取戸が病室を去ると棚田さんも森さんの息子さんと会話を交わしてから退室した。
ボクらも森さんにあとで犯行現場を見せてもらう約束をして病室をあとにする。あれだけ周りで話していても森さんのお父さんが目覚める気配はなかった。
ちょうど昼頃ということもあり、空腹を感じていると食堂が見えた。
「どうせだし食べていこうか」
「あなた様がよろしいなら」
ボクらが注文した品を受け取り空いている椅子を探していると取戸と目が合った。どうやらこいつもここでお昼らしい。
取戸は露骨にイヤそうな顔をしながら担々麺を啜っている。ボクらはその前に座った。ちなみにボクはアジフライ定食で和藤はきつねうどんをチョイスした。
取戸は担々麺を飲み込むと箸をボクに向けた。
「言っておくけど今回の事件にお前らの出る幕はないぞ。多少は手こずってるけど簡単な事件なんだからな」
「それはそうでしょうね」ボクは割り箸を割った。「これは誰にでも分かる簡単な二択ですから」
アジフライを食べると薄味だった。さすが病院。健康に気を遣っている。
取戸はムッとした。
「それは嫌味か?」
「警察が犯人を見つけていないことへの? 違いますよ。言ったでしょう。二択だって」
「そうだ。二択だ。犯人は逃げた男か、あの息子のどちらかしかない」
ボクは頷いた。正直息子さんの証言は怪しい。本当に逃げた男がいるかどうか。今のところをそれを裏付ける証拠はまるでない。
唯一あるのは足跡だが、それこそ朝の内にサイズの違う靴を履いて付けておけば事足りる。もちろんその場合靴は既に捨てられているだろうが。
逃げた男がいればその人が、最初からそんな人物がいないなら息子さんが犯人ということになる。この二択の間でボクもまた揺れていた。
「仮に逃げた人がいたとして警察が調べても容疑者すら出てこないなんてあるんですか?」
「……ない。とは言い切れないな。人には秘密の関係があるものだし、そういうものをすぐ見つけるのは警察でも難しい。実際、森大介のことをよく思っていない人物はいくらかいるしな」
「でもそれは商売敵でしょう? 経営していれば大なり小なりそういうのはありますよ」
「まあな。って、ガキにこんなこと言っても仕方ないけど。つーかお前はなんでこんなところにいんだよ?」
「お見舞いですよ。森さんは地主ですからね。父とも薄いとは言え関係はあるんです」
「ああ。そう言えばお前はボンボンだったな。なるほど。お家のためにもそう言う関係を大切にしないといけないわけだ。大変ですなあ」
取戸は嫌みったらしくそう言った。
ボクはムッとしたが彼の言うことは事実だ。ボクがボンボンだということを除いて。
「本当に逃げた男はいないんですか?」
「分からん。ただ今のところ目撃者は皆無だ。あそこは市内でも田舎の方だからな。防犯カメラも少ないし、どれにも映ってない。俺に聞いたって誰にも言うなよ?」
「無論です。ほむう。なるほど。なら今のところは息子さんが怪しいですね」
「だからと言って動機もなさそうだしな。それこそ息子はいい歳だ。父親が嫌いだったらまず家から出るだろ」
「父親と仕事をしてたんでしょう? ならば職を失うことを恐れていたのでは?」
「仮にそうだとしても実家暮らしの上に会社の役員としてかなりのカネを貰っていたんだ。学歴も国立出だし転職には困らないだろう。正直嫌いな親と一緒に住む理由がないよ」
「遺産を狙っていたとかは? 家を出たらもらえなくなる約束だったとか」
「可能性はあるが、そういう場合は相続税を回避しようと動くもんだ。でも今のところそういった動きは見られてない。なにより昔からの知り合いによればあまりカネに執着はない性格みたいだ。ブランド品も買わないし、車だって国産の小型車に乗ってる。借金もなければギャンブルとも無縁だ。今のところカネ目的で殺したとは思えないな」
「カネじゃないなら私怨だけど、それなら家からは出ているはず。出るだけの蓄えはあるし、まだ若い。経歴は申し分ないから転職も容易……。なら動機はなさそうですね」
「ああ。でも息子の言う男はどこにもいない」
「ほむう。簡単な二択だと思っていたけど、これは案外難しいかもしれません」
「分かっただろ? これは地味な事件だ。地道に証拠を集めていくしかない。どっかで男を見た人がいるかもしれないし、そうでなければ息子が偽装した証拠を探さないといけない。探偵ごっこには不向きだよ」
取戸はそう言うと再び担々麺を食べ始めた。
ボクも悩みながらアジフライと対峙する。
すると黙々ときつねうどんを食べていた和藤が口を開いた。
「一つだけ質問しても?」
「またか……。なんだよ?」
取戸はげんなりとしながら聞き返す。
「棚田さんは息子さんに呼ばれて助けに行ったと言われましたが、それまではどこに?」
「どこって、畑だろ」
取戸がそう答えると和藤は不思議そうにした。
「ですが棚田さんはこう言いました。金属音は聞こえてないと。しかし息子さんは大きな金属音だったと証言しています」
「だから?」
「棚田さんが畑から動いていないのならどうして大きな金属音は聞こえず、息子さんの声は聞こえたのですか?」
その問いを聞いてボクと取戸は顔を見合わせ、そして唸った。
「ほむう」
「たしかに」
その二つは矛盾する。ボクは頭を悩ませ、可能性の一つを口にした。
「棚田さん犯人説もあるのか……」
「おいおい。ちょっと待て」取戸はかぶりを振った。「息子は口論の声を聞いてるんだぞ? 知り合いだったらすぐに分かるだろ? それに犯人は若い男だとも言っていた。棚田さんはおっさんだぞ」
「声については会話の内容すらはっきりと分かっていませんし、姿は変装すればいい。カツラでも被っていたのかもしれません。そうやって森さんを殴り、林の中に隠れ、息子さんに呼ばれて戻ってきた」
「いや。なら証言がおかしい。棚田さんが犯人ならどうして逃げた男を見たって言わなかった?息子が見たと言ってから棚田さんも見たと言えば犯人はそいつで決まりのはずだ。息子が犯人を棚田さんと分からなかったのなら勘違いを利用しない意味がない」
「それもそうですね。なら息子さんと棚田さんが共犯というのもなさそうだ。もしそうなら棚田さんは息子さんを助けるために男を見たって言うでしょうからね」
「大体ご近所トラブルならとっくに証言が取れてるよ。家が隣だって言っても田んぼと雑木林を挟んでる。なにより棚田さんが犯人なら息子が怪しむはずだろ」
「たしかに……。自分に容疑が向けば尚のことそうなるでしょうね」
棚田さん犯人説はなさそうだと分かるとボクと取戸はまた食事に戻った。
そこに和藤が再び尋ねる。
「……あの、私の問いへの答えは?」
取戸は面倒そうに答えた。
「棚田さんが犯人とか共犯って線は薄いんだ。なら偶然だろ。金属音はそんなに大きくなかったし、息子さんの声は思ってたより大きかったんじゃないか?」
「……そうですか」
和藤はどこか不満そうに残していたお揚げを食べた。
食事が終わるとボクらは駐車場に向かい、取戸はセダンに乗ってから窓を開けた。
「お前らもあんまり首突っ込むなよ。あんまりあれだと逮捕するぞ」
「ですが困っている人がいるならそれを助けるのがボクの役目です」
「殊勝な考えだな。なら俺を困らせるな。いいな?」取戸は和藤の方を見た。「あんたもきちんと子守してくれよ」
和藤は「言われなくてもそのつもりです」と答えた。
ボクは子供扱いにムッとしたが、取戸が去る前に聞き忘れていたことがあった。
「あの。最後に一つだけいいですか?」
「まだあんのかよ? ……なんだ?」
取戸はうんざりして前髪を触った。
「凶器です。その話が出てこなかったので。森さんはなにで殴られたんですか?」
その問いに取戸は言いにくそうに顔をしかめ、それでもやれやれと答えた。
「本だよ。小説だ。いわゆる煉瓦本って呼ばれる分厚い小説の背表紙に鉄板が仕込まれていた。たしか『魍魎と猫』とかいうタイトルだったかな」
「え? じゃあまさか森さんは……」
ボクが目を丸くすると取戸は頷き、告げた。
「そうだ。被害者は自分で用意した本で殴られて意識不明になっている」