屋上に残されたボクらしばらく黙っていた。
ボクがベンチに座ってブラウスのボタンをかけ直していると和藤が心配そうに尋ねた。
「……大丈夫ですか?」
「え? ああ、うん。ボクは大丈夫だ。変だけどそこまで怖くはなかったんだ。それにしても早かったな」
「……………………………………そうですか?」
なんだその間は。さてはどこかに盗聴器でも隠して付けてるな。あとで探しておこう。
ボタンをかけ終わるとボクは大きくため息をついた。
「自分が情けないよ……」
「相手は男子です。力では勝てませんよ。そういう時のために私がいるんです」
「違う。そんなことじゃない。ボクは悩んでいるんだ。彼の言うことは正しい。悪いのは全部あの洲本って男だ。それが分かっていながらボクは依頼を受けてしまった……。ボクはだね。なるべく正義の側に立ちたいと思っているんだよ。その方がなんの気兼ねもなく生きていける」
「私も執事としてはそう願います。写楽家のご令嬢が悪に落ちては先代に顔向けできませんから」
「……そうだよな。お爺様が知ったらどう思うか……」
「ですが助手としては違います」
「え?」
俯いてしょげ返っていたボクは顔を上げた。そこにはいつもと同じ優しく微笑む和藤が立っている。
「あなたがなりたいのは善良な市民でも正義の味方でもないはずです。なによりも彼の名探偵、シャーロック・ホームズに憧れているのですから。そして彼はまた倫理よりも論理を尊ぶお方です。だからコカインを吸い、時には盗みにすら入る。すべては好奇心のためです。興味深い謎があり、それを解く。そのためには努力を惜しまず、時にはやるべきでないことすら平気でする。それがあなたの目指すホームズそのものではありませんか?」
ボクはハッとした。
そうだ。ボクが目指しているのはただの名探偵じゃない。シャーロック・ホームズだ。
依頼だってそう。本当にイヤならどんなことを言われても突っぱねればよかった。だけどボクはそれをしなかった。
それは他でもない。ボクがこの事件に惹かれてしまっていたからだ。
和藤はそれすらお見通しというわけらしい。
ボクは自分の気持ちに気付き、同時に呆れて笑った。
「まったくもって君は悪い執事だな」
「恐れ入ります」
和藤はニコリと笑い礼儀良く会釈した。
しかしこれで吹っ切れた。ボクはボクの道を行く。ホームズという道を。
一時の感情で本懐を忘れてしまっては元も子もない。
ボクは立ち上がり、腕を組んだ。
「ほむ。では推理を再開しようか」