ボクらはその足で三十分ほど離れたところにある森さんの貿易会社に向かった。
街ビルの一角にある事務所へ入ると日曜だと言うのに人がいた。受付で社長の知り合いの娘だと言うと中に入れてくれた。
年配の事務員さんは「社長が倒れて大変なのよ」と言いながら呑気にお茶を飲んでいる。
「いくつか質問しても?」
「どうぞ」と生き字引のおばさんはせんべいを食べながら頷いた。
「息子さんとお父さんの仲はどうでしたか?」
「悪くはなかったよ。どちらかと言うと良い方だったね。たまに喧嘩もしてたけど、それは親子だからだよ。本気で怒ってると言うよりは本音で喋ってるって感じだねえ」
「じゃあ息子さんが会社を辞めるとかは?」
「ないと思うよ。給料も貰ってたし、なによりあの子はこの会社が好きだったからね」
「乗っ取りを考えていたとかはどうでしょう?」
「あはは。そういうことができるタイプじゃないよ。根が優しいというか、小心者というか。あれこれと知恵を巡らせて人の裏をかけるような子じゃないね。育ちがいいんだよ」
おばさんはボクの考えを一笑に付した。
「不躾な質問で恐縮ですが、経営状況はどうだったんでしょうか?」
「どうって、まあまあなんじゃないの。可もなく不可もなくって感じだよ。給料も悪くないし、今はこんなだけど普段は早く帰れるし休みも取れてる。社長とか役員は結構もらってたみたいだし。まあそれなりにやってると思うよ。あー。でも何度か不況の煽りで会社が傾いたこともあったねえ」
「その時はどうしたんですか?」
「社長が走り回って支援者を見つけて来てたよ。そういうところから引っ張ってきたお金でなんとかしてたはずさ」
「その支援者が誰だか分かりますか?」
「さあ。そういうのは社長しか分からないんじゃないかい」
「ですよね……」
いくら長い間会社に勤めていてもアクセスできる情報には限りがある。
「では谷という名前に聞き覚えは?」
「警察にも聞かれたけどないね。少なくとも客とか営業でそういう人はいないよ」
谷のことも知らない。ならやっぱり裏の人脈なんだろう。弱みを握られて強請られていたとかか?
「社長がお金に困っていた可能性は?」
「ないだろうね。この前も一千万くらいする新車に乗り換えてたし」
「仕事中に怪しい連中が尋ねてきたりもしてませんか?」
「あたしが知る限りはないと思うよ。むしろそういうのには気を付けてたはずさ」
それからおばさんは社長さんがああなって息子さんのことが心配だとか、早く嫁さんを見つけてあげないととかお節介なことばかり言っていた。
どうやらこれといった趣味もなく、友だち付き合いもせず、彼女もいないとのことだ。
だが一つ分かったことがある。取戸は森さんと息子さんの不仲を気にしていたが、そんなことはなかったということだ。少なくとも多くの時間を共にする職場の人間が分からないほどには。
街ビルから出ると和藤がボクに尋ねた。
「次はどちらへ?」
「わざわざ言葉にして誘導しなくてもいい。残ってるのは取戸のところだ」
「取戸刑事なら以前名刺をもらっています。そちらに連絡してみましょう」
和藤はそう言うと取戸の名刺を取りだした。あまりの手際の良さにボクは苦笑した。
「まったく。君は素晴らしい助手だよ」
「お褒めにあずかり光栄です」
ボクは微笑む和藤から取戸の名刺を受け取った。
取戸に電話をかけると不満そうな声が聞こえてきた。
「おい。なんでお前がこの番号を知ってる?」
「以前の事件で名刺をもらったからです。今お暇ですか?」
「暇じゃねえよ。非番だけど」
「なら暇ですね。聞きたいことがあるんです」
「谷のことか? それなら言えねえよ。あいつは他の事件にも関係してるからな」
「今回の事件のことだけでもダメですか?」
「あのなあ。警察には守秘義務があるんだよ」
「そんなの形だけじゃないですか。どうせ家に記者が来たら喋るんでしょう?」
「……ガキのくせによく知ってるな」
「探偵ですから。もちろん写楽の名にかけて他言はしません」
取戸はしばらく沈黙した。悩むということは事件について困っているということだ。
もう一押しすれば落ちる。
「事件解決までもう少しなんです。取戸刑事の情報があれば解けるかもしれませんよ」
すると電話越しにため息が聞こえた。
「あとで森さんの息子と会う予定なんだ。確認したいことがあってな。そのあとなら多少時間を取ってやってもいい」
「分かりました。ありがとうございます」
「ただし。事件が解決したら俺の手柄だからな。お前の名前を報告書には書かないぞ?」
「それでいいですよ」
ボクが肩をすくめると取戸は森さん宅の近くを指定して電話を切った。
「すまないがまた移動だ」
ボクがそう告げると和藤は少し寂しげに答えた。
「それは構いません。ですがそろそろ真実の扱い方についても考える必要があるかと」
「真実の扱い方?」
「……いえ。過ぎた真似をしました。忘れてください。さあ。行きましょう」
珍しく歯切れの悪い和藤は静かに車のドアを開けた。ボクは不思議に思いながらも車に乗った。