そして今日。土曜の昼前。
ボクは和藤と一緒にお見舞いの品を持って大学病院のとある個室に向かっていた。
病院の匂いを嗅ぐとなんだか祖父のことを思い出す。祖父も最後はここの病院で亡くなった。
「それにしても襲われて入院とは。日本も物騒になったもんだ」
「資産家みたいですから、そういうこともあるんでしょう。あなた様もお気を付けください。悪人がその気になれば誘拐でもなんでもしますから」
「そうなればボクの柔道で倒してやるさ。最近体育で習ったんだ」
「失礼ですがどんなことを?」
「受け身だ。ボクは上手いって褒められたんだぞ」
「……それはよかったですね」
和藤はどこか呆れ気味だった。だけど誰だって最初は初心者だ。そりゃあ和藤のようにできたらいいけど、すぐにはできない。まず一つずつできることを増やすのが賢明だろう。
なにより『またあの紐』事件でボクはなにもできなかった。あの反省を活かすためにも弛まぬ努力は必要なはずだ。もちろん和藤のような観察力や推理力も磨くつもりだった。
今に見てろ。ボクがホームズで和藤がワトソンだと分からせてやる。
ボクがじっと見ていると和藤は不思議がった。
「どうかしましたか?」
ボクは「いいや」と言って病院を進んだ。
ノックして病室に入るとベットに五十代くらいの男性が眠っていて、その隣の椅子には二十代くらいの男性が座っていた。雰囲気が似ている。おそらく息子だろう。
息子さんは心配そうな顔で父親を見つめていたが、ボクらを見ると不思議そうにした。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
「ボクは写楽葉岩の娘です。こちらは助手兼執事の和藤。父の代わりとしてお見舞いに来ました」
ボクがそう言うと和藤が持っていた花と果物を息子さんに渡した。
息子さんは「これはどうも」と言って会釈をする。病室には他にも花があった。
「森です。まさか来てもらえるとは思ってませんでした。なんの準備もなくてすいません」
「いえ。お構いなく。それにしても大変でしたね。賊に襲われるとは」
「ええ……。あの男が早く捕まればいいんですけど……」
「え? 賊を見たんですか?」
ボクが驚くと息子さんは頷いた。
「ええ。逃げていくところをですが」
事件の香りがしたが、どうやらあとは犯人を捕まえるだけみたいだ。こういう時につまらないと思ってしまうのは探偵の性なのだろうか。人の不幸を前にして失礼だが、同時に好奇心を抑えきれないボクもいた。
「ボクらはこれでも探偵をしているんです。もし今回の件で協力できることがあればいつでもご相談ください」
ボクがそう言うと和藤は息子さんに名刺を渡した。息子さんはそれを意外そうに眺めた。
すると後ろのドアが開き、二人の男が入ってきた。
一人は背が高い五十代くらいで白髪交じりの男性。
そしてもう一人は顔見知りの刑事、取戸だった。整った顔にワックスで固めた髪型。長い足と高そうなスーツ。黙っていれば二枚目なのだが、しゃべり出すと馬鹿っぽい男だ。
「あ」
「あ。お前らなんでここにいるんだ?」
ボクはげんなりした。まさか取戸の管轄だったとは。
「お見舞いですよ」
「ふん。どうだか。一般人のくせにまた事件に首を突っ込むつもりなんじゃないだろうな? そうなら帰れ。こっちは忙しいんだよ。ガキのホームズごっこに付き合ってる暇はない」
取戸はそう言うと前髪をねじりながら和藤を睨んだ。和藤は飄々と会釈する。
「お久しぶりです。取戸刑事」
「あんたもチビガキの子守で大変だな」
「ほむら様はもう高校生です。立派なレディですよ」
そうだそうだ。もっと言ってやれ。
「それにこれでも随分大きくなられました。私はほむら様がほむほむ言いながらハイハイしている時から知ってますからね」
それは言わんでいい。
ボクが恥ずかしがっていると取戸は中に入ってきた。一緒に来た男性もボクらをチラリと見ながら奥へと進む。
「そちらの方は?」とボクが尋ねると取戸は露骨にイヤそうな顔をした。
「証言者だ。今から簡単な聴取をする。だからお前らは外に出てろ」
「ボクらも聞いてはダメですか? なにか力になれるかもしれませんよ」
「いらん。出てけ」
邪険に扱われてボクはムッとした。すると和藤がぼそりと呟く。
「『英雄の研究』事件はほむら様の協力がなければ解決しなかったですけどね」
今度は取戸がムッとした。何か言いたげにワナワナと震える。
それを聞いて息子さんは「本当ですか?」と尋ねる。取戸が答える前に和藤が頷いた。
「ええ。ほむら様は名探偵ですから」
「こんな坊ちゃんが……」
息子さんは半信半疑という感じだった。そしてボクは坊ちゃんじゃない。
「もしそれが本当ならあの男の正体が分かるかもしれません」
「いやだから、それについては我々警察が――」
「見つかったんですか?」
「……それは、まだですけど…………」
取戸はばつが悪そうにした。どうやら警察はまだ犯人の行方を掴めてないらしい。