「早く美味しくなーれ!」
二人の妖精は、山積みの果物の上を飛び回った。果物はまだ青く、この部屋を暖める暖炉の赤とは対照的な色をしていた。
「ねぇ、チョコレイトも一緒に踊ってよ」
赤い帽子を被ったほうの妖精は、僕のほうを見てきゃらきゃらと笑った。彼女の声は鈴を転がしたみたいだった。妖精というのは、大抵彼女のような声をしている。
僕はそれには応じず、肩に掛けていた茶色のマントを果物の上で振った。僕は踊る必要などない。ただ妖精たちの踊りに合わせ、さも厳かな儀式のようにマントを振るうのだ。別にこのマントはどんなものでも構わなかったが、妖精たちは『なるたけ古くて、かっこいいものがいい』と言った。だから、僕はわざわざ古着屋に行って、その店で一番古い、皮でできたマントを買った。古いその布は、振るうたびに埃が出てくるので、ほんとうは、僕は好きではない。
僕が無心にマントを振りたくっていると、青い果物は熟れた赤色に変わった。僕はそのとき、青い果物が柿だったことにようやく気が付いた。
二人の妖精はわあっと歓声を上げ、互いを抱きしめ合った。彼女らは双子で、顔かたちがそっくりだった。赤い帽子を被っているほうは姉で、赤りんごひめと呼ばれた。緑の帽子を被っているほうは妹で、青りんごひめと呼ばれた。誰が彼女らをそう呼び始めたのか、僕はよく知らないし、どちらでもいいことだった。
「赤りんごひめ様、青りんごひめ様、そして、ええと――茶色いマントのお方。ありがとうございます」
僕たちを呼んだ顧客は深々とお辞儀をした。そのつやつやとした頭皮の上には、金の輪っかが載っている。金環のおかげで、この老爺は天使なのだな、と僕は理解していた。彼は柿農家だった。
「茶色いマントの人はねー、チョコレイトっていうんだよ」
赤い帽子の妖精は楽しそうに言った。
「左様でございますか。失礼いたしました」と、天使はさらにお辞儀を繰り返した。
「ううん、いいの。チョコレイトっていうのは、あたしが勝手に付けただけで、チョコレイトにも別のほんとの名前があるのかもしれないから。茶色いマントがチョコみたいだから、チョコレイト。ねえ、かわいいでしょ」
「そうでしたか。ええ、素敵な名前だと思いますよ」
彼らが談笑する中、僕は茶色いマントを折り畳んだ。ついでに、マントに当たって部屋の隅に転がってしまった柿を拾い上げ、積み上げられた赤い柿たちの中に戻した。部屋の隅にあった柿は、完熟というにはまだ黄色っぽく、僕はげんなりした。
「ところで、チョコレイト様は何の魔法をお使いになられるのでしょうか?」
天使は僕に向かって笑いかけた。彼の表情には、少しの悪意を見受けられない。この世界では普通なのだ。すべての人間は善意で出来ていて、さらに魔法を使えた。この老天使の魔法は空を飛ぶことなのだろうか、と僕は彼の背中に生えた小さな羽を見て思案した。
「あっ、チョコレイトはね、あたしたちのお手伝いをしてくれてるの」
「そうだよ。チョコレイトがいると、果物たちが喜ぶの」
妖精たちは口々に、老天使への返答というには的外れなことを言った。それでも、老天使はにこやかに「そうですか」と何度も頷いて、片方の妖精に謝礼の金貨を渡した。
そのあと、僕たち三人は老天使の家を出た。外は寒く、初秋の小径を凍てつく風が吹きつけた。街路樹は葉のほとんどを落とし、枝にしがみついた数枚だけが風に揺られていた。
「今晩は大雪が降るんだって。チョコレイトは気を付けてね」と、赤い妖精は言った。
「君たちは雪が降れば嬉しいんだろ」
「もちろん。二人で一晩中、雪と踊るんだよ。雪だるまもいっぱい作るの」
「元気だなあ」
緑のほうは、僕たちの会話には混ざらず、老天使から貰った数枚の金貨を一生懸命に数えていた。本来、彼女らには金貨はさほど必要ではなかったし、それは僕も同様だった。
「多少金額が違っていてもいいよ」と僕は緑の妖精に声を掛けた。
「ううん、ちゃんと山分けしなきゃあ」
変に真面目な妖精は、それから十数分かけて僕に三分の一の金貨をくれた。
「君たち、今日はありがとう」
「ありがとう、また明日ね」
「また明日ね、チョコレイト」
二人の妖精は僕に向かってぶんぶん手を振った。僕も振り返して、いっそう寒くなった家路に向かった。
***
僕の家は温かい。常に体感二十七度を保っており、湿度も良好。僕は大きなソファーに身を沈め、そこここに吊るされた試験管内の溶液の色の変わるさまを見るのが好きだ。色鮮やかな溶液は時折泡を吹き上げて、零れたそれは僕のソファーの布の端を彩った。
この世界は不思議で溢れていて、その不思議は恒常的に続けば続くほど、当たり前になった。小さな羽で飛び回る双子の妖精はもちろん、金の円環を持つ老天使も奇異な存在ではない。むしろ、僕のようななにも持たない人間こそ、この特異な世界では異物だった。
科学者だった僕は幾光年も前に、自作の不死の妙薬を飲んだ。その間、何度も人間は大きな進化を遂げ、ついに魔法を使うようになった。魔法といっても、大半は空を飛ぶ小さな羽を持っただけで、人間は不死にもならなかったし、大いなる力を持つものはいなかった。そして、その魔法の力と引き換えなのだろうか、この国は年中冬の気候になった。常に寒ければ不満の一つくらい噴出するはずなのだが、進化の工程で人間は『悪意』を完全に捨ててしまった。冬の寒さを嫌悪する者はおらず、皆揃って雪を楽しんだ。もしこの世で悪の心をまだ持っているのなら、僕だけだろう。
人々の唯一の困りごとは、冬の気候では果実が赤く実らないことだった。だから僕は、青い果実を熟らせることのできる、エチレンガスという物質をマントの裏に隠し、未熟な果実に振りかけた。エチレンガスは、おもにりんごなどの果物が放出する植物ホルモンの一種で、そばにある他の果物の成熟を促すことが可能である。僕のそばではなく、効果の届きにくい部屋の隅にあった柿が完熟できず、黄色いままだったのはそのためだった。
あの双子の妖精が果物の前で踊っていたのは、何のわけもない。僕が科学による奇妙な技を見せるより、妖精の魔法ということにするほうが、聞こえがいいからだ。
長い時代を越えて生き続ける僕には、金貨はあまり重要ではなかったし、僕よりも短命な人間と関われば寂しくなるだけだった。僕は、僕が魔法を使えないことを気にかけて踊ってくれる妖精たちのことは、なるべく考えないようにした。
魔法の世界に生きる、延命の科学者は不自由だ。僕は不死ではあったが、不老ではない。今朝の冷えた空気は肺にこたえた。
「りんごひめは僕だよ」
僕はソファーに深く沈み込み、雪よりもなお白い髪を指ですくった。みぞれ雨の降りしきる、九月の夜のことだった。