ボロボロの新聞 下
「謝罪だとッ!?」
放課後。連絡を取り、わざわざホテルまで出向いて跡羅の言葉を伝えたボクに洲本は苛立ちながら叫んだ。
「でなければ破滅すると愛莉さんの弟に脅されました。あの目は本気でしたよ」
「分かってないな。強請をしようとするような奴は喩え謝罪しても次から次に要求してくるんだ。うちの事務所にもいたよ。弱みを握られてカネを払い続けていた人が」
「じゃあ」
「もちろん謝らない。そもそも俺は謝るようなことをしてないはずだ。男と女が出会い、愛し合った結果こうなっただけなんだから。それに中絶の費用なら払うと言ったんだ。それを拒否した段階で俺に責任はないよ」
「……なるほど」
ボクが呆れてると洲本はムッとしてこちらを指さした。
「今俺を酷い奴だと思っただろ? 言っとくがこの情報を漏らしたりこれを使って脅したりしたらお前の事務所を潰してやるからな」
「言いませんし使いませんよ」
ボクはやれやれと肩をすくめた。余裕がなくなるとその人の本性が現れると言うが、仮面を外したこの男の顔は随分醜いみたいだ。だからこそ、それを気付かれないように演じ続けた結果、役者として成功しているのかもしれない。
洲本は小さく息を吐くと幾分落ち着き、ソファーに深く腰掛けた。
「……すまない。今ちょっと忙しくてね。ここでもドラマのロケで来たんだが、仕事中もあの新聞がちらちらと浮かんできて集中できないんだ。そのせいでイライラしてしまった。ダメだな。女子高生相手に」
「……まあ、お気持ちは察しますよ」共感はしないが。
「ありがとう。息抜きが必要みたいだ。時間があったら散歩にでも行くよ。ここの町並みは綺麗だしね」
「古い洋風の建物が多いですからね。見るところはたくさんありますよ」
怒ったかと思えば謝り、感謝する。案外気が小さいみたいだ。
だからこそ女性は許してしまうんだろう。それだけ世の男性が謝れないというのもあるかもしれないが。
「できればあと三日で成果を出して欲しい。俺はまた東京に戻らないといけないからな。それまでにボロボロの新聞が見つからなかったら最後の手段に出るしかない」
「最後の手段……。手に入れられないなら消してしまうつもりですね」
洲本は目を丸くした。
「驚いたな……。そこまで分かるのか?」
「空き巣をしたり置き引きめいたことをするんだ。火事を装った放火くらいしてもおかしくないですからね。留守中に家ごと燃やしてしまえば証拠もなにもない」
「……するとは言ってないよ」
「そしてしないとも。分かりました。三日以内に在処を見つけ出します。あの家にはかわいい猫もいますから」
ボクはそう言うと立ち上がり、部屋から出た。
ホテルから出ると洲本が泊まる最上階を見上げる。
新猫鮭駅に近いこの高級ホテルからは猫鮭市が一望できた。古い平屋で暮らすあの姉弟とはあまりにも対照的だ。その上、このままだとその平屋さえ失いかねない。
ボクは小さくため息をつき、前を向いた。
「ありがとう。君にホームズたれと言われなかったらさっさと手を切っていただろうな。どうにかノートンとあの家を守らなければボクは写楽家の名折れだ」
「お気になさらないでください」と和藤は言った。「先ほどの会話は録音してあります。いざと言う時はこちらを使って止めればよいかと」
「さすがだな。だけど必要ない。ボクは探偵だ。推理で止めてみせるさ」
車に着くと和藤はドアを開け、優しく微笑んだ。
「そうでしたね。いらぬお節介でした。申し訳ありません」
「よい」
車に乗るとドアが閉められ、ボクらは静かにホテルから去った。
道路に出てすぐに原付とすれ違う。自転車に乗る主婦や楽しそうに笑う小学生の集団もいた。高級ホテルから少し離れればすぐに下町の香りが漂ってくる。
この町ではみんなが素朴な生活を送っていた。それを踏みにじっていい権利など誰にもないはずだ。しかし力ある者はそれをしていいと考えてしまう。
ならそうさせないのもまた力ある者の責務なのだろう。
やるべきことがはっきりすると頭の中が澄み、前だけを素直に向けた。