洲本は安堵していた。
「よかった。実は他の人にも頼んでいたんだが、こいつらが使えなくてね。すごく困っていたところなんだ」
「あれが見つからなかったと」
洲本は不快そうに頷いた。
「ええと。どこから話したらいいか」
「できれば最初からお願いします。知っている情報はなるべく詳しく教えてください。もちろん、嘘は挟まずに」
ボクがそう言うと洲本は小さく苦笑した。それを見てイヤな予感が大きくなる。
「俺が思うに、人は恋をする生き物だ」
「…………はあ」
「恋愛というのは厄介で自分では止めることができない。君もあるだろ? 昨日出会ったあの子が頭から離れない。あの子ともう一度会えたらどんなに幸せかと願う。そんな夜が」
「えっと…………」
ない。と言ってしまうとなんだか子供っぽい気がして言えなかった。後ろで真里亞がうんうんと頷いているのを見ると尚更だ。
「まあ、ええ、もちろん分かりますよ……」
「でもそれが問題を引き起こした。仕方ないとも思うけどね。自分の気持ちに嘘をつきたくなんてないから」
「あの、すいません。できればもっと具体的に話してもらえますか?」
「君がなるべく詳しくと言うから話したんだけど、まあいい」
洲本は一瞬不機嫌そうになったが、すぐキザっぽくフッと笑った。
「俺は高校生の時に遊びに行った東京でスカウトされてね。学生しながら俳優の活動を初めて、オーディションを受けてた。ドラマにも何度か出たんだけどパッとしなくてね。大学を卒業してからはバイト生活が続いてたんだ。そのバイト先で愛莉と出会った」
「その方とトラブルが?」
洲本は重そうに頷いた。
「そうなんだ。まさかこんなことになるとは思わなかったよ。付き合ってる時は俺を応援してくれてたし、支えてくれてたのに……」
洲本はため息をつくと持ってきていた手提げ鞄からクリアファイルを取りだした。
そこにはボロボロになった新聞と思われるもののコピーが入っていた。
「これがうちに送られてきてね。それと現金で百万円も」
「新聞と現金ですか……。それはまたどうして?」
「妻に対する嫌がらせだよ」
「え?」とボクと真里亞の声が重なった。
「結婚しているんですか?」
「いや。籍はまだ入れていない。正確に言えば婚約者かな。でも本当はもう結婚するはずだったんだ。菅野黒江とね」
その名前を聞いて真里亞が驚いた。
「菅野さんと結婚するんですか!?」
「悪いがその人も知らない。女優かなにかか?」
「色んなドラマにヒロインとして出てる若手の女優さんだよお。今だって二つくらい出てるし、もうすぐ始まる映画でも主演で出るはず」真里亞は洲本の方を向いた。「すごい。売れっ子同士ですね。やっぱり『病気がちの彼女』で共演したからですか?」
洲本は「まあね」と答えた。
ここまで聞くとボクは大体の事情を理解した。
「……つまりあなたは元カノからなんらかの脅迫を受けていると。だから結婚したくてもできない」
「それどころじゃない。あれが世に出れば俺はおそらく……」
「破滅するとでも? それほどのものなんですか? これは?」
洲本が頷くとボクは新聞を見つめた。
それは地方の新聞みたいだった。写真があり、記事があり、日付などの情報も載っている。しかし写真はところどころ穴が空いていた。大手の新聞社のものじゃない。よく見ると地方新聞とも少し違う感じがする。なんというか、地方の旅行へ行った時に施設の入り口に置いてある誰も手に取らない情報誌みたいだ。
洲本は説明した。
「これは地方の情報誌でね。この灯台の近くにしか置いてないとてもニッチなものなんだ。灯台に来た観光客に向けたよくあるやつさ。素人のカメラマンが撮った写真を載せて地元の情報なんかが書いてある」
「みたいですね。それが?」
洲本は新聞の写真を指さした。
「ここに俺と愛莉が写っている。俺の顔は切り取られているけど間違いない。この女は間違いなく愛莉だし、俺の手首にはいつも付けてるロレックスの限定モデルが巻かれている」
「それで?」
「ここに日付があるだろ? これは黒江と婚約した二ヶ月後に撮られたものなんだ。まったく。なんの断りもなく載せるなんて……」
洲本は怒っていたがボクは眉をひそめた。
「ええと。つまりあなたは婚約した後も元カノと会い、あまつさえ旅行に行っていたと?」
「まあ、そうなるね。あと元カノっていう表現は正しくない。あの時愛莉は俺が黒江と婚約したなんて知らなかったし、そもそも関係も知ってないはずだ」
「それはその、二股というやつですか……?」
「有り体に言えば」
ボクは額に手を当ててため息をついた。やっぱりろくな依頼じゃなかった。
洲本はばつが悪そうに続けた。
「こんなことになるとは思わなかったんだ。いつ婚約したかなんて分からないだろうから、もう少しくらい大丈夫だと思った。だから別れを切り出すのが遅れてね。その結果写真を撮られた。週刊誌とかは気を付けていたけど、地元の写真家までは対処しきれない。これを見た時、俺は生きた心地がしなかった。すぐにあの灯台に向かったよ。それからカネを払って人も雇い、発行されていた百部の内九十九部を買い取った」
「なるほど。最後の一部がこのコピー元だと」
洲本は頷いた。
「データとかなら改竄されたって言えばいい。だけど原本は別だ。もし俺が結婚することを発表すれば必ずこれが週刊誌に載るだろう。そしたらもう……」
洲本はとても悲しんでいたが、ボクからすれば自業自得な気しかしない。
要はずっと支えてきた彼女を裏切り売れっ子の女優と結婚しようとしたが、別れを切り出すのが遅れたせいで浮気となり、しかもその証拠までもを握られたという話らしい。
沢森がこの話を聞いたら「ただのアホやん」と切り捨てるだろう。悪いがボクも同感だ。
さっきまで悲嘆に暮れていた洲本が顔を上げ、必死な顔になった。
「もし浮気がバレたら最悪映画やドラマが放送されなくなる。CMも降ろされて違約金も払わないといけない。それに結婚もできなくなると思う。黒江が育ちが良いからこういうことには敏感なんだ」
「一応確認のために聞きますけど、黒江さんとはいつから付き合われていたんですか?」
「映画で共演してからだから、三年ほど前からかな」
「愛莉さんと別れたのは?」
「旅行に行ってからだから……半年前だ」
「じゃあ二股は二年半も続いたってことですか? それで新しくて若い方を取ったと?」
「そう言う言い方はやめてほしいな。結果としてそうなっただけだよ。誰にも罪はない。恋なんてそういうものさ」
受け入れがたい論理だが、この人の頭の中では成り立つんだろう。でなきゃこんな状況にはならないはずだ。
真里亞は「よく分からないけど格好いい」とうっとりしている。
女子高生はいつもそうだ。いつもよく分からずに生きている。全てにおいてよく分かってないのが女子高生なんだろう。
ボクも女子高生だが同時に探偵だ。なら残念ながらその生き方はできない。
「今に至る経緯は分かりました。ですがまだ依頼の内容を聞いてませんでしたね」
「ここまで言えば分かるだろう? この原本。ボロボロの新聞を見つけ出してほしい」
ボクは眉根を寄せた。
「ボクは探偵ですよ? 泥棒じゃない」
「分かってるさ。俺は盗み出してなんて言ってない。見つけ出してと言ったんだ」
「……つまりどこにあるかを考えろと?」
「ああ」
洲本は頷き、そしてまた別のクリアファイルを取りだした。そこには写真が何枚も入っている。
「悪いがなりふり構っていられなくてね。人を雇って色々と探してもらった。家の中には何度も入っているし、外に出ている時には鞄の中も漁った。だけどなかった」
ボクは開いた口が塞がらなかった。まさかそこまでするとは。
「貸金庫はないし、銀行なんかにも預けてないのは調べ済みだ。ロッカーや倉庫も借りていない。持ち出している可能性もないだろう。あとは」
「彼女の家の中しかない。しかしいくら探しても出てこない。なら秘密の隠し場所があるはずで、それをボクに推理しろと。そういうことですね?」
「ああ。話が早くて助かる。さっそくお願いするよ。写真は推理に使ってくれ。雇った奴らからの情報もここにある。分かり次第、すぐに盗ませるよ。君が手を汚す必要はない」
本当は断りたかった。だが洲本が次に言った言葉でボクはそれができなかった。
洲本は泣きそうな顔で続けた。
「頼むよ。困っている人を助けるのが探偵だろう?」