着替え終わったボクは急いで和藤の待つセンチュリーに乗り込んだ。
「なるべく早く頼む」
ボクがそう告げると和藤は「かしこまりました」と答え、アクセルペダルを踏んだ。
巧みな運転技術で最短ルートを突っ走り、事務所前の交差点に慣性ドリフトで飛び込む。
事務所の前にはタクシーが停まっており、和藤はその後ろにぴたりと駐めた。
ボクが和藤を待たずに車から降りて事務所の入り口に向かうとそこには品のある令嬢が待っていた。
彼女は白いワンピースに底の厚いブーツ。リボンに花を飾ったカンカン帽を被り、日傘を差していた。
そこらの町だと浮きそうなファッションだが、未だに異国文化が多く見られる猫鮭町にはぴったりと合っていた。
「お待たせしました」
「いえ。随分早かったですね。お電話してから十分も待ちませんでしたわ」
「はやい。やすい。うまいがうちのモットーですから。奥へどうぞ。足下にご注意ください。なにぶん古い建物なんで」
和藤が解錠してドアを開けるとボクは令嬢を中に案内した。
令嬢は中を興味深そうに見回した。和藤が帽子と日傘を受け取るとボクに続いて二階の事務所に向かった。
「どうぞおかけください」
ボクがそう促すと令嬢はソファーに腰掛けた。手が震えているし、顔色も悪かった。
「体調が優れないようですね。ブランデーでも飲まれますか?」
「いえ。違うのです。わたくし、心配で心配で仕方がないのです」
震える令嬢が座る前のテーブルに和藤はそっと紅茶を置いた。令嬢を見て柔和に微笑む。
「どうかまずは一息ついてください。ご安心ください。ほむら様は名探偵ですから」
和藤の言葉に令嬢は幾分落ち着きを取り戻し、小さく笑い返すと紅茶を一口飲んだ。
「変わった味ですわね」
「はい」和藤は頷いた。「格安スーパーの特売品です。一箱の値段が普通の喫茶店で飲む紅茶一杯分より安いんですよ」
「あら。飲んでも大丈夫なのかしら?」
「今のところは」
令嬢は不安そうにティーカップを見つめた。そして恐る恐るもう一度紅茶を口にする。
どうやらきちんと紅茶の味が分かるようだ。前の先輩と違って雰囲気に惑わされない。
「普段から良い紅茶を飲んでいるみたいですね。それに凝った庭がある家に住んでいらっしゃるみたいだ。おそらくご家族の趣味なんでしょう」
令嬢は目を丸くした。
「あら。どうしてそんなことが分かりましたの? たしかにわたくしの父は庭に色々と変わった草花を植えるのに凝っていますが」
「いや、べつに不思議はないのです。先ほどまでかぶっていたカンカン帽ですよ。後ろの方に花が付いていましたが、あれはランでした。日本では見られない種類のね。まだ新しいところを見るに自宅で栽培していたものを摘んだんでしょう。買ってきた珍しいランをそんな風にカットして帽子に差したりはしないでしょうから。家族の趣味だと言ったのは土いじりをするには爪が伸びすぎているからです」
最近父さんが家庭菜園に凝っていたせいもあり、家には草花の本がたくさんある。それを読んでいたのでボクにはある程度知識があった。
和藤も帽子の花や令嬢の爪を気にしていたのは内緒だが。
ボクの実力を疑っていたらしい令嬢は感心していた。
「まあ。その通りですわ。あのランは昨日庭で摘みましたの。随分優秀なんですのね。こんなに小さなお坊ちゃんなのに」
「……ボクはもう高校生ですし、女です」
「あら。これは失礼しました」
令嬢は申し訳なさそうに頭を下げた。
どうやらスカートを履いてこなかったのがよくなかったみたいだ。いや、どんな格好をしていてもボクはボクだし乙女のはずなのだが。
ボクは内心不機嫌だったが、今はそれどころじゃない。こんな若い女性が脅えているんだ。ただ事じゃないだろう。
「どうしてここに? 自分で言うのはあれですが、あまり目立たない探偵事務所です」
「お友達の森星真里亞さんに教えてもらったのです。知っていますでしょうか?」
「ええ。よく知ってます」
「真里亞さん曰く、ここに来れば凄腕の探偵がいると。自分も事件を解決してもらったと言ってました。とてもハンサムな執事さんに」
ボクはムッとして和藤を睨んだ。和藤はやれやれと小さくかぶりを振る。
「誤解ですよ。私はただの助手です。ここにおられる探偵は写楽ほむら様だけです」
「そうでしたか。でもこのお嬢さんも大変優秀みたいですね」
「それはもう。我が主は彼のシャーロック・ホームズの生まれ変わりですから」
和藤に褒められると嬉しい反面ちょっぴりムカツクのはなんでだろうか。
それはさておきどうやらこの人は真里亞のお嬢様ネットワークの一員らしい。森星家はここらでも有名な名家だ。パーティーや社交界で繋がってるんだろう。ボクはそういうのに興味がないからよっぽどのことがない限り顔を出さないが。
「それで、どういった依頼で?」
「あ。そうですわ。わたくしったら一刻も争うのに悠長にして。あなたはいつものんびりしすぎだとまたお姉様に怒られてしまいます。この前も昼寝をしていてよだれを垂らしてしまってこっぴどく怒られたんです。お姉様に起こされるまで全然分からなかったわ」
ボクは和藤の視線に顔を熱くして咳払いをした。
「……まあ、よくあることですよ。それで?」
「大変なんです。それはもう大変なんですわ。どれくらい大変かと言うと、もうこれくらいは大変なんですの!」
令嬢は大まじめに大きく手を広げた。なるほど。これは怒られるのも無理はない。
「それは大変ですね。で? なにがどう大変なんですか?」
「誘拐ですわ!」
「なんですとっ!? それは大いに大変じゃないですか!」
「だからそう言ってますわ!」
令嬢はムッとしてるが、ここまでのやりとりを考えればまさかそんな大事が持ち込まれるとは思わなかった。