力を入れた。
「あんまりです。いくらなんでも。やってもいないことまで叩かれるなんて。私、うさぎの事件の真実を知りたい」
そのとき利用客がレジの前までやってきて、カップラーメンを買いに来た。有紗先輩はすぐに接客モードになって、レジを打つ。私は動けなかった。我ながら鈍臭くて嫌になる。冷静であろうとしたはずなのに、結局はうさぎの事件に心を囚われてしまっている。
「大丈夫? 少し休んできたら? いまならお店もヒマやし」
有紗先輩の優しさが、ちょっと嬉しかった。
正直、元ヤンみたいな髪の色と雰囲気が苦手だった人だけれど、根はいい人かもしれない。
私は反省し、有紗先輩への評価を改めながらかぶりを振った。
「いいえ、大丈夫です。仕事、できます」
「なら、いいけれど。……ねえ、いま思ったんだけれど、事件のことが気になるなら、いい人を紹介しようか? わたし、こういう事件について強い人をひとり、知ってるんだ。探偵――じゃないけれど、まあそんな感じの人よ。事件の謎を絶対に解き明かしてくれる人なんよ」