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第32話

 取戸は小さく嘆息して続けた。

「今日はその件で伺いました。お話は何度も聞かせてもらいましたが、なにか新しく思い出されたかと思いましてね。受付で棚田さんと偶然出会ったので、一緒に話を聞かせてもらえばとお連れしました」

 息子さんは棚田さんと呼ばれたおじさんを見て会釈した。棚田さんも会釈を返す。

 取戸はボクらを睨み、「邪魔すんなよ」と遠巻きに話を聞くことを許してくれた。そして警察手帳を取りだし、ペンを持った手で前髪をねじった。

「では確認がてらもう一度事件当時のことを話してくれますか?」

「はい。もう知っていると思いますが、うちは地元ではそれなりの土地を持った地主でして、父は貿易など幅広い商売をしていました。地元では評判がよかったと思いますし、自分も父を尊敬していましたから仕事を手伝ったりしていました。事件があった日、父は人と会うと言って家を出たんです。手には読みかけの小説を持っていました。僕は適当に返事をしたんですが、窓から近くの雑木林に入っていくところを見て、おかしいなと思いました。その雑木林もうちの土地なんですが、特になにもないし、人と会う場所ではないと思ったからです。不思議に思った僕は父のあとを追いました。と言ってもその時はあんなことが起きるとは思わなかったのでかなりゆっくりですが。雑木林に入ってしばらくするとなにか口論する声が聞こえました。一人は父の、もう一人は知らない男の声でした。するとガーンと大きな金属音が鳴り、駆けつけると父が倒れていて、遠くに男が走り去っていくのが見えたんです」

「なるほど。ありがとうございます。今の話は既に聞いていたものばかりですが、他にもなにか思い出したことはありませんか? 例えば口論の内容とか」

「ねずみがどうこう言っていた気はしますが、他には覚えていません」

「ねずみですか……。それは確実ですか?」

「分かりません。聞き間違えかもしれません」

「お父さんのお仕事でねずみに関係していることは? 例えば駆除をしていたとか」

「ないと思いますけど……」

「なるほど。お父さんは両手を怪我していました。それについては?」

「さあ……。今初めて知りました」

 取戸は何度か頷いていたが、既に知っていたことばかりらしく、警察手帳にはなにも書き込まれてなかった。

 取戸は次に棚田さんの方を向いた。

「事件当時、棚田さんは近くの畑で農作業をしていましたね」

「はい」と棚田さんは頷いた。「雑木林からこっちはうちの土地ですからね。あの時はちょうど林の近くで肥料を撒いていました」

「森さんのお父さんが雑木林に入っていくところは見ましたか?」

「見ました。それからしばらくして悠人君が林に入っていくところも」

「犯人と思われる男は?」

「……すいませんが見てません。でも悠人君の話だと山側の方に向かったみたいだし、それだと畑からは見えないと思います。きっと麓にある神社の方から逃げたんでしょう」

「金属音は?」

「どうだったかなあ? でも悠人君に呼ばれて林に行った時、たしかに二人とは違う足跡を見ましたよ。新しかったから犯人のだと思います」

「それに関してはこちらでも確認済みです。たしかに二人とも棚田さんとも違うサイズの靴痕が残っていました。息子さんが犯人の逃げたと言う方角にもね。他になにか気になったことはありますか?」

「どうでしょう。私が行った時には森さんは気を失っていたし、足下に本が転がっていたくらいですかね」

「森さんが林に入って行く時、本を持っていましたか?」

「えっと、そこまでは見てません。ある程度の距離があったんで」

「ねずみに関してはなにか分かりますか?」

「いや、全然分かりません」

「なるほど。ありがとうございます」

 取戸は小さく息を吐くとなんとも言えない表情で息子さんを見た。

 取戸の考えていることは分かった。二人の証言だけを見れば息子さんが男の存在をでっち上げたと考えてもおかしくはない。

 靴痕くらいなら簡単に偽装できるし、父親のあとを追って襲ったと思うのが自然だ。仕事を手伝っていたと言っていたし、それでトラブルがあったのかもしれない。

 とにかく男の存在がこの事件の鍵になることは確かだ。

 取戸は再び息子さんに尋ねた。

「被害者の後頭部を殴った凶器には二種類の指紋があったんですが、その内一つはあなたのでした。触ったのはたしかですか?」

「はい。不思議に思って持ち上げました。でも言いましたけど一度触っただけです」

「そうみたいですね」

「もしかして僕を疑っているんですか?」

 息子さんは不安そうに尋ねた。取戸はかぶりを振る。

「いえいえ。そんなことはないです。ただ、あなたの言う男がどうにも見つからなくて困っているんですよ」

「男なんていなかったと?」

 息子さんは信じられないと青ざめた。

「いなかったとは言ってません。まだ確かめられてないだけです」

「確かにいたんですよ。話していたし、逃げてもいた。靴痕もあったんでしょう?」

「まあ、そうですね。だけどその靴痕もどこにでも売っているスニーカーみたいなので、そこにいたと言われる人物に辿り着くことは難しいと思います」

「そんな……。本当です。本当に男がいたんです。若い百七十センチくらいの男が」

 取戸は「落ち着いてください」と言っていたが、怪しんでいる雰囲気までは隠しきれない。どうやら警察は息子さんを疑いだしているらしい。だから取戸は話を聞きにきたんだろう。喋らせてどこかでボロが出れば儲けものという算段みたいだ。

 取戸は言いにくそうにしながらも尋ねた。

「あなたが手伝っていると言うお父さんの会社に話を聞きに行ったんですけどね。なにやら一ヶ月程前に口論をしていたのを聞いたという人がいるんですよ」

「誰ですか? それは?」

「それは言えません。事実ですか?」

 息子さんは取戸から目線を外した。

「……父は僕に仕事を任せると言いながら、あれこれと口を出してくるんです。それでちょっと言い合いになったりはしました。でもそれは些細なことで、すぐにお互い納得しましたよ」

「みたいですね。その話をした人もそれからは仲良くしていたと言っていますし。なによりあなたがお父さんのことを尊敬していたとも言っていました」

「その通りです。地主と言ってもたかが知れてますからね。一代で会社を作って大きくした父のことはすごいと思っていましたよ。自分が経営に携わってからは尚のことです」

 取戸は棚田さんにも尋ねた。

「二人が喧嘩しているところを見たことは?」

 棚田さんは驚いていた。

「ありません。今時珍しいくらい仲が良かったですよ。うちも悠人君と同い年の娘がいるけど話もあまりしてくれませんし、一緒に働くなんて絶対にありえません。羨ましいと思っていたくらいです」

「……分かりました。質問は以上です。また気になることがあればお尋ねすることがあるかもしれません。その時もどうかご協力ください」

 取戸はそう言うと警察手帳をパタリと閉じた。


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