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第57話

 エピローグ 和藤爽の日常



 和藤爽の朝は早い。

 小鳥が鳴き始めると隣で寝ている二人の妹達を起こさないよう静かに布団から抜け出し、寝室をあとにする。

 パジャマから着替えるとYシャツにエプロン姿で朝食の準備を始めた。同時に二人分のお弁当を一緒に作る。一食にかける予算は決まっていて、既に栄養面も考えた献立は週の頭に決まっていた。育ち盛り妹達は女子とは言えそれなりに食べるため、量もそれなりにいる。空いた時間におにぎりを作ってそれを食べた。

 朝の六時。長女の瑠衣が起きてきた。瑠衣は陸上部に所属しているため朝練があった。

「……おはよ」

「おはよう」

 眠そうな瑠衣に爽は料理を作りながら答えた。

「今日の朝ごはんなに?」

「ナスのお味噌汁と鯖の塩焼きと卵焼き」

「また和風~。たまにはもっとオシャレなのも食べたいよ。あのお嬢様みたいにさあ」

「文句があるなら無理に食べなくてもいい」

 爽はそう言いながら味噌汁の味見をした。

「食べないで朝練行ったら倒れるって。顔洗ってくる」

 瑠衣は肩まで伸びた髪を後ろで結びながらすぐ近くの洗面所に向かった。

 瑠衣が身嗜みを整えている間に爽は朝食をこたつテーブルの上に並べた。

 瑠衣は戻ってくると眠そうに「いただきます」を言って食べ始める。

「あ。そうだ。今度の連休合宿があるんだよね。だからサインしてもらわないと」

「いつまでに?」

「今日まで」

「なんでそれを今日になって言うんだ?」

「今日になって思いついたから」

 瑠衣は体を伸ばして近くにあった学校鞄を引き寄せると中から折れ曲がったプリントを取りだしてテーブルに置いた。爽は手を拭きながら胸ポケットからペンを取り出す。

「他には?」

「もうない。と思う。今日のお弁当はなに? お肉入ってる?」

「鶏の胸肉の南蛮漬けを入れといた」

「また胸肉……。ま、いっか。おにぎりは?」

「おかか」

「まあ。おかかもおいしいけどね。今度あじ玉入れてよ。友達がそれでおいしそうだった」

「玉子が安かったらな。本当にもうサインするのはないのか? この前みたいに学校まで行くのはやめてくれよ?」

「分かってるって。あの子のお世話で忙しいもんねえ」

 瑠衣は嫌味っぽくそう言うと卵焼きをぱくりと食べた。

 爽は溜息をついてお弁当作りを再開する。そして完成したものを瑠衣に渡した。

 瑠衣はお弁当を受け取ると鞄に入れ、時計をちらりと見た。まだ時間が少しあった。

「あのさ。純が高校生になったらバイトするって。あたしも大学行ったらするつもり」

「何度も言ってるだろ。大学生ならともかく、高校生からする必要はない」

「でもしないとお兄ちゃんはずっとあそこであのチビにこき使われるじゃん」

「……それも大事な仕事だ。別にイヤじゃないさ」

「あたし達がイヤなの。親の代からずっとあの家に使われるとか」

「父さんが亡くなって困っていた時に今の主人が雇ってくれたんだ。あの時は私はまだ中学生だった」

「私ってやめて。ここは仕事場じゃないんだから」

「……僕は中学生で、瑠衣は十歳。純は八歳だった。だけど施設に入らずに済んだのはあの人の支援があったからだ。返しきれない恩がある。先代にもだ」

「はいはい。何度も聞いてるよ。純が大学出るまではあそこで働くでしょ? だからそれがいやなんだって。お兄ちゃんの人生を犠牲にしてるみたいでさ」

 瑠衣がそこまで言った時、寝室の扉が開いて純が出てきた。姉の瑠衣とよく似ているが、陸上をやっていて引き締まった瑠衣とは違い、純はのんびりした印象を与える。髪も肩より長かった。

 純を見て瑠衣は面倒そうに鞄を持ってアパートの玄関に向かった。

「じゃあ、いってきます」

「……いってらっしゃい」

 爽が溜息をつく後ろで妹の純も「いってらっしゃい」と呟いた。かと思えば爽の方に向き直す。

「いっぱい寝たらお腹すいた」

「……もうできてるよ」

 和藤は腕時計を確認した。もうすぐ写楽家に向かわないといけない。

「用意があるから七時には出る。サインが必要なプリントとかないだろうな?」

「あるかも」

「……なら早く出しなさい」

 純がプリントを探している間に爽は洗濯物を干し始めた。妹の下着は風呂場で干した。誰かに見られるのはイヤだが兄に干されるのはいいらしい。

 干し終わると和藤は自分の準備を始める。コートは目立つので鞄の中に入れておき、あちらで着替えている。

 爽がプリントにサインすると純は味噌汁をじっと見つめながら言った。

「来年になったらね。友達の家のパン屋さんで働こうと思ってるんだ。パン好きだし」

「部活はどうするんだ? 演劇部に入るんだろ?」

「うん。だから部活が終わってから行くつもり。お腹が減ってもパンを食べれるでしょ?」

「そんな時間に食べたら夕飯が食べられなくなる」

「晩ごはんも食べます。食べるの好きだから」

 爽は小さく息を吐いた。

「あのな。そんなに僕のことを気にしなくてもいいんだ。今の仕事は気に入ってるし、楽しい。別にやらされてやってるわけじゃないよ」

 すると純はかぶりを振った。

「そうじゃないよ。ただ協力したいだけ。お姉ちゃんも部活を引退したらなに言われてもバイトするって言ってるし。そのためにも推薦取るためにがんばってる。だからわたしもなにかしないとなあって思ってすることにしました」

 なにか言いたげな爽に純は優しく笑って言った。

「普通じゃなくてもいいんだよ。わたし達なりに幸せなら」

 そう言われると爽はなにも言えなくなり、目を閉じながら立ち上がった。

「……分かった。続きは帰ってから話そう。いってくる」

「いってらっしゃーい」

 爽は妹の声を背に外に出るとアパートの二階から空を見上げた。

 色々な感情が生まれてくる。それを整理し終わると彼は執事として写楽家へと向かって歩き出した。



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