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第17話

 実業家である兄、黒斗が全国に千軒近く展開するコーヒーチェーン『マイクロフト』の奥にある個室でボクらは注文した品を待っていた。

 古葉先輩はカフェオレを、ボクはホットミルクを頼み、それを和藤が持ってくる。十九世紀後半のイギリス風に仕立てられた店内と和藤はよく馴染んでいた。

 古葉先輩はカフェオレを一口飲むとボクに尋ねた。

「それで依頼人は誰かしら? お父さん?」

「いえ、城野瑠偉先輩です」

「そっちか。でもそうよね。お父さんならもっとちゃんとした探偵を雇うだろうから」

 すると和藤が「ほむら様は名探偵ですよ」と口を挟んだ。

 古葉先輩は信じていないらしく、口角だけ上げて「ふうん」と言った。

「名探偵ならなにがあったかは全てお見通しってわけ?」

「無論です。なにせボクはシャーロック・ホームズの再来ですから」

 ボクが自信満々で胸に手を当てると古葉先輩は僅かに眉をひそめた。

「まあ、口ではなんとでも言えるわ。悪いけど私から言うことはないわよ」

「結構です。沈黙の中に真実を見出すのが探偵であり、推理ですから。ああ。ちょうどよかった。瑠偉先輩が来ました。できれば呼んだ方がいいと思い、連絡を取って来てもらったんです」

 瑠偉先輩はおずおずと個室に入ると古葉先輩を見て「あっ」と驚いた。

「この人! この人だよ! あたしにバイトを教えてくれた人! 見つけてくれたんだね」

「ええ。今からどうして見つけられたか説明するところです。どうぞ席に。なんでも好きな物を頼んでください」

「え? いいの?」瑠偉先輩は目を輝かせた。「じゃあキャラメルマキアートとエビカツパンとチョコクロワッサンとミルクレープで!」

「…………すぐ来ると思うのでおかけになってください」

 瑠偉先輩が「やったー♪」と喜ぶ横でボクはコホンと咳払いした。

 臆せずいけ。探偵は度胸だ。そう自分に言い聞かせる。

「今回の猫毛組合事件はとても興味深いものでした。猫を撫でるだけで学生には多すぎる時給を受け取れる奇妙なアルバイト。しかしそれは古葉先輩が画策した計画の一端にしかすぎませんでした」

「え?」と瑠偉先輩が驚く。「じゃああのアルバイトはこの先輩が始めたの?」

 ボクは頷いて「そうです」と肯定した。

「人懐っこい猫を気まぐれと偽ってね。ではまず猫毛組合のアルバイトがなんの目的で始められたのかですが、これは簡単。アリバイ作りです。あの店は家族営業の店でした。瑠偉先輩が会ったのは古葉先輩のお姉さんですからね。しかしいくら暇でも一人で店を切り盛りするのは骨が折れるはずだ。おそらく古葉先輩も協力していたのでしょう。いや、それだとアリバイを作る理由がない。お姉さんに代わってもらえばいいだけですからね。つまり古葉先輩は店番をさせられていたのです」

「させられていた? 誰に?」

「もちろん経営者であるお父さんにです。理由は分かりませんが、おそらく娘を手元に置いておきたい人なんでしょう。しかし古葉先輩は店番より他にしたいことがあった。わざわざ身銭を切ってアルバイトを募集するくらいね。それは古葉先輩にとってお金より大切なものであり、そちらに時間を割きたかった。それとはつまり、夢です」

「夢?」

「ええ。古葉先輩はアイドルになりたかったんですよ」

 ボクがそう言うと古葉先輩は僅かに目を見開いた。瑠偉先輩は驚き、そして古葉先輩を見つめる。古葉先輩はほんのりと頬を赤くした。

 ボクは続けた。

「アイドルになるためには? よかたのボクでも歌やダンスを習わないといけないことは分かります。しかしアルバイトをさせられていてはそれも満足にできません」

「分かった。だから求人を出したんだ。習い事をする時間を作るために」

「はい。ですがそれだけではアリバイ作りになりません。アリバイを作るには見張りの目をかいくぐる必要がありますから。見張りとはもちろん煙草屋の老婆です。こうして古葉先輩と瑠偉先輩を見れば分かりますが、二人は背丈も似ていて髪型もほとんど同じです。近くにいるボクを男の子と勘違いするほど目が悪い老婆には店の奥にいる瑠偉先輩を古葉先輩と思い込んでいても仕方ないでしょう。掃除をしたのも古葉先輩がいつも通りアルバイトをしていると思わせるためです。結果としてそれは上手くいき、古葉先輩のお父さんは自分の娘が店にいると思い込んだままでした。古葉先輩は見事監視網をかいくぐり、習い事に出かけたというわけです」

「そういうことだったのか……。あれ? じゃあなんでお店を閉めちゃったの?」

「やる必要がなくなったからでしょう。アルバイトをしている間はお父さんの目から離れられる。つまり隠れ蓑としての価値しかあの店にはなかったんです。それは古葉先輩を応援するお姉さんにとってもね。店を任されていたお姉さんが事件に関わっていたのは確定です。目標が達成された今、お店はただの負担でしかなかったんでしょう。その目標とはもちろんアイドルになること。つまりオーディションを受けて合格することです」

「え!? じゃあこの人はもうアイドルなの!?」

 瑠偉先輩は驚き、同時に興味深そうに古葉先輩を見つめた。ボクは頷く。

「ええ。目標が達成されなければまだ猫毛組合は隠れ蓑として活用できますからね。そもそもどうして古葉先輩は瑠偉先輩を選んだのか。理由は簡単です。瑠偉先輩がアイドル好きだからですよ。保険としてなにかあった時も事情を説明すれば理解してくれる人を選ぶのは当然です。もしお父さんに計画がバレても口裏を合わせてもらえば助かるかもしれませんからね。それにはアイドルというものに理解がある人が適切で、普段から頭にグッズの三角定規を付けていればぴったりと言うわけです。同級生が受験で誘いを断れば部活をしていない古葉先輩には頼れる後輩などいないはずです。それと背格好が似ていることもあり、古葉先輩は瑠偉先輩を選んだのでしょう」

 今まで黙っていた古葉先輩は嘆息し、頷いた。

「ご名答。見くびっていたわ。本当に名探偵なのね」

「ありがとうございます。おそらくですが受けたオーディションは瑠偉先輩が推している『猫の背中45度』の姉妹グループ、『犬の背中45度』ですね。先輩の知り合いから写真をお借りしましたが、その時にグループ特有のポーズを取ってましたから」ボクはスマホを取りだして写真を見せた「これはピストルでもなくピースサインでもない。二等辺三角形を作って45度度を表しているのだと、先ほど検索で知りました。そしてこのグループの三期生オーディションが先週行われていたことも。オーディションと同時に姿を消せばアイドルになりたいのだと誰だって分かることですからね」

「合格するとそのままメンバーで合宿があるの。それでしばらく休んでいたのよ。だけどどうして合宿から帰ってくるのが今日だと分かったの?」

「簡単ですよ。SNSで合格メンバーが呟いてましたから。昨日で合宿が終わったと。それを見つけたのは助手の和藤ですが」

 古葉先輩は静かに和藤を見つめた。和藤は柔和に微笑む。

「私はただ手助けをしたまでです」

 ボクは苦笑したが、すぐに余裕を取り戻した。古葉先輩は肩をすくめた。

「まさかこんなにあっさりバレちゃうとはね。我ながら自信があったんだけど」

 瑠偉先輩が「じゃあ」と言うと古葉先輩は頷いた。

「その通り。利用させてもらったわ。夢のためにね。うちの親って今時ないくらいお堅いの。バラエティー番組とか漫画とか見せないほどにね。娘がアイドルになりたいなんて言ったら拉致監禁くらい平気でするわ。だけど好きになったものは仕方ないじゃない。友達が見せてくれたアイドルのライブ映像はすごかったわ。私と年齢がそれほど変わらない女の子達が大勢の前で歌って踊って自分を表現するの。初めて見た時の衝撃と感動は今も覚えてるわ。そして憧れは次第に目標に変わっていった。だけど歌やダンスを習いたいとは言っても断られるのは目に見えてる。もっと品のあることをしなさいと言うのがお父さんだから。でも私は諦めなかったわ。お姉ちゃんの見張りをしろと言われて始めたあのアルバイトでお金を貯めて習い事を始めたの。お父さんは週に二日働いていると思っていたけど、本当は一日だけでもう一日に歌とダンスを習ったわ。でもオーディションに受かるためには週に一度じゃ足りなかった。習い事を増やすためにはバイトを抜けないといけない。でもそうなるとお婆さんに私がいないことが分かってしまう。火曜日はパチンコでいないからお姉ちゃんに代わってもらえるけど、木曜日はずっとこっちを見てるんだから。そこで替え玉が必要だったってわけ。お姉ちゃんをずっとあんな店に縛り付けたくなかったしね。離婚して帰ってきてからお父さんはずっと冷たかったから。だからあんな店を任せたのよ。一種の罰としてね」

 古葉先輩は眉をひそめた。しかしすぐ笑顔になった。

「でもそんな生活もこれで終わり。私達これから東京に住むの。私はアイドルとして。お姉ちゃんもあっちで仕事を見つけたのよ。だからあの店は閉めたってわけ。お父さんに内緒でね。私達からのささやかな復讐よ」

 ボクは「学校は?」と尋ねた。

「辞めるわ。受からなかったら続けるつもりだったけど、レッスンもあるからそれどころじゃないし。私にはずっと今がなかった。だからこそ今はそれを大事にしたいの。もうお父さんの価値観や社会の目に縛られてやりたいことができないのはうんざりだから」

 古葉先輩は伏せ目がちに微笑んだ。その表情からはこれまでの鬱憤とそれからの解放が入り交じっている。だけど顔を上げた古葉先輩の目は力強く、自信に満ちあふれていた。

 話を聞いていた瑠偉先輩は涙を流して感動していた。

「うぅ……。分かる。分かります。初めて推しを見た時は感動しますよねえ。それにしてもすごいなあ。あたし、夢なんてないし。それなのにすいません。未払いのバイト代払えなんて思っちゃって」

 古葉先輩は目を丸くした。

「え? お姉ちゃん払ってなかったの? それはごめんなさい。あの人のんびりしてるから。のんびりしすぎて離婚されたくらい」

「いえ! 大丈夫です! 高々一万円くらい問題ないですよ!」

「でも――」

「それより推させてください! あたし、知り合いがアイドルになったなんて初めてなんです! あのバイト代は推し代と思えばむしろプラスですよ!」

 どういう計算でそうなるのかは分からないが、瑠偉先輩は本当に嬉しそうだ。

 古葉先輩も困惑していたが、満更でもないみたいだった。

 古葉先輩は照れながらかわいらしく微笑んだ。

「じゃあ、あなたが私のファン一号ね」

「はい! これからは全力で推します!」

 二人はお互い笑顔を浮かべて握手をした。

「あ」と瑠偉先輩はなにかを思い出した。「そう言えばあの猫ちゃんはどうしたんですか?」

「クレーのこと? あの子ならペットホテルでくつろいでるわ。今から迎え行くの。よかったら一緒に来る?」

「はい! わーい。また猫が撫でられる~」

 瑠偉先輩は嬉しそうだった。こうして猫毛組合事件は解決した。


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