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第34話

 和藤の運転する車で猫鮭市内にある森さんの家まで向かっている間、ボクは取戸の態度に納得していた。

 取戸は明らかに森さんの息子を怪しんでいた。

 当然だ。凶器を父親が用意していたのなら、それを奪う必要がある。敵対する人間と会うために用意したとして、それを奪われるようなことは極力避けるだろう。

 なら可能性の一つとして、父親が息子に渡したということが考えられる。重いだろうから持ちますとか、あるいは興味があるふりをしてもいい。息子なら父親から本を借りることは容易だろう。

 その場合、父親が誰かに会いに行っていたという息子の証言は嘘になる。

 おそらく本を読もうとして静かな雑木林に向かい、そこで息子と出会い、本を貸して殴られた。息子さんが本に鉄板を仕込んでいたと知っていたかは定かじゃないが、どちらにせよあれだけ分厚い本で殴ればただじゃすまない。

 でもそうだとしたら動機はなんだ? 息子さんはどうして父親を殴ったんだ?

 謎を抱えたままボクを乗せた車は郊外に進み、辺りは民家が減って田畑が増えた。

「着きました」

 和藤が車を駐めたそこは山を背にした大きな民家だった。言っていた通り隣には雑木林がある。いや、雑木林と言うより防風林と言った方がいいのかもしれない。思っていたより横幅は狭く、縦に長い。林は奥の山まで続いていて、麓には鳥居が見えた。

 雑木林を挟んで左側が森さんの、右側が棚田さんの土地なんだろう。右向こうには森さんの家より二回りも小さな家が建っていた。家の横には広い畑があり、様々な野菜が植えられている。

「どうなさいますか?」

 和藤に尋ねられ、ボクは悩んだ。来てみたはいいが事件を解決できる自信はなかった。

「とりあえず足跡を探そう。見ればなにかが分かるかもしれない」

 なんてことを言っていると向こうから小型車がやってきて森さんの家の前で駐まった。窓から顔を出したのは先ほど会った息子さんだ。助手席には買い物袋が置いてある。

「あれ? もう来たんですか? すいません。買い物に行っていたんでまだ準備が」

「お気になさらず。先に雑木林を見ていますので、あとで来てもらえますか?」

「分かりました」

 息子さんはそう言うと車を駐車場に駐めた。ボクらは雑木林を目指して歩き始める。

 中は思ったより薄暗く、そして地面は湿っていた。静かだ。あと隣の畑が全然見えない。これだと畑にいた棚田さんはなにが起こっても分からないだろう。

 でも音は聞こえるだろうから、呼ばれたら分かる距離だ。

 二分ほど歩くと林の一画に警察のものと思われるテープが貼られていた。どうやらここで森さんの父親は倒れていたらしい。

「ここで殴られたとしたら、足跡はもっと奥だな」

 そしてそれは林が湿っていたせいもありすぐに見つかった。事件現場から離れていく靴の痕だ。

「歩幅が結構あるな。息子さんの言うことがたしかなら男の身長は百七十センチほど」

 ボクはいざと言う時のために持ち歩いているメジャーを持ち出して計った。

「つま先の方が深い。それなりの速さで走ったみたいだな。おっと、こっちは滑ってる。急いでいたのは確実だ。靴のサイズは26.5センチくらい。靴痕の凹凸は少ないしスニーカーで間違いないだろう。おや。草むらにまだ新しい煙草の吸い殻がある。もしかしたら犯人のかもしれないな。だとしたら今時珍しい喫煙者ということになる」

 ボクは吸い殻を持っていた透明な小袋に入れて立ち上がった。

「これはボクの印象だけど、別の誰かがいた雰囲気はある気がする」

 和藤は頷いた。

「偽装するにしては手が込んでいますね。先ほど車の中がチラリと見えたんですが、灰皿は見当たりませんでしたから」

 ボクだと背が低くて見えなかったが、もしそうなら吸ったことのない煙草をわざわざ吸って吸い殻を捨てるのはやり過ぎだ。煙草の場合は買うのにコンビニに行ったりしないといけないからカメラに映ってしまう。そうなればなぜ煙草を吸わない息子さんが煙草を買ったのかと怪しまれるだろう。

 息子さんが周到に準備して父親を襲ったとして、その場合こんなリスクを負うとは考えにくい。

 この事件、簡単に見えて案外複雑なのかもしれないな。

 ボクが息を吐くとそこに息子さんがやってきたので確認した。

「失礼ですが、あなたは煙草を吸いますか?」

「僕ですか? いえ」

「お父様は?」

「父も吸いません」

「ほむう。なら棚田さんはどうでしょう?」

「どうだったかな……。あ。昔は吸ってましたね。でも最近は娘さんがやめてと言って、それからはやめたみたいです」

「へえ。随分娘さん思いなんですね」

 三人の中で喫煙の経験があったのは棚田さんだけ。禁煙していてもストレスがあると吸いたくなると言うから、殺人を前に緊張して吸ったのかもしれない。だとしても吸い殻をそのまま捨てるなんてするだろうか?

 すると和藤が息子さんに尋ねた。

「質問してもよろしいでしょうか?」

「ええ」

「大きな金属音が聞こえたと言ってましたが、その時あなたはどこに?」

「えっと、そっちです。あの大きな木の辺りですよ」

 息子さんは事件現場から離れた場所を指さした。森さんが倒れていた場所からざっと二十メートルは離れている。

 和藤は「なるほど」と頷き、辺りを歩き始めた。そして事件現場から少し離れた地面を見つめている。

 またボクに相談もせずなにか考えてるな。

 ボクも和藤の隣に歩いて行った。すると和藤の目線の先には靴痕があった。

「ん? さっきのスニーカーとは違うな」

「ええ。やはりそう見えます」

 和藤はそう言うと顔を上げた。どこを見てるんだろうとボクも目線を追う。

 すると後ろから着信音が聞こえた。振り向くと息子さんがスマホを手にしている。

「え? 本当ですか?」

 息子さんは驚いていた。その表情は心底安堵しているように見える。

 通話を切ると息子さんはこちらを向き、嬉しそうにこう告げた。

「たった今、父さんが目を覚ましたそうです」


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